改憶2
一時間ほど歩くと、目の前に、いくつかの薄べったい瓦礫が地面に縦に突き刺さっている場所が現れた。これは、あの病院のエレベーターシャフトを塞ぐ瓦礫と同じ積みあがり方だ。もしかすると、地下への入り口かもしれない。
比較的浅く刺さっている瓦礫を探し、俺は両手で押す。すると、瓦礫は倒れ、土の地面が現れた。その土を何度か強く蹴ってみると、手ごたえがあり、土が砂地獄のように下に崩れ落ちて地下への階段が現れた
俺は他の瓦礫が崩れてこないか注意しながら階段を降り、日が届かない地下フロアに立った。
俺は、病院から持ち出した懐中電灯のスイッチを入れる。
「うぉっ! ……と、」
足元に、光に照らされた白骨死体が現れた。懐中電灯の光を動かすと、周囲のいたるところに同じような骸があるのに気がついた。フロアから死臭がまったくしないことから、何年も前の死体だ。そして、もつれ合うように抱き合って死んでいる様子から、病死などでは無く、同時に死を迎えたのだと考えられる。なら、これらは十年前の核に焼かれた人々だろう。
俺は、足元に気をつけながら、フロアの中ほどへ来た。
広い一本道が左右へ伸びている。幅は十メートル程だが、距離は懐中電灯の光が届かないので今のところ不明だ。これが当時の地下街跡だとしたら、数百メートルは続いているだろうか。両脇に商店跡が立ち並んでいる様子から、一般的な地下ショッピング街だな。もちろん、ガラスは割れ、壁や天井は薄汚れ、当時の華やかな面影は皆無だ。
目当てだった飲食物だが、付近の商店跡から沢山の缶詰や缶ジュースが見つかった。もしかすると、この辺りは飲食店が密集する地下街のフードエリアだったのだろうか。看板やディスプレイは焼失しているので確認する術は無いが……。
俺は、下りて来た階段の正面にあった店に入り、カウンターらしき物の前に横一列で並ぶ黒焦げの椅子に座った。そして、拾ったラベルの焼けた缶詰を一つ、カウンターの上で開けてみる。残念ながら目当ての肉や野菜では無く、中には真っ白の桃が詰まっていた。
桃缶を食べながら、俺は階段から一番に見えるこの店を、フルーツジュース屋と便宜上に呼ぶ事に決めた。店の形状から本当は立ち食いそば屋だったのかもしれないが、まあどうせ俺以外に生きている人間は訪ねてこないから細かい事を気にする必要は無い。
俺は立て続けに果物缶詰を食べた。当時の缶詰技術はすばらしかったようで、十年経っても腐っている物の方が少ない。もちろん、腐食や衝撃によって穴が開いているのは問題外だが。
俺は食べ終わると、一服もせずにまた食料を探す。懐中電灯の電池は有限だ。病院内にはまだ数本の懐中電灯が残っているとは言え、浪費は出来ない。それに、階段から差し込んでくる日の光が弱くなっている。暗くなってから瓦礫ばかりの道を歩くのは危険なので、日が暮れる前に病院へ帰らなければならない。俺は手早く辺りの缶詰やレトルト食品を集めると、ぼろ布に包んで地下街跡を後にした。
病院へ戻ってくると、俺は戦利品の中からカレーを選び、懐かしいスパイスの味に舌鼓を打った。ただ、やはりルーだけでは味が濃すぎて食べにくい。レトルトのご飯もあったのだが、残念ながら米粒が白から黒に変色しているので、遠慮をするしかない。
食事を終えてから壁の時計を見ると、丁度午後七時の飯時だった。昼過ぎまで寝ていたので、それから一仕事したらこの時間だ。しかし、夕食を、夕食の時間に食べられたなんて何年ぶりだろうか。時間どころか、動く時計すら数年は見なかった。
俺は安心からか、それともまだ疲れが残っていたからか、もう眠りたくなった。MRIの部屋へ戻り、筒型の機械に覆われたままのベッドに足元の方からもぐり込む。
ここはベッドのクッションが良いし、よく考えれば覆っている機械が天井の照明を遮って眩しくない。おまけに寝返りをうってもベッドから落ちる事も無い。ただ、起きた時に機械の存在を忘れてまた額をぶつけないようにしないとな。
俺は目を閉じ、ゆっくりと夢の中へ落ちていった。
◆ ◆ ◆
「で、小野田、昨日はどうだったんだ?」
「んんっ?」
無駄にでかい声を出す園山に生返事をしながら、俺は最後のカツを頬張る。そして残ったどんぶり飯をかき込んだ。
「とぼけるなよ。映画だよ! 川崎と二人で見に行った映画っ!」
「映画?」
俺は辺りを見回した。
正面にはテーブルを叩く学生服姿の園山、その左には三杉と木部が座っている。俺のすぐ左に元原、その隣には顔を赤らめた川崎がいる。場所は高校の食堂で、全員が昼食を食べ終えているようだった。
例の高校時代の夢か。前回は突然だったからかすぐに夢だとは気がつかなかったが、二度目の今回ははっきりと分かる。本当の俺は二十六歳で、ここは十年前の高校、そしてこいつらは当時の幻影だ。
「……ああ、指定席だけに、並ばずに入れた。ストーリーも伏線が効いていて、犯人が誰だか最後まで予想がつかない程の…」
「はぁ~~~」
聞いてきたくせに、園山は俺の感想をため息で遮った。一体何だってんだこの野郎?
隣からは、「やっぱり恋愛映画にしとかなきゃ」って言う元原の声と、「でも、当たらなかったんだもん」って言う川崎の声が聞こえる。
映画の試写会チケットは、川崎が見事懸賞で当てた。だが、多聞に漏れずペアチケットで、行けるのは二人だけ。全員行きたがるかと思っていたが、俺と川崎以外の奴等は珍しく皆都合が悪かったので、昨日の学校終わりに俺と川崎とで行って来た。
「小野田、おまえは本当に『まずまず』な人間だな」
「何だよ『まずまず』って?!」
俺が聞くと、奴は鼻の穴を膨らませながら言う。
「三杉は『出来る奴』、木部は『やれる奴』、小野田は『まずまずな奴』って事だ!」
得意気にドヤ顔をする園山を、俺は箸で指しながら言う。
「じゃあ、お前は『ダメな奴』じゃねーか!」
「にゃっ…にゃにおうっ!」
園山はテーブルに両手を突き、でかい図体で立ち上がった。
「俺はお前より先にいってやるからなぁ!」
「先ってなんだよ?」
訳の分からない言葉に俺がぽかんとすると、園山の視線がなぜか俺の隣の元原に向けられたようだった。
「アディオス! アミーゴ!」
不意にそう叫ぶと、園山はどんぶりの乗ったお盆を持ち、食器回収口へと走っていった。
「な…なんだあいつ……?」
俺が唖然として見送っていると、斜め前に座っていた三杉が眼鏡のブリッジを押し上げながら立ち上がる。
「ふっ……青いな」
「なっ…なにがだよ?」
俺の問いには答えず、三杉は口元を緩ませながらお盆を持って去っていく。木部は木部で、「俺の作戦が台無しだ」とか、妙な事を言いながら三杉の後を歩いて行く。
「気味の悪い奴らだよな……?」
俺が元原に言うと、こいつは俺に苦笑いを返す。夢だからか、全員の反応が不自然だな。
そろそろ昼休みも残り少ないかと食堂の時計を見ると、五時間目の授業開始まで二十分を切っていた。次の時間は体育なので、日直の俺は職員室で鍵を借りて、昼休み中に体育用具倉庫の鍵を開けてこなければならない。
「じゃ、俺もそろそろ……」
俺がお盆を持って立ち上がると、元原も慌てて横で立ち上がる。こいつも今日の日直だから一緒に鍵を借りに行かなければいけない。
俺と元原は食器を返すと、川崎と別れて職員室へ向かった。
一見、高校時代のいつもの日常だ。
だが……待てよ。川崎と映画?
そうだ。この日は……最後の日だ。
俺が体育倉庫へ行くために校舎を出た瞬間、弾道ミサイルによって学校が吹き飛ばされた。学生達は俺一人を残して全員死亡し、火の海となった街の住人も全滅に近かった。俺の両親も仕事先から帰ってこず、俺がホームレスの生活を送り始めて数日後に世界大戦が始まったんだと噂で聞いた。
「失礼しま~す」
元原がそう言って職員室の扉を閉めた。俺は手の中の鍵を見つめ、唇を噛みながらそれを強く握り締めた。
「何それ? おまじない?」
「あ……いや……」
俺はごまかすためにそっぽを向いた。元原は俺の横を歩きながら、人差し指で俺の頬を突っついてくる。
「知ってる? 杏って試写会のチケットを当てるために、何ヶ月も前から応募しまくっていたらしいよ?」
「ふ~ん。川崎はそんなに映画好きだったのか。それは知らなかったな」
「ちぃ~がぁ~うって! そっちじゃないっ!」
元原のタックルを腰に受け、俺はよろめいて廊下の壁にぶつかった。
俺は舌打ちをしてから、腰をさすりながら元原に言う。
「痛ってぇなぁ」
「小学生並の経験値ねっ!」
「なに言ってんだ。俺は二十六歳だぞ」
「……それってボケ? 意味分からないんだけど」
踏ん反り返っていた元原は肩をすくめ、そのまま階段を下りて行く。体育用具倉庫へは、一階に下りて靴箱を横切り、非常口から出るのが最短だ。
しかし、幻影だと思っていた過去のこいつらだが、俺が唐突に現実世界の事を口に出しても対応出来るんだな。それならば、この後のストーリーを変えてみたらどうなるのだろうか? 一度経験した話を、またなぞるのもつまらない。夢なら、俺を楽しませてくれても良いんじゃないか?
一階の廊下を歩く途中、下足場に差し掛かった。そこでは俺の記憶通り、園山がいる。奴は俺達に気がつかないようで、手紙のような物を握り締めながら深刻な顔で靴箱の前を行ったり来たりしている。
「何してんだあいつ?」
俺の口から自然と言葉が出た。
この世界は、俺が意識しなくても過去の立ち振る舞いや考えが再現される。高校時代の俺に、十六歳と二十六歳の二つの魂が共存している感じだ。
「ふっふ~ん」
元原は、口を横に広げてなにやらしたり顔だ。園山がうろうろしている理由を知っているのだろうか?
「ごめん小野田君! 倉庫を任せても良い?」
「まあ、鍵を開けるだけだから二人もいらないけど……」
俺はここで元原を行かせ、一人で校舎を出る事になる。爆撃の後、炎が収まってから下足場へ戻ったが、二人の骨すら発見出来なかった。
「って言うとでも思ったかっ! やっぱりダメだ!」
俺は元原の肩を掴んで引き寄せた。
「え~、かたぁ~い!」
元原は頬を膨らませてぷんすか怒っている。その後ろでは、園山が持っていた手紙を誰かの靴箱に入れたようだった。確かあの位置は……元原じゃ無かったか? 園山が手紙を元原へ?
「……なるほどな」
「なぁ~にがなるほどよっ! この、なるほどマンっ!」
元原は、廊下をつかつかと先に歩いて行く。
園山の握っていた手紙、あれはラブレターってとこか? そうか、園山は元原の事が好きで、元原はそれに気がついてたって所か。今までそんな様子を見せなかった二人だが、俺の鋭い勘は欺けないぜ。……しっかし、ラブレターとは古風だな。まあ、園山らしいか。未だにスマホを使いこなせないくらいだしな。
俺は、元原の背中を見ながらにやりと笑った。
くっつき合う二人の運命を変えてやった。もちろん友達なので本来は協力してあげるべき事なのだが、ここはどうせ夢の中だ。なら、途中はコメディでも良いんじゃないか? どうせ、この話は凄惨な結末を迎えるんだしな。
ドガ――――ン!
耳を劈くような爆発音がした。同時に、廊下に並んでいたガラスが破裂するように全て割れた。
な……何っ?! ミ…ミサイルかっ?! そんな、早い! 俺が校舎から出た後だったんじゃないのかっ?!
過去の映像を思い出そうとしたが、俺が崩れる学校を見ていた場面が強烈で、十年間の間に前後の記憶があやふやになって来ているようだった。
引きつった顔で振り返った元原は、揺れる廊下に足をとられて転んだ。俺は走り寄って元原を抱き起こし、二人で突き当たりの非常口へ走る。
ドガ――――ン!
来た! 一発目とは違い、二発目は学校への直撃弾だ。校舎の崩れる音と共に、数百人の悲鳴の合唱が巻き起こる。
走る俺達の前に、分岐路が現れた。左は別校舎への渡り廊下、まっすぐ行けば非常口だ。
元原は一瞬俺の顔を見て目でどちらにするか合図を送ってきたが、俺は方向を変えず一直線に進む。校庭隅の茂みは絶対安全なはずだから、そこへは非常口から出るのが一番近い。夢の中とは言え、わざと違う道を選んで元原が死ぬ姿なんて見たくも無い。
グラッ
何っ?!
廊下の右側の壁が倒れてきた。厚さ三十センチ、幅五メートルのコンクリートだ。俺の記憶にこの障害は無かったぞ。夢だからって、HARDモードに設定したのか?
「元原ぁ!」
俺は右手で奴を突き飛ばした。元原はつんのめって転がったが、壁が倒れてくる範囲からは逃れられたようだった。それを確認した俺に、右から壁が寄りかかってくる。
ふふっ……。
これなら、俺の代わりに元原が生き残った未来になるな。生の魚が嫌いだとか、野菜が苦手だとか今までみたいに言ってられないぞ。なんせ、トカゲや昆虫、雑草を食わなければ生きていけない世界になってしまうからな……。
ドンッ
「えっ……?」
俺の背中が何かに押された気がした。元原の隣にでんぐり返しをして転がった俺を、先に立ち上がった元原が引き起こす。
「大丈夫?! 小野田君!」
「ああ……」
後ろを見ると、大きなコンクリート壁が倒れ、廊下一面を塞いでいた。
今のは……背中にコンクリート片でも当たったのか?
「……行くぞ元原!」
「う…うん!」
非常口から出た俺達は、校舎から離れる。
黒い煙を上げる学校、燃え盛る街、あの日俺が愕然とした光景とまったく同じだ。
俺はこの日から、両親も友達も全て失った一人ぼっちの生活を送る事になる。
「小野田君……ありがとう……」
元原はそう言いながら、ハンカチを俺の右腕に巻きつけた。ハンカチが真っ赤に染まった時、俺はようやく自分の右腕の肉がえぐれている事に気がついた。
どうせ夢の中だから大丈夫、と言いかけたが、元原の涙を見て俺は口をつぐんだ。