女子会
その日は、結婚してからは珍しく瑠璃はジェイドから離れキッチンに立っていた。
ジェイドが側にいないというだけで、瑠璃が一人でいるというわけではなく、周りにはコタロウやリン、他の精霊がたくさんいる。
結婚してからはジェイドと共にいることが多くなり、その分だけ精霊達と一緒にいる時間が減ったことをコタロウとリンは不服に思っているようだ。
ジェイドとのことは祝福しているが、こっちにもかまえと、集団で訴えられてしまえば、ジェイドも無下にはできなかったよう。
しぶしぶ瑠璃を手放した。
そうして、瑠璃は精霊達のためにクッキーを焼くことにしたのだ。
久しぶりの精霊達との時間。
コタロウとリンを始めとして、瑠璃を独占できたと喜んでいる。
コタロウなどは分かりやすく尻尾をブンブン振っていた。
忠犬ぶりは相変わらずのようだ。
リンもご機嫌で瑠璃の周りをクルクルと回っている。
『ルリのクッキーは久しぶりだ』
クッキーの焼ける匂いに鼻をヒクヒクさせてコタロウが嬉しそうにする。
『ほんとよねー。ルリってば最近王とばっかりいるんだもの』
リンはここぞとばかりに不満を口にする。
「ごめんごめん。私もまさかあそこまでジェイド様がべったりになるとは思わなくて」
『竜族は番いへの独占欲が強いものねぇ』
「私も話には聞いてたんだけどね」
『その執着に耐えられなくて逃げる番いもいるらしいから、ルリも要注意よ』
同じ竜族同士ならそういうこともないけれどと、リンは付け足す。
竜族の番いへの執着。
それは先代竜王であるクォーツを見ていればよく分かる。
番いであるセラフィへの並々ならぬ執着心は、人間では中々理解できないかもしれない。
なにせ、死んだ番いの生まれ変わりを探すために、王を辞めて世界中を彷徨ったぐらいだ。
「要注意と言われても何を注意したらいいやら」
『へたに嫉妬させないことよ。まあ、あの王は竜族の中ではまだまともな方だけど。それに、いざとなったら私達がついてるわ!』
力強いリンの言葉に他の精霊達も手を上げる。
『逃げるの手伝う~』
『僕も~』
『いっそやっつけちゃおう!』
『沈めちゃう?』
『皆でフルボッコ~』
「き、気持ちだけもらっとくね」
ジェイドを叩きのめす相談を楽しそうに始めてしまった精霊達を慌てて止める。
瑠璃の知らぬ所でジェイドが闇討ちにあったら大変だ。
愛し子のためなら精霊達はやりかねないのが怖い。
『ルリ~、焼けたよ~』
オーブンを見ていた火の精霊が瑠璃を呼ぶ。
「はーい」
オーブンから鉄板を取り出せば、良い匂いと共に綺麗な焼き目の付いたクッキーが姿を見せる。
「いい感じ~」
『わーい、完成』
『いいにおーい』
『綺麗に焼けたね~』
火傷をしないように鉄板からお皿にクッキーを移し、あら熱を取る。
そしてまだ熱さのあるクッキーを一つ手に取って口に入れれば、サクリとした食感とほどよい甘さがする。
「ん~。やっぱり焼きたては美味しい」
『私も私も!』
『我も欲しい!』
瑠璃が食べるのを見て、自分もと主張するリンとコタロウに一つずつ渡すと、美味しそうに頬張った。
コタロウの体の大きさでクッキー一つではいささか物足りないようで、キラキラとした目で皿の上のクッキーを見つめている。
「ちょっと待ってね」
コタロウ用とリン用とでクッキーを分けていく。
そして、残りを大きめのお皿に乗せると、目ざとくリンの視線がその皿に向く。
『ルリ、そっちの多いのは?』
「リディアの所に持っていってお茶会するのよ。リディアにも最近会ってなかったから」
『うむ、時のも喜ぶだろう』
コタロウもリディアのことは気になっていたのだろう。
空間から外に出られないリディアに、直接会うことができるのは限られている。
同じ精霊であるコタロウ達は精霊独自の繋がりがあるが、コタロウ達精霊が、リディアのいる空間に入ることはできない。
それ故、リディアは孤独だ。
精霊同士の繋がりはあっても、外にいる精霊のように自由に動き誰かに会うことは許されていない。
何故なのか、それを瑠璃が聞いても、そういうものだからという答えしか返っては来ない。
瑠璃にとって身近な精霊だが、精霊について分からないことはたくさんあった。
そして、人である瑠璃は決して入り込めない。
瑠璃にできることは、時々空間に赴き、リディアと小さなお茶会をするぐらいだ。
そんな他愛のないことでも、空間から出られないリディアには楽しみの一時となっている。
だからこそ、最近お茶会が開けなかったことは申し訳なく思う。
クッキーを焼いた後にお茶の用意もして、リディアの所へ行く準備をしていると、クォーツの番いであるセラフィがひょっこり姿を見せた。
「あら、ルリは何をしているの?」
「ああ、セラフィさん。これから空間の中でリディアとお茶会をしようと思っててその準備です」
「あら、楽しそう。私も一緒に行ってもいいかしら?」
セラフィは幽霊だ。
死んだセラフィは呪術を使い、魂を指輪の中に移し現世に残った。
すべてはクォーツのために。
けれど、当初それを知らないクォーツは遺体と共に指輪を埋葬してしまった。
その後、墓荒らしにより指輪は空間の中で数十年を過ごしたが、ようやくセラフィはクォーツの元に戻ることができた。
番いを取り戻したクォーツは、新婚のジェイドも負けないほど浮かれている。
生前は決して番いであるセラフィを人前に出さないほど独占欲の塊だったクォーツだが、今は少しクォーツも軟化したのか、時々セラフィが一人で城の中を動き回っているのを目にする。
最初の頃は、幽霊が出た! っと城の人達はあわてふためいたが、それがクォーツの番いだと知ると、クォーツが王を辞めた理由を知る者達は皆泣いて喜んだとか。
今では、セラフィを見かけても驚く者はいない。
セラフィはセラフィで、今までクォーツの独占欲により城の中を動き回ることをしなかったので、これ幸いと城の中を散歩して楽しんでいる。
けれど、やはり一日の多くはクォーツと過ごしているようだ。
なので、クォーツの入れない空間に行っても大丈夫なのかと心配したが……。
「クォーツ様はいいんですか?」
「今は王様の執務の手伝いをしているみたいだから大丈夫よ」
「一緒に空間に来るのはいいですけど、一言言ってきた方がいいんじゃないですか?」
セラフィは幽霊なので、空間の中にいても精神に異常をきたすことはないが、急にセラフィがいなくなったらクォーツが異常をきたしそうだ。
けれど、それを言ってもセラフィはほがらかに笑う。
「いいのいいの。私だって好きなように動きたいわ」
生前はクォーツの意思を尊重して人前に出ないように囲われていたセラフィは、ここにきて積極的に自由を謳歌し始めていた。
人一倍番いへの執着が強いクォーツには頭が痛いことだろう。
けれど、何十年も狭い空間の部屋の中で閉じ込められていたセラフィの行動を制限することはクォーツにもできなかったようだ。
「それじゃあ、行きますけどいいですか?」
「いつでも大丈夫よ」
「ほんとに大丈夫かなぁ……?」
後でクォーツに怒られないか心配しつつ瑠璃が空間を開くと、お茶とクッキーを持って中に入った。
相変わらずたくさんの物に囲まれた瑠璃の空間の中にある物の多くは、リディアの前契約者であり、竜王国の初代竜王であるヴァイトの残した遺産である。
壁には初代竜王ヴァイトの肖像画が掛かっている。
それをリディアが大事そうに見つめるのを瑠璃は知っている。
よほどリディアにとってヴァイトは特別な人だったのだろう。
その穴を埋められないまでも、少しでもリディアを楽しくさせられたらと瑠璃は思っている。
「リディア~。来たよー!」
ふわりと姿を現したリディアは嬉しそうに微笑んだ。
『いらっしゃい、ルリ。それとセラフィ』
「お邪魔いたします。時の精霊様」
セラフィは礼儀正しくリディアに頭を下げる。
「クッキー作ってきたよ」
リディアが準備していたテーブルにクッキーとお茶を置いて瑠璃が座ると、リディアとセラフィも席に着いた。
『ルリのクッキーは久しぶりだわ』
リディアは目を輝かせて喜ぶ。
そんな顔を見ると、ますます罪悪感が瑠璃を襲う。
「ごめんね。最近中々来られなくて」
『ふふふっ、いいのよ。ルリは新婚なのだものね。それに竜族は嫉妬深いと言うから、王が離してくれなかったのでしょう?』
「そんな感じ」
『ルリが嫌じゃないのなら問題ないわ。でも、竜族の執着に耐えられなくなったら言ってちょうだい。私が逃がしてあげるからね』
茶目っ気たっぷりにウインクをするリディアに、瑠璃は苦笑を浮かべる。
「リンも同じこと言ってくれた。ありがたいけど、そんなに忠告を受けるほど竜族ってそんなに問題あり?」
「それはもう!」
力いっぱい肯定したのは、竜族の番いの先輩でもあるセラフィだ。
「最初はあんな美形に熱烈な告白されて舞い上がって、いつの間にかこっちも恋しちゃって。まあ、それは問題ないのだけど、ちょっと異性と話したら笑顔で威嚇してくるし。人畜無害そうな顔をして油断してたら、あれよあれよという間に竜王国まで連れて来られて結婚して囲い込まれてたわ」
クォーツのセラフィの囲い込みはそれはもう徹底していたと聞く。
「セラフィさんは抵抗しなかったんですか?」
「したわよ! したけれど、優しく微笑まれて諭されたら、うんって頷いていて。なんだかんだで丸め込まれちゃったのよ」
呆れた顔をした瑠璃を見たセラフィはぶっちゃける。
「だってしょうがないじゃな~い! クォーツの顔って私の好みどんぴしゃなんですものぉ! あの顔でお願いって言われたら頷いてしまうでしょ? そうでしょ!?」
「あはは……。ま、まあ、確かに竜族の中でもクォーツ様は顔が良いですからね」
ジェイドも負けていない容姿をしているので、瑠璃も気持ちは分かる。
あの美形で落ち込んだ顔をされると、思わず肉球を差し出してしまうのだ。
「ルリも気を付けていた方が良いわよ。今の内にしっかりテリトリーを確保しておかないと、どんどん浸食されて、囲い込まれることになるから。竜族は本当に執着が強いんだから」
そう助言しつつ「まあ、そんな愛情深いのが竜族の良いところなんだけど」と、セラフィは頬を染めた。
結局どっちなんだと言いたくなる。
「愛されてると感じるか、窮屈と感じるかは人それぞれだから。ルリは大丈夫?」
「ええ、今のところ窮屈に感じることはないですよ」
むしろ、愛情を全面に表すジェイドを嬉しく感じている。
「それなら良かったわ。けど、忠告よ。これだけは絶対厳守することがあるわ」
「なんですか?」
急に真面目な顔をして話すセラフィに、瑠璃の顔も真剣になる。
「嫉妬させようとか思っちゃ駄目よ。特に異性と話す時は注意が必要よ。ちょっとでも楽しそうにおしゃべりしようものなら、寝室に連れ込まれて朝まで出てこられないわよ」
「……気を付けます」
やけに実感が込められている言葉に、多分過去にあったことなのだろうなと瑠璃とリディアは察する。