置き手紙
「がっぽり儲かると思ったんだけどなぁ」
未だにちょっと諦めが付かない瑠璃は、禁止された腕輪を思っての溜息を吐いた。
それを聞いてクラウスは苦笑する。
「さすがにあれは危険すぎますよ。禁止したユークレースは間違っていません。世に出る前に食い止められて良かったです」
「いや、分かってるんですけどね。惜しいなぁと」
「仕方がない。自分で楽しむだけに留めておけ」
ジェイドにもそう言われ、瑠璃は「はーい」と返事しておく。
「それで、話があるみたいですけど、なんですか?」
現在執務室にいる瑠璃は、珍しくジェイドの方から話があると改まって言われて、いつもの定位置ではなく、執務室内にあるソファーでジェイドの向かいに座っている。
ジェイドは、何故隣に座らないのかと不服そうだが、話をするなら対面にいた方が話しやすいので諦めてもらう。
「今度、霊王国で四カ国のトップが集まって会談が行われる」
「会談ですか?」
「たいそうなものではない。ただ定期的に四カ国で親交を深めるための集まりだ。場所が霊王国なのは霊王国が四カ国の中で一番古い歴史があり、樹の最高位精霊がいるからだ」
「へぇ」
「それでだ、これにルリも一緒にきてくれ」
「えっ、私行っても何もできませんよ? 難しい政治の話なんてまったく分からないですし」
竜王の妃となったとは言っても、瑠璃は愛し子である故に政治とはまったく関わりのない生活をしている。
最初はジェイドの妻として何かすべきなのかと勉強しようとしたこともあったが、むしろ関わってくれるなというように遠ざけられた。
愛し子がむやみに政治に関わると混乱をきたすからだという。
元の世界でも政治に興味がほぼほぼなかった瑠璃としてはありがたい話だが、それで良いのかと思う時もある。
そんな時は必ずセラフィが出てきて、「私なんてずっと引きこもってたわよ」と言うのだ。
セラフィを他の男の目に触れさせたくないクォーツの独占欲からのことだが、瑠璃と同じ立場だった先輩が言うのだから説得力がある。
なので、必要以上に国のことには口を出さないように心掛けている。
その方がやりやすいというのだから、むやみに知識を付けることもないだろうと瑠璃がする勉強は必要最低限の常識程度だ。
今思い返せば、スラムのことをなんとかしようと給食制度を導入しようと口を出したのはギリギリアウトだったのではないかと思う。
まあ、アイデアを出しただけで、動いたのはユークレースだったのでアウト寄りのセーフになるかもしれない。
「政治の話をする必要はない。それは私達王の仕事だからな。だが、だいたいいつも会談には他の愛し子も参加するから、今度からはルリも参加した方がいいだろうと考えてのことだ」
他の愛し子とは言うが、四カ国の取り決めの中で、他国の愛し子同士が顔を合わせることは推奨されていない。
愛し子同士が諍いを起こせばいらぬ被害を産むからだ。
以前にセルランダ国の愛し子との争いは完全に想定外だった。
あの時は瑠璃の格の方が高かった上、コタロウという最高位精霊がいたことで大事にはならなかったが、向こうの愛し子の方が格が高かったりしたら精霊達が一気に敵に回ることになっただろう。
そんなことを起こさないための取り決めだ。
愛し子は恩恵を与えるが、混乱を与えることもある。
そんな愛し子が集まればなおのこと問題も大きくなるのだ。
だが、四カ国の愛し子の場合は、霊王国に樹の最高位精霊がいるため、愛し子同士で諍いが起こっても樹の精霊が間に入り仲介してくれるため会うことを問題にしていない。
なら他の愛し子の場合もそうすればいいだろうと思うのだが、同盟国でもない自国と関わりのない国のために樹の精霊が動くことはないのだそうな。
樹の精霊が護るのは霊王国のためになる時だけなのだ。
何故かは分からない。
だが、コタロウやリンが瑠璃か精霊以外のために動くことがないように、きっと樹の精霊も同じように決めた理由がなくては動かないのだろう。
そこは瑠璃が関知するところではない。
「他の愛し子ってことは、セレスティンさんとラピスですね」
「ああ、帝国には愛し子がいないからな」
セレスティンもラピスもすでに顔見知りだ。
セレスティンは未だにジェイドへの想いを捨てきれないようだし、ラピスは病的なほど惚れっぽいと、問題はあるが悪い人達でないことは知っているので、瑠璃も気が楽だ。
「私達が話をしている間は愛し子同士で話をしているといい。ただし、ラピスには気を付けろ。指一本触れさせたら駄目だからな」
「そんな警戒しなくても、もうすでに新しい人見つけてると思いますけどね」
以前にラピスが瑠璃に対して惚れたと言ったことを未だに気にしているようだ。
しかし、惚れっぽいラピスは次の日には別の相手に一目惚れしていてもおかしくない。
瑠璃のことなどもう眼中にないだろう。
「いや、念には念を入れておかなければ。あれは危険だ」
眉間に皺を寄せるジェイドに、クラウスはやれやれというように肩をすくめた。
竜族の男ならこれぐらいは通常運転なのだろう。
「じゃあ、私はのんびりセレスティンさんとおしゃべりしています」
「ああ、そうしてくれ」
話はまとまったと思ったところで、クラウスが真剣な顔へと変える。
「陛下、あのこともルリには話しておくべきでは?」
「いや、だが……」
「ルリは当事者です。会談には皇帝の付き添いで貴族が何人か来ているはずですので、後から聞かされるよりは知っていた方がルリのためです。気持ちのいい話ではないですが……」
「そうだな」
瑠璃には分からない話をする二人に瑠璃は首を傾げる。
「なんですか? なんの話をしてるんです?」
問い掛けると、ジェイドもまた真剣な顔へと変える。
「あまり気分のいい話ではないと思うがいいか?」
「私に関係のある話なんでしょう? 聞きますよ」
ジェイドは少し躊躇いを見せた後に話し出した。
「実は、帝国の貴族の中に竜王国へ不満を訴える者が複数いるのだ」
「不満?」
瑠璃にはトンと思いつかない。
「現在竜王国にはルリ、そして、ルリの母と祖父の三人の愛し子がいる状態だ。対して、帝国には愛し子が一人もいない。それで竜王国に三人も愛し子がいるのは、四カ国の力のバランスを崩すのではないかと危惧する声があるのだ」
「別に私もお母さんもおじいちゃんも何かしたりしませんよ?」
「愛し子はそこにいるだけで周囲に大きな影響を与える。愛し子のいる場所は精霊が多く土地が豊かになる。三人も集まればなおのことだな」
「なるほど」
確かに瑠璃も、最近城内で見掛ける精霊の数が増えたようには感じていた。
特に気にしたりはしなかったが、愛し子が二人増えた影響なのかもしれない。
「このままでは竜王国の発言力が増えるのではないかと……。まあ、権力欲の強い帝国の貴族が羨ましくて吠えてるだけなのだが、思ったより帝国ではその声が多いようだ。他の三国には愛し子がいるのに帝国には一人もいないから余計に焦っているのだろうな。帝国の皇帝アデュラリアによると、貴族の中には金銭を払って竜王国の愛し子を一人譲ってもらうように交渉すべきだという馬鹿もいるらしい」
「譲ってもらえって……。物じゃないんだから」
「その通りだが、本気でそれを考える馬鹿が思いの外多いらしくてアデュラリアも頭を痛めている」
皇帝アデュラリアは、瑠璃も結婚式で初めて会った。
アジアンビューティーな大人の色気を発する艶やかな美人だった。
若く見えるが、瑠璃ぐらいの年齢の子を四人も持つ母だと言うから驚きだ。
美魔女さで言えば魔力の多いリシアに負けていない。
リシアも元の世界ではよく瑠璃と姉妹に見られるほどに若く見られた。
「どうしたらいいんですかね?」
「一番良いのは帝国の貴族が言うように、一人帝国に行ってもらうことだが、我々は愛し子にそれを強要できないし、やっと会えたルリ達家族を離ればなれにするのは気が進まない」
こくりと頷き、クラウスも口を開く。
「しかし、きっと帝国の貴族は黙っていないでしょう。この会談で瑠璃に接触をしてくるかもしれません」
「私はどう対応したらいいですか?」
自分に政治を絡めた難しい話をされても無理だぞという気持ちで瑠璃はジェイドの横に立つクラウスを見上げた。
「何もする必要はありません。にっこり笑って無視しておけばいいのですよ。愛し子がどこに行くかは愛し子の自由。無理強いをすることはできないのですから。さらに言えば、すでに竜妃であるルリが帝国に行くことはありえません」
「でも、お母さんやおじいちゃんに直接交渉されたら?」
「お二人は今回の会談にはお連れしませんので交渉しようがありません」
「お母さんなら行きたいって駄々こねそうだけど……」
ここ最近リシアは珍しく大人しく城内で過ごしているが、元々行動的な性格。旅行と聞けばいの一番に手を上げそうだ。
「そこは我慢していただくほかありませんね。我々としても帝国貴族の主張には少々腹に据えかねているので」
ジェイドもその言葉には頷く。
「アデュラリアには悪いが、貴族の要求をのむ気はない。ルリもこのことは両親やベリル殿には黙っていてくれ。いらぬ問題を抱えて不安にさせたくない。この問題はこちらの方で対処するから」
「分かりました」
瑠璃が頷いたことでその話は終わったが、部屋の外ではその話を聞いていた者がいるのに竜族であるジェイドとクラウスですら気付かなかった。
***
部屋の外で話を聞いていたのは瑠璃の祖父であるベリル。
「うーん、なんか俺達が来たことで瑠璃の旦那に迷惑かけているみたいだな」
腕を組んで困ったように唸るベリルに、これまで一緒に旅をしてきたアンダルがポンポンと肩を叩く。
「帝国の貴族は自分の利益しか考えてねぇ欲深いやつが多いからなぁ。まっ、想定内ってところだ。あんま気に病むな」
「しかしだな。俺の存在が瑠璃にも迷惑を掛けるとなると知らぬふりも何だかモヤモヤする」
ベリルは執務室の部屋から離れた後も、うーんとしばらく悩んでいる。
その足下では地の最高位精霊のカイがトコトコと付いて歩いている。
最初は瑠璃と契約していたカイだったが、ベリルの性格を知るや、あっさりと瑠璃との契約を解除してベリルと契約した。
ノリと勢いで生きているカイだが、どうやらベリルとはかなり気が合うようだ。
同じくベリルと気が合って旅まで一緒にしていたアンダルともノリが合うようだ。
『人間ってのは面倒臭い生き物だな』
「それが人間ってもんだ」
『ふーん』
カイの場合は単純明快。楽しいか、楽しくないかだ。
そんなカイにピコーンと名案が浮かんだ。
『なあなあ』
「なんだ?」
『要は竜王国に三人も愛し子がいるのが問題なんだろう?』
「まあ、そういうことだな」
『だったらいなくなっちゃえばいいんじゃね?』
それを言われたベリルはまるで雷に打たれたように衝撃を受けた。
「なるほど! その通りだな」
『だろう? 俺って頭良い~』
得意げに胸を張るカイを、ベリルはしゃがんで頭を撫でた。
「元々新天地を求めてやって来たんだ。瑠璃の結婚式も見たし、別にここに居座る必要もないよな」
『そうそう』
「おいおい……」
機嫌良く頷き合うベリルとカイを前にアンダルは苦笑いを浮かべる。
「思い立ったが吉日。そうと決まれば今日決行だ」
『俺も行く~!』
さすがノリで生きるカイと、そんなカイに認められた契約者。
「アンダルはどうする?」
一人と一匹に期待に満ちた目で見られれば、アンダルとて否やは言えない。
「まあ、俺もそろそろ出て行く気だったから問題ないが」
「なら決まりだ!」
ベリルは歯を見せたいい笑みでぐっと親指を立てた。
***
翌朝、ベリルの部屋へ向かった侍女は、空っぽになった室内を見て慌てて報告に上がった。
部屋には一枚の手紙が置かれていた。
『なんか愛し子が多いと迷惑掛けるそうだから、カイとアンダルを連れて冒険の旅に出る。たまには帰るから心配するな。俺は世界をこの目で見て回りたい! 冒険……なんていい響きだ』
たったそれだけ書かれていた手紙を見た瑠璃は頭を抱えた。
「おじいちゃ~ん……」
最高位精霊であるカイがいるなら大丈夫か?
いや、むしろ危険な気もする。
けれど、この世界のことに詳しいアンダルが一緒にいると思えば少し安心だ。
「うーむ……」
ジェイドもこれには言葉を失っている。
「行動力のありすぎるおじいちゃんですみません」
「いや、アンダルがいるのだから多分大丈夫だろう」
「コタロウにお願いしたら場所を特定できると思いますけど?」
「ベリル殿自身がそうしたいと思って出て行ったなら、愛し子の行動を制限することはできない。……まあ、気を使わせてしまったのもあるだろうが」
「いえ、多分それを理由に旅に出たいが九割だと思います」
祖父の破天荒さは瑠璃がよく分かっている。
「とりあえず少し様子見ますか?」
「そうだな。こんなことを言ってはベリル殿に申し訳ないが、愛し子が竜王国を出たという事実は、帝国貴族に責を問うことができる」
要は、お前達があんなこと言うから愛し子が出て行っただろうが。もし旅先で危険なことになったらどうする? 愛し子に何かあって責任取れるのか。ああん?
ということだ。
それと同時に、諸国漫遊することで他の国にも精霊の恩恵を与えながら回ることになる。
いつか気が向いたら帝国にも行くかもなと言える。
まあ、そこはベリルの気分次第だろうが。
「だからと言って、せめて直接お別れぐらい言ってくれればいいのに」
まさか紙切れ一枚ですましてしまうとは。
だが、それがベリルらしいとは思う。
「コタロウ。おじいちゃんと一緒にいる精霊達に、おじいちゃんに何かあったらすぐに教えてくれるように頼んでくれる?」
『うむ、分かった。定期的に報告させよう』
「ありがとう」
よしよしとコタロウの頭を撫でれば、コタロウの尻尾がブンブンと元気よく振り回される。
「ほんと、おじいちゃんらしいったらないわね」
瑠璃は少しの寂しさを感じながら、この青い空の下を歩いているだろうベリルを想って空を見た。