改憶7
それから一ヶ月、何事も無く平穏に過ごした。
脅迫者はあれ以降現れず、特定は困難だ。
地下街を出入りする人々は、地上の埃を嫌い、一様にフードを被り口元まで布で覆う。知らない人間が出入りしていたとしても気がつく事は無いだろう。
「なぁ~にか、悩み事でもあるの?」
ジュースカフェで、ため息をついた俺に元原がカウンター越しに話しかけてきた。
だが、何処で脅迫者が聞いているか分からないので、俺は答えずに桃ジュースに口をつける。
「教えてくれたら、いつかこの中に入っている杏ちゃんのヌードを見せてあげるんだけどなぁ」
「マジでぇ?」
身を乗り出したのは、俺の左に座っていた園山だ。すぐさま恋人である元原に頭を殴られる。
咳払いをした元原は、手のスマホをちらつかせながら俺に言う。
「コホン。マジよまじ。プールの授業の後でシャワーを浴びている時、冗談で撮っちゃったんだよねぇ。消す約束を杏とはしたけど、なぜか残っているのだっ!」
「興味深い話だ」
俺の右隣の三杉が、レンズを光らせながら眼鏡を指で押し上げて言った。
「あれまぁ、三杉君も杏ちゃんに興味があったの? 背はちっちゃかったけど巨乳だし、顔も可愛かったしねぇ」
元原はけたけたと笑った。
「まあ冗談はさて置き、小野田君、悩んでいる事があっても、あなたの好きなように行動してね。私達三人は、小野田君のためなら全力で協力するからさ」
「十年前の事を、いつまで恩にきているんだ」
呆れた俺が言ったが、元原は怖いくらい真剣な顔で俺を見てくる。
「おっと……。ど…どうしたんだよ、元原? 怒ったのか?」
俺が助け舟を求めようと園山に視線を向けたが、奴も見たことの無い真面目な顔をしている。三杉も同じだった。
しんとした店内に、元原の落ち着いた声が響く。
「良く三人で話し合うの。どうして、小野田君を含めてこの四人が生き残ったんだ……ってね。変じゃない?」
意図が読めない俺が答えに困っていると、続きを三杉が話す。
「俺達の高校、五百人の学生は、ほぼ全滅をした。生き残ったのはここにいる四人だけ。その四人は、以前からの友達だった。これは妙だろ? 天文学的確率だ」
「……運が良かったんだよ。三杉は教室で一人生き残ったし、園山も靴箱に助けられて……」
「それは違うな。俺は確かにクラスメートよりは少し長生きをした。だが、小野田が来なければ次の爆撃で確実に死んでいた。園山にしたって、小野田が来なければ数分後には焼け死ぬ運命だった」
三杉の言葉に頷く園山が、更に俺に言う。
「ぶっちゃけ、小野田って何か運命を変える力を持ってねぇ? まるで俺達を狙い撃ちするかのように、助けに戻っているよな?」
「…………」
俺が黙っていると、カウンターの向こうで元原が言う。
「園山君を助け、その前は三杉君、そして、更に前に助けられたのが私。小野田君は誰かに助けられた? ううん、助けられて無いよね? 始まり(・・・)は小野田君。……でしょ?」
俺は今までの事を話そうか迷った。ここまで分かっているとなると、タイムマシンのような突拍子も無い存在を信じるかもしれない。なら、手を貸してもらって木部を助けに……。
いや……信じた所で元原達にはあの病院の地下フロアは見えないんだ。木部を助ける協力はしたくても、手伝う事は出来ない。それに、脅迫者の存在も気にかかる……。
「――――っ!」
俺は、気配を感じて振り返った。店の前は、フードを目深に被った人間が何人か歩いている。
確かに……誰かの意識が向けられていた。俺達の話しに聞き耳を立てている奴がいたはずだ……。例の脅迫者だろうか……?
カタ カタ カタ
細かい振動が感じられた。上を見ると、吊り下げられた照明が僅かに揺れている。
地震だろうか?
俺は、ジュースをもう一口飲もうとグラスに手を伸ばす。
ドガ――――ン!
つんざく激しい音と、突き上げる振動。
俺が掴めなかったグラスは、カウンターから跳ね落ちて地面で砕ける。
「なっ…なんだよぉ!」
園山は立ち上がった。地下街からは、あの日のように悲鳴がこだまする。
「ミ……ミサイルか? なぜだ? どこから……?」
俺が独り言のように言うと、三杉が眼鏡を指で押し上げながら答える。
「我々のように、生き残った人間が世界のどこかにいるのかもしれない。そいつらが、過去の怨念に縛られ、戦争の続きを始めたと……したら?」
「バカな……。武器がまだ残っていたと言うのか?」
「あの時代に備蓄されていた兵器は、地球を百回破壊してもまだ余ると言われていた」
三杉は、杖を突いて立ち上がった。俺も立ち上がり、元原もカウンターから出てくる。
「皆、非難だよっ! シェルターへ!」
元原が、地下街へ向かって大きな声で呼びかける。住民達は一斉に右へ向かって駆け出した。
爆撃は想定していなかったが、地震などの災害時に使う避難ルートは以前から決めてあった。地下街の南側にある、更に深く掘り下げられた地下鉄跡だ。あそこなら、地上で核が爆発しても大丈夫なはずだ。
しかし……あの病院はそうはいかない。ミサイルがもしあそこを直撃すれば、地下室のタイムマシンも破壊されてしまうだろう。なら、木部や川崎を助ける手段は、永遠に無くなってしまう。
園山は三杉に肩を貸し、杖は元原が持った。そして三人は、地下街を南へと駆け出そうとするが、動かない俺を振り返った。
「小野田君っ! どうしたのっ?」
「早く行くぞ! 小野田!」
元原と園山が俺を急かすが、俺は地上への階段を見た。
「……木部を助けてくる。あいつなら、きっとこんな未来を根っこから引っくり返す」
「き…木部ぇ? どこにいるんだよぅ?」
園山があんぐりと口を開けて言う。しかし肩を貸されていた三杉は、園山から離れて元原から杖を受け取り、自力で立って俺に言う。
「行って来い。あの病院だな?」
俺が頷くと、元原と園山は俺を囲んで言う。
「なぁ~んだ。そう言う事? 秘密の力使っちゃうって訳ね?」
「んじゃ、手伝うなら今だな。この爆撃の中、一人であそこまで辿りつける訳がねぇ」
腕を上げてポーズを決める二人だが、俺は一人で階段へと向かう。
「お前達は避難しろ。俺が死んだところで、お前達も消えるって確証は……おわっ!」
俺が背中に衝撃を感じると、そのまま後ろから抱え上げられた。
「最近は現場監督ばっかりで、体がなまってたから丁度良い運動だぜ!」
俺を持ち上げた園山は、そのまま階段を登っていく。後ろからは元原と、元原に腕を貸して貰った三杉がついて来る。
「正気かお前らっ!」
爆撃音が響く地上で俺が言うと、杖を地面に突いた三杉が口を開く。
「その言葉、そのまま小野田に返そう。あの日、俺達を助けに戻ったお前は正気じゃない」
「まったくだぜ!」
「あの日みたいな、ミサイルの雨よねっ!」
園山と元原も、爆撃が微塵も怖く無いかのように空を仰いで笑った。
数十キロ先、数キロ先にミサイルが落ちる中、数百メートル圏内にミサイルが落ちた。俺達四人は突風のような衝撃波でよろめく。
「さあ行け! スタートの合図だ!」
三杉が杖で病院の方向を指した。顔を見合わせた園山と元原は、それぞれ俺の左手、右手を掴んで駆け出す。
「三杉くぅ~ん! 連絡待っててねぇ~」
元原が後ろに手を振ると、三杉はスマホを握り締めた手で振り返した。
ドガ――――ン!
俺達は、後ろからの突風に飛ばされて地面を転がった。顔を上げると、三杉の姿が消えている。
「み…三杉……」
「地下に戻ったんだよっ! 行くよっ! 小野田君!」
立ち上がった元原は、俺を引っ張り起こして進む。園山も無言で並んで走る。
息を切らせながら十数分走った。
地形が変わって分かりにくいが、かなり病院まで近づいているはずだ。
病院と地下街はおよそ五キロの距離で、女の元原はかなり苦しそうな表情をしている。
「大丈夫か元原?」
「はぁ……はぁ……。じょ…女子の体力測定は千メートル走だったからね……。今回は……ちょっと長いなぁ。でも、大丈夫」
園山が手を貸そうとしたが、元原は首を振った。
ドガ――――ン!
「危ない! 小野田君!」
何が起きたのか分からなかった。元原に押されてつんのめった俺が振り返ると、元原だけが倒れていた。
「元原…」
近づこうとした俺を、元原は手の平を見せて制した。彼女はいつもの笑顔で上体を起こすと、そばの瓦礫にもたれて座った。元原の腹の辺りの服は、何かが当たったように破れて汚れている。
元原は、ポケットからスマホを取り出して俺に言う。
「ちょっと……休憩するね。連絡……待ってるから……」
普段の明瞭な声ではなく、濁っていた。閉じた口の端から、一滴の血が流れている。
「うおぉぉぉぉ!」
園山が天に向かって吼えた。奴は俺の背中を押し、俺の背後を守るかのように走り出した。
「待てっ! 元原を一緒に……」
「あいつは俺が拾って帰る! 気にするなっ!」
俺の目の端に、地面に突っ伏した元原が映った。
「小野田っ! 変えてくれ! 頼むから……こんな未来を……変えてくれっ!」
ドガ――――ン!
いつかのように、俺は園山に抱きかかえられて地面を転がる。
「怪我は無いか小野田?」
あの時のように聞いてくる園山に、俺は以前と同じセリフを返す。
「おう! タフだな、園山。……園山?」
園山の頭から、どろりと血が流れ出した。汗を拭うように手の甲で血を拭った園山は、俺を押して走り出す。
ようやく、見覚えのある廃墟が現れた。
「あったぞ! あそこが病院だ! 地下には消毒薬や包帯を少しは残している! 着いたらすぐに手当てをするからな!」
園山は何も答えなかった。真っ青の顔で走り、廃墟の病院ホールに入る。下へ降りるエレベーター昇降路前に来ると、園山は足を止めてポケットからスマホを取り出した。
「小野田……また……六人で……飯でも食おうぜ……。連絡……よろしくな……」
園山は膝を突き、うつ伏せに倒れた。後頭部に大きな傷跡があり、包帯程度ではどうしようもないとすぐに分かった。
俺は園山を残し、地下フロアに下りた。通路を走り、MRI室へ入る。
誰の姿も無かった。脅迫者が待ち構えているかもと思ったが杞憂だった。だが、今から邪魔をされないとも限らない。すぐに行動に移らないと。
俺はMRIのロックを外し、ベッドに寝そべる。すぐに機械が俺とベッド全体を覆う。
木部……助けてくれ。お前がいなけりゃ、俺達は力を発揮出来ないんだ。お前と全員で、未来を変えさせてくれ……。
すぐに深い眠りに落ちた。