ベリル無双
子供達に付いてきて連れてこられたのは、スラムから少し離れた海岸。
入り江になっているそこは、知る人ぞ知る子供達の秘密の穴場のような場所らしい。
ほとんど人の来ないというそこを岩陰から覗くと、一隻の大きな船が停泊していた。
その船の周囲には柄の悪そうな男達がうろうろとしており、そんな男達に囲まれるようにして見知ったスラムの子供が何人もいる。他にも数人大人も混じっているようだ。
大人達もスラムで見た覚えがある者がちらほらいる。
子供も大人も怯えたような表情をしており、男達と仲がいいとか、顔見知りで一緒にいるというわけではなさそうに見える。
何故スラムの人達がいるのか、何故こんな風に自分達は隠れているのか分からない瑠璃は、子供達に問い掛ける。
「何があったの?」
子供達は神妙な面持ちで今日あったことを語り始めた。
「あいつら海賊だよっ。人さらいに来たんだ!」
「王都の中心部で大きな音がして、なんだなんだって大人達が野次馬しに見に行ったんだ。
元々祭りで大人達は稼ぎ時だって言って出払ってたし、スラムに残ってたのは女性や子供がほとんどだった。
あいつらそこを狙ってきたんだよ」
「容姿が良かったり、元気そうな女子供達がどんどんあいつらに捕まっちゃって。俺らも捕まりそうだったけど何とか逃げ出して助けを呼ぼうと王都の中心部に向かったんだけど、スラムの子供の言うことなんて大人達は誰も相手にしてくれなくて。
そんな時に愛し子様を見つけたんだ」
竜族の半数は昨日の大会でつぶれている。
そうではない兵の多くは王都の中心部で、祭りで集まったたくさんの人の警備の任についていて、人手が足りないほどだ。
スラムにまで目を向けているほどの余裕はないだろう。
そこを狙われたのか。
「お願い、皆を助けて」
縋るような目で見られる。
そんな捨てられた子犬のような目で見られて断れるはずがない。
「分かった。皆を助けよう」
「ほんとに!?」
「ありがとう、愛し子様」
子供達は今にも泣きそうに喜ぶ。
しかし、助けるとは言ったもののどうすればいいのか……。
海賊達の側には捕まえられた人達がいる。下手をするとその人達が人質に取られて危害を加えられる可能性だって考えられる。
考え無しに飛び出していっても、後でお説教が増えるだけで怪我人を出すかもしれない。
ユアン達が瑠璃達に追いついてくるのはいつ頃になるだろうか。置いてきてしまったことが本当に悔やまれる。
横でリンや精霊達が『やっちゃう?やっちゃう?』と聞いてくるが、テンションがやけに高くて無関係なスラムの人達まで巻き込みそうで怖い。
ユアン達護衛を待つのが最善だろうが、すでに臨戦態勢のベリルが今にも突撃してしまいそうだ。
ユアン達を待ってる時間はないかもしれない。
人質にはリンに結界でも張ってもらえばいいんじゃないかと閃いた時……。
「おい、お前ら何してやがる」
しゃがれた男性の声にびくっとし、恐る恐る振り返ると……。なんと父親の琥珀が海賊の仲間と思われる男に首にナイフを当てられ両手を挙げていた。
ベリルと違い荒事を嫌う文系の琥珀には刺激が強いようで、顔は青ざめ手が震えている。
「お父さん!」
「おっと、動くんじゃねえぞ、お嬢ちゃん」
瑠璃にはコタロウの結界があるのでナイフを向けられても問題ないが、そう言えば両親達はどうだっただろうか。
こんなことならコタロウにちゃんと結界を張ってくれと頼んでおくのだったと今さらながらに後悔した。
「おうおう、べっぴんさんが二人もいるじゃねえか」
男は瑠璃とリシアを舐めるように見て、下卑た笑みを浮かべる。
男の声に反応したのか、船の付近にいた男達も瑠璃達の存在に気付いたようだ。
わらわらと近付いてくる。
琥珀を人質に取られ、じりじりと後退していると、あっという間に海賊達に囲まれてしまった。
「ど、どうしよう……」
琥珀の首には今にも皮膚を破りそうなほどにナイフの刃が食い込んでいる。
下手なことをしたら琥珀が危ない。
どうする?どうする?と、ぐるぐると考えていると、横から……。
「ふふ、うふふふふ」
と、なんとも不気味な笑い声が聞こえてきた。
恐る恐る横を見ると、リシアが笑っている。
男を一瞬で虜にしそうな魅惑的な笑みを口元に浮かべ、しかし目が一切笑っていない。
まずい。
瑠璃と、そして人質に取られている琥珀は瞬時に思った。
この状態はリシアがブチ切れた合図だ。
琥珀はさっきよりも顔色が悪くなったような気がする。
「私の愛する旦那様にナイフを突きつけるなんて、死にたいようね。
……皆、やっておしまいなさい」
パチンと指を鳴らすと、精霊達が『あいあいさー』と言いながら、琥珀を人質に取っている男にベタンベタンと張り付いていく。
「あっ!?なんだ、なんだ、体が重い。動かねえ。なんなんだ!?っぎゃあぁぁぁ」
今さらながらに思ったが、この海賊達は精霊達が見えていないようだ。
人間だからか魔力が少ないからかなのだろう。他の海賊は男の様子に首を傾げ「何遊んでんだ」と揶揄して笑っている。
きっと見えていたら、愛し子三人分の精霊達の存在に最初から手を出そうとは思わなかったはず。
瑠璃も今になって精霊達に何とかしてもらえば良かったと思った。そこに考えが及ばないほど動揺していたということだろう。
精霊達のおかげで、琥珀は男の拘束から逃れられた。
そして、すかさず瑠璃はリンに頼む。
「リン、お父さんや捕まってる人達に結界とか張れる?」
『できるわよ。やっと私の出番がきたわね』
リンはすぐさま琥珀や捕まった人達、ここまで瑠璃達を連れてきた子供達の周りに水の壁を作り出す。
すると海賊達はようやく慌てだし、ある者は水の壁を叩き壊して中にいる人を引きずり出そうと試みたり、武器を取って瑠璃達を威嚇してきたりし始める。
先ほどまで琥珀を人質に取っていた男は、精霊達にやられてばたんと倒れてしまった。
殺したんじゃ……と心配になったが、それがどうしたというように精霊達は次に狙いを定めて攻撃していく。
海賊達は恐怖におののいただろう。
見えない何かに仲間がやられていくのだから。
さらに、戦闘態勢に入ったベリルが残りの海賊達をちぎっては投げ、ちぎっては投げ。
竜族と対等に渡り合ったベリルの力は伊達ではない。
海賊達は散り散りに逃げ惑っているのを精霊とベリルに追いかけ回されていて、ちょっと不憫にすら感じる。
その間に瑠璃とリシアと琥珀は捕まった人達を安全な場所へと移動させていく。
運良く精霊とベリルの手から逃れた海賊達は続々と自分達の船へと逃げ戻っていく。
逃がすか!と船に向かって追いかけていく精霊とベリル。「来やがったぁぁ!」と阿鼻叫喚する中、一人が小さな笛のようなものをピィィと吹いた。
直後、海面が波立ち、大きな吸盤の付いたタコかイカのような軟体動物の足が何本も海の中から飛び出してきた。
瑠璃はぎょっとする。
「何あれ!?」
しだいに砂浜へと上がってくるそれは一見するとタコのように見えるが、うにょうにょと動くそれは海賊達が乗る船を飲み込みそうなほど大きい。
この世界にはタコはいないはずだと思ったところで瑠璃は思い出す。
「あれ、もしかしてクラーケン?」
『みたいね』
リンが同意するということは間違いないようだ。
その時海賊が叫んだ。
「あいつを殺せー!」
そうして再び笛を吹くと、クラーケンはきちんと海賊の言葉を理解しているように海賊が指し示したベリルへとその足を伸ばしてくる。
祖父が危ない!
そう感じてリンに助けを求めようと口を開きかけた。
……だが、ベリルはなんとその大きなクラーケンの足をがしりと難なく掴んだのだ。
これには瑠璃だけでなく海賊達もぽかんとするほど驚いた。
「ふんぬぅぅ!」
ベリルは渾身の力を込めると、ブチブチブチッとクラーケンの足が引き裂かれる。
これには海賊達も「ヒィィ!」と声なき声を上げた。
思わず「化け物だ……」と腰を抜かしたのは何人いたか。
ベリルは引き裂いた足を掴むとぐるんぐるんとハンマー投げの要領で振り回し足を放り投げた。
放物線を描いて飛んでいったクラーケンの巨大な足は、海賊の乗る船にクリーンヒット。
すごい音を立てて船が破壊された。
もうあの船が海に出ることは不可能だろう。
船を壊され、船に逃げ込んだはずの海賊達がまた陸へと戻ってきたが、そこを精霊達に狙われていく。
「ぎゃあぁぁぁ!!」
「化け物だぁ!」
その間もクラーケンと戦闘を続けるベリル。
足を千切られて怒ったのか、その攻撃が激しくなるが、ベリルは意に介すことなくどんどんクラーケンの足を引き裂いては四肢をもいでいく。
「きゃあぁぁ、お父さん格好いいわよ。そこよ、やっちゃって!」
黄色い歓声がリシアから上がり、任せろとばかりにドヤ顔でベリルはクラーケンを細切れにしていく。
そんな中で歓声ではなくムンクの叫びのようになって悲鳴を上げたのは瑠璃だった。
「私のたこ焼きの材料があぁぁ!
お祖父ちゃん待って、それ以上細切れにしないで!
たこ焼きにするから、その足こっちにちょうだい!!」
すると、瑠璃の目の前にドサッと大きな鈍い音を立てて、瑠璃の体よりも遙かに大きな吸盤の付いた足が降ってきた。
念願のタコ。いったいこの足一本で何人分作れるだろうか。瑠璃はもう感激で涙が出そうだ。
「いやったー!これでできるぞ、たこ焼きパーティィィィ!」
今にも踊り出しそうに喜ぶ娘を見て、琥珀は何とも言えない眼差しを向けていた。
破天荒なベリルとリシアの血を受け継ぎつつも、自分が率先して育児を頑張ったおかげか、娘は母親に似ず常識人に育ったと自負していたのに。
こんな状況下で食べ物の心配をするなんて、やっぱりお前もなのかと落胆と諦めの境地へと陥る。
血は争えないようだ。
一人落ち込む琥珀をよそに、戦いは終わりを告げようとしていた。
海賊達は精霊達により死屍累々となり、ベリルによりクラーケンがぼろ雑巾のようになってしまった頃、ようやくユアンと竜族の兵達が追いついてきた。
王都内を探し回ったのだろう。
額に汗を浮かべ、息を切らして疲れ切っている。
髪や服が乱れているのは、人波に散々もまれたせいだろう。
「あっ、遅いよ、ユアン」
「無茶言うな!どれだけ大変だったと思うんだ。
それよりどういう状況だ、これは!?」
キャンキャン吠えるユアンに瑠璃はここであったことを説明する。
途端に険しい顔になる竜族の面々。
「くそっ、あの騒ぎに便乗したのか?
いや、海にいる奴らと仲間の可能性の方が高いな」
「海にいる奴ら?」
「大砲を撃ち込んできた奴らだ。報告があって、今動ける竜族が応戦している。クラーケンが何匹も海に出没していて、竜族じゃないと対応できないから大騒ぎだ。ただでさえ大会で動けない竜族が多いってのに。
こっちでもクラーケンが現れたようだし、こいつらと繋がりがあるのは間違いないだろう」
クラーケンを見れば、ベリルによって肉片へと変えられており、その上でベリルが勝利の雄叫びを上げているところだった。
それを見てユアンは何とも言えない表情を浮かべる。
「…………お前の祖父は本当に人間か?」
「…………人間のはず。自信なくなったけど」
普通の人間が船よりも大きな怪物を素手で倒してしまうのだからその疑問は当然だった。
「ま、まあ、いい。そこに転がってる奴らを先に何とかするか」
ユアンは他の兵に応援を呼ぶように指示を出した。
そして、その場にいる者で次々に海賊達を縄で縛っていく。
全員意識がなく抵抗できる者がいなかったのでそこは簡単にできた。
そして、海賊達を応援に来た兵に引き渡し、瑠璃達は城へと戻ったのだった。