改憶8
「また行く気? もう慣れたけど……」
しゃがんで上履きからスニーカーに履き替えている元原が、顔を上げて言う。その元原の後ろで、置かれていた上履きの匂いを嗅ごうとしていた園山が気付いて立ち上がる。
「木部か? 川崎か? それともどっちもか? 俺も手伝うぜ!」
その園山に、木にもたれて座っている三杉が言う。
「止めておけ。きっと……邪魔になる。そうだろ小野田?」
勘が良い三杉は、何かに気がついたのかもしれない。
いや……そうか。三杉は、この時すでに自分達をピンポイントで探しに来る俺に疑問を持ったんだな。未来世界で、俺が運命を変えていると三人が薄々と気がついたのは、やはり三杉が発端か。
俺は、三人に背を向けて言う。
「アディオス! アミ…」
「アミーゴ!」
俺が勝手に園山から譲り受けたセリフを言おうとしたところ、元原、三杉、園山が声を合わせて俺の先回りをした。
俺は右腕を突き上げ、校舎へ向かって走り出す。
グランドを横切り、目の前が校舎だ。
こちらから見ると、左端に縦に建っているのがB校舎で、それにつながって平行に建つ二つの校舎が、A校舎とC校舎だ。丁度、ひらがなの『に』と似た構造だ。奥がA校舎で、今回の目的は手前の半壊したC校舎になる。ちなみに、A校舎とB校舎はすでに全壊に近いので、目標は判別しやすい。
助ける前に怪我をしては元も子もないので、C校舎の割れたガラス窓から飛び込むのは避け、俺は園山を助けたB校舎の靴箱跡から回りこみ、B校舎からC校舎への連絡通路を通る事にした。
園山を助けた直後に落ちたミサイルから数分経過しており、今すぐにでも次のミサイルが落ちてきても不思議は無い。次弾はC校舎の最奥付近に着弾し、半壊したC校舎を完全に吹き飛ばす。そして間髪入れずに学校の真ん中にミサイルが落ち、全てを木っ端微塵にする。正直、木部がC校舎の二階より上にいたなら、時間的にもう無理だ。
しかし……川崎は一体どこに行ったんだ?
彼女は、何か用事があったのだろうか? 例えば職員室? 保健室? トイレってのもあるか? ただ、もう探す場所がC校舎しか残っていない。厳密には、ほんの僅かだけ残った、このB校舎もあるのだが……。
靴箱跡を横切った俺は右を見る。俺が最初に運命を変えた、元原を助けたB校舎の廊下だ。非常口の前には、倒れたコンクリート壁が横たわっている。
そう言えば……あの時、俺は誰かに押された気がした。風圧か衝撃波だと思ってそのまま逃げたのだが……。
俺はどうにも気になって足を止めた。そして、C校舎への連絡通路へは進まず、非常口前の倒れた壁に近づく。
「まさかっ!」
壁の端から、小さな手が見えた。俺は非常口側の前に回りこみ、這いつくばって壁の下を覗き込む。
「かっ…川崎っ!」
荒い息を吐く女の子がいた。俯いて顔を見せないが、茶の髪色と、小さな鼻は間違いなく川崎のはずだ。
倒れた壁は、挟まった瓦礫によって床との間に二十センチ程の隙間を作り、小柄な川崎なら何とか体をつぶされない空間を作っていた。
「待っていろ! すぐに助ける!」
「ダメっ!」
倒れたコンクリート壁に手をかけた俺を、川崎は声を張って止めた。
「な……なにっ?」
「木部君を助けに行くんでしょ! 行って! 時間が無いよっ!」
「どうしてそれを……?」
一呼吸置いてから、川崎が答える。
「さっき……園山君との話が、ここまで聞こえていたよっ! お願いっ! すぐに木部君を助けに行って! もう戻れないっ!」
川崎は怪我をしているからか、明瞭でない言い回しをする。なぜさっき助けを求めなかったのか? 戻れないとは何なのか?
「ダメだ! 数分後にはここも吹き飛ばされる。生きているか分からない木部よりも、目の前の川崎を助ける!」
「いやぁ!」
川崎の悲鳴に、俺はびくんと身を震わせた。
「見ないでっ! お願いだから……木部君を助けに行って。私は大丈夫だから……お願い、お願い小野田君!」
俺は歯を食いしばり、目をつぶる。
あの未来の脅迫者は、もしかすると俺のために、木部を助けに戻るなと忠告したのだろうか? こんな辛い二者択一を迫られる事を知っていたから?
「小野田君……私は小野田君が生きてさえいれば良いの……。お願い……行って……」
川崎のすすり泣く声が聞こえる。
……そうか。脅迫者はこの事を言っていたのか。
俺は立ち上がり、C校舎への連絡通路に顔を向ける。
「分かった川崎。必ず……俺はお前を迎えに(・・・)行く」
俺はC校舎へ向けて走った。残る時間は後一分か、それとも三十秒か……。
C校舎へ入り、ドアや窓が無い教室を覗きながら廊下を走る。中は古いロッカーや教員用の机が雑然と転がっており、人の気配が無い。
しかし、次の教室へ差し掛かった時だった。中からガシャンと鉄製品が動かされる音が聞こえた。
「木部っ!」
俺が教室へ踏み込むと、鉄パイプの束を抱え上げようとしている男子生徒がいた。
そいつはゆっくり振り返ると、いつものようにいたずらっぽく笑った。
「生きていたか小野田。ナイスタイミングだ、ちょっと手伝えよ」
奴は目線を鉄パイプに向ける。相変わらず何を考えているのか分からない奴だ。
「そんな暇は無い! ミサイルがくるぞっ!」
俺が叫ぶが、木部は首を横に振る。
「今さっきミサイルが落ちたばかりだ。続けて同じ場所に落ちるなんて、川に投げ込んだ石が魚に当たる確率より低いぞ。それより、今後の生活を考えて、この簡易テントを持ち出そうぜ」
「それが落ちて来るんだよっ! 二発もなっ!」
俺が黒板を叩いて言うと、木部は俺の目を見ながら鉄パイプを床に投げ捨てた。
「マジみたいだな……」
木部は、目を見ただけで人の心を見抜く。これが奴の英雄的資質だ。
「行くぞっ木部っ! もう秒読みだ!」
俺は、奥の割れたガラス窓を開ける。そこから外へ飛び出すと、木部は折りたたまれた白い布を抱えて窓から出てきた。
「小野田、ミサイルが落ちるのはどこだ?」
「後方、左四十五度だっ!」
「さすがお前は信頼出来るな」
木部は、持ち出した布から出ている紐を結びながらついて来る。何をしているのかと後ろを見ながら走る俺の目に、空に浮かぶミサイルが見えた。
ドガ――――ン!
スローモーションのように、校舎がばらばらになっていくのが見えた。熱気と破片が俺達に向かってくる。
「掴まれっ小野田っ!」
木部が何かを空に投げた。一瞬でそれはパラシュートのように広がり、木部の体を持ち上げる。俺は慌てて木部の体にしがみついた。
「離すなよっ! うおぉぉぉ熱っちい!」
熱気を受けて、パラシュートは速度を上げて横へ飛ぶ。更に飛んできた破片がパラシュートに突き刺さるが、パラシュートは破れもせずに加速した。
「危ねぇっ! 小野田っ! お前、運は強い方かぁ?」
「じゃんけんに負けて、俺がいつも貧乏くじ引く事を知ってんだろうがっ!」
「あははっ! そうだったなっ! 強運娘の川崎でも連れてこれば良かったぜ!」
パラシュートは、さっき木部が持ち出そうとしていた仮設テントの布部分だった。かなりの強度がある分、重いが、爆風相手なら悠々と広がり、俺達二人を引きずってグラウンドを滑空する。
「うわぁ、上手く行き過ぎだっ! このままじゃ、グラウンド隅の木に激突するぞぉ!」
「木部、あそこには元原達が…」
「きゃぁぁぁぁ! 何か変な物が飛んでくるぅぅぅ!」
「くらげの化物かっ! 元原、三杉、逃げるぞ!」
「ちょっと待て! 俺は足が……」
ボムッ
俺達五人がテントでもつれ合っている時、最後のミサイルが落ちてきて校舎が吹き飛んだ。