改憶3
俺は目を開いた。天井では無く、自分を覆うMRIのプラスチックが見える。夢の内容からテンション低めで目を覚ました俺は、静かにMRIから抜け出てベッドを降りる。
十年経って俺の心も磨り減ったかと思っていたが、やはりあの日の事はいつ思い出しても辛い。
「映画……何見たんだっけな……」
ただ、今回の夢に一つ感謝することがあった。俺の記憶の最後の日は、校舎の外から破壊された学校を呆然と眺めている所からだった。しかし、夢のお陰で、川崎と映画を見に行った事や、カツ丼を食べた事、倒れてきた壁から助かった事など、前後の記憶を多少補完出来た。これで、あの日の悲しさが少しは和らぐかもしれない。
時刻は、午前十一時になっていた。今からまた地下街跡に行き、食料を集めて来なければいけない。昨日よりも暗くなるまで時間があるので、出来るだけ多く、数日分をここへ持って帰ろう。
俺は懐中電灯の電池をチェックし、念のため予備も持って部屋を出る。
そう言えば……一緒に映画に行った川崎は、終始楽しげに笑っていたな。あいつは本当に映画が好きだったんだろうけど、俺はそんな川崎を見ているだけで嬉しかった。
俺は、懐から汚れたスマホを取り出した。バッテリーが死んでいるので、もちろん電源は入らない。だがこの中には、仲間や、川崎の笑顔が入っている。動かなくても捨てられるはずが無い。
俺は廃墟の街を歩く。
放射能はすでに消え失せているだろうが、日差しは昔より強い気がする。オゾン層でも破壊されたか? 温暖化か? ……そんなのを気にする人間は俺だけだろう。なんせ、数年後を生きる自分を想像するのも大変な世界だ。食料事情もそうだが、医者のいないこの世界では、風邪でも下手すりゃ死ねる。
一時間歩き、地下街へ下りる階段が現れた。俺は広々とした階段を、一人でゆっくりと降りる。
「おい~っす小野田さん、また輝美ちゃんに会いに来たのかよっ!」
「元さん、腕の具合はどうだ?」
「快調よう! こりゃ、しばらく雨は降らねぇ~なぁ!」
左肘から先が無い男は、笑いながら腕を振って元気良く歩いて行く。
俺は地下ホールを横切り、正面にある店のカウンターに腰を下ろす。
「今日は遅かったね小野田君! はい、いつもの桃ジュース!」
俺は、目の前に置かれたグラスの中身に口をつける。
「あぁ~良いなぁ。そんな高級な飲みもんを……」
二つ椅子を空けて座っている隣のおじさんが、羨ましそうに俺を眺める。その男の連れが、にやにやしながら俺を見ながら言う。
「良いんだよ。お前は新入りだから知らないんだろうけど、小野田さんは輝美ちゃんの特別な人なだからよっ!」
「えぇ~。そうなの? 憧れてたのにショックだなぁ」
「こらこらぁ」
元原が、顔を赤くしながらカウンターを叩いた。肩をすくめる二人の前で、元原は手の平に顎を乗せながら首を傾げて言う。
「……でもまあ、小野田君がいなければ生きてられなかったってのは本当かな?」
「ひゅぅ~、ひゅぅ~!」
「そんな意味じゃないって!」
冷やかす客の前で、元原はカウンターから身を乗り出し、俺の右腕をとって袖を捲り上げる。
「ほらっ! これがあの時の傷よ! 小野田君が身を挺して私を助けたのよっ!」
元原は、俺の腕にあった十センチほどの大きなケロイド状で残った傷跡を指差した。二人の客は感心した声を上げる。
「やめろ。自慢するような話じゃ……」
腕を隠そうと服を伸ばす俺は、その傷を見てはっと気がついた。
「……急用を思い出した。また後で来る」
俺は半分ほど残したグラスを二人の客の前に置いた。二人は争ってグラスを飲み干す。
店を出た俺が振り返ると、元原はカウンターの向こうから笑顔で手を振ってくる。
一体……どうなっているんだ?
この地下街は、白骨死体が転がる廃墟だったはずだ。だが、今はどうだ? 壁や天井は俺の記憶通りひびだらけで汚いが、転がっていた瓦礫や灰は片付けられ、暗いが天井には照明も取り付けられている。元原の店を初めいくつかの店が復元されているし、たまに俺の前を横切る人も幽霊にはとても見えない。
何より、死んだはずの元原が生きて俺の目の前にいる。
そして、この右腕の傷だ。こんな目立つ傷、絶対に今まで無かったはずだ。
何が起こった? 起こっているんだ?
夢か? ここは夢の続きなのか?
それなら元原が生きているのも納得だし、夢の中で怪我した跡が腕に残っているのも十二分に理解出来る。
俺は夢から目覚めたが、まだ夢の中だったって展開なのか?
そうだ……。俺は一人で十年間生きてきた記憶があるが、もう一つ、元原と力を合わせて二人で十年を生きてきた記憶もある。この二つの記憶が混在するのは、あの夢の中と同じだ。やはり……俺はずっと夢を見ているのか?
「急患だぁ! 急患っ!」
突然、騒ぎ立てながらいつくかの足音が暗がりからやってくる。現れた二人の男は、担いできた汗だくの男を床に横たえる。
「輝美ちゃん、また例の病気だ!」
男の一人が声を荒げると、カウンターからグラスを持って出てきた元原が、そのジュースを地面の男の口に流し込む。前髪が汗で額に張り付いた男は、苦しそうにジュースを半分ほど吐き出した。頭側と足側を持たれてまた担ぎ上げられた男は、来た方向とは逆側に運ばれて行く。
「どうしたんだ?」
俺が近づいて聞くと、元原は両手で持ったグラスを見つめながらため息をつく。
「多分……ネズミが病気を媒介していると思うの。患者を隔離した所で、ネズミは至る所にいるから意味が薄いの」
ここ数週間で、原因不明の高熱で五人の人間が死んだと輝美は言う。だが、食べ物が大量に眠っているこの場所をネズミに明け渡す訳にはいかず、ネズミを駆除する薬も無い。ネズミは自由に隙間を出入りし、人間が油断した時に噛み付いてくる。現段階で対策は不可能らしかった。
し……知らない。知らないぞぞこんな話。
ここが夢なら、この筋書きを書いている俺が必ずどこかにいるはずだ。だが、今までの夢の中のように、懐かしみながら俯瞰で過去の話を眺めている俺がいない。この先で何が起こるのかまるで見当がつかないのだ。
ここは……夢じゃ……無いのか? 俺はやはり目覚めている?
なら、元原は初めっから生きていた? 死んだ記憶の方が夢だったのか?
俺は、自分の記憶をゆっくりと戻してみる。この矛盾は、一体いつから始まっているのだろうか……。どの瞬間から、俺は夢の中で自我を持ち始めたんだ?
あの……病院を見つけてから……、病院?
そうだ! それよりも薬!
俺は、病院の地下室に残っていた薬品を思い出した。あの中に、この病気に効く薬があるかもしれない。とりあえず夢かどうか考えるより先に、治療に効果のある薬を探そう!
「待ってろ! 寝床に戻って薬を取ってくる!」
俺が踵を返して階段へ向かうと、後ろから元原の声が聞こえる。
「小野田君のボロ廃墟に、薬なんてあるはずがないじゃない?」
…………?!
俺が、病院の綺麗な地下フロアに住んでいる事を元原は知らない? 元原の知っている俺と、この俺は微妙に違うのか?
まさか……夢の中で二重に記憶があったように、未来が二重に存在しているのか?
俺以外の全員が死んでしまった未来と、俺と一緒に元原が生き残った未来?
俺が夢の中で元原を助けた事に寄って、未来が違ってしまったのか?
なら、どうして俺の記憶は元原の存在のようにすり替わらないんだ? 二つの世界を又に駆けた事によって、どちらの記憶をも混在したと言う事か?
それに、元原を助けた時に付いた腕の傷の存在だ。やはりあの夢は現実だとしか考えられない。
俺が息を切らせて戻ってきた場所には、病院の入り口が消えずにあった。未来が変わっていたので不安になったのだが、地階の様子もまるでそのままだ。
俺は水分補給もせずに、薬品倉庫へ向かう。
「だめだ……」
俺は、薬品が並んだ棚の前でうな垂れた。
薬の品質は恐らく大丈夫だろう。だが、ビンにしてもプラスチックパッケージにしても、ラベルは専門語で書かれており、何に使う薬品なのか見当が付かない。これでは完全に宝の持ち腐れだ。昔ならネットにつなげば短時間で調べられたってのに……。
「こんな時……あいつがいれば……」
医者の息子の三杉陽一だ。開業医の長男であるあいつは、医者のサラブレッドとして育てられていて、薬の名前を見るだけで効能をそらで言ってのけたものだ。スマホで調べるより早いので、教師達にも重宝されていた。
待てよ……。
三杉も、もちろんあの日に死んで、今はいない。
だが……あの夢の中に戻って助ければ、この世界に蘇らせることが出来るんじゃないか?
「まさか……まさかまさか……、まさか……」
あのMRIは、一種のタイムマシンなのか? 次元を超え、意識だけを過去に飛ばす?
そんな都合の良い考え……だとしても、俺が払う代価は一晩の夢だ。もう一度試しても良いじゃないか!
俺はMRIが置かれている部屋に戻り、ベッドに寝転んで目を閉じた。このMRIがMRIの形をしたタイムマシンだと祈りながら眠りに落ちる…………。