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チャプター30

世界は、こんなにも美しい輝きに満ちていて、こんなにもキラキラした空気に包まれている。

私は、こんなにも充実した毎日を送っている。

忙しいけれど、満たされていて、欠けたところがない。

それが、幸せだった。

いや、これを、幸せと呼ぶのだろう。


漠然とした概念についている名前なんて、誰かが定義付けして初めて実体を持つようなものだ。私が今の自分の生活を、そして置かれている状況や環境を幸せと呼ぶのだから、これが『幸せ』の定義なのだ。



この世界に降り立って、後悔した事なんか、一度もない。


世界各地を回った末、この街に来たのはいつの事だったっけ。

大都市は流れ者にあまり大きな注目を浴びせない。人の出入りなんていうものは、あって当たり前なのだ。お城に仕官したい若者、人の多い街で稼ぎたい若者、理由はどうあれ、出自も老若男女も問わず、とかく国中から人も物も集まるのが、都市であり、その最たるものが、王都と言うところだ。

だから、最初にこの街に来た時も、街のみんなはあっけなく受け入れてくれた。

幸い、ここへ来るまでの道すがらで、人間としての人付き合いにも自信があったから、気さくな人とはすぐに親しくなれた。そのお陰であっという間に土地とお店を貸してくれたし、そんなに時間をかけずにその借用権を買い取って、晴れて土地とお店を自分の物にできたのも、そういう人付き合いのおかげである。

そもそも、この街で暮らす誰よりも長く生きているのだから、人生経験だけで言えば、段違いなのだ。


だけど、結局は、お金だけじゃ成立しないし、人付き合いだけでも成立しない。そういう世界なのだ。長く生きてきた中で、それを一番強く実感できた。


力だけが支配するような世界とは、全然違う。

でも、それがよかった。


色んな人の喜怒哀楽に触れて、自分もその中に加わって、てんてこ舞いの人間関係に巻き込まれて、だけどそうやってこの街での居場所を作って来た。

だから、この街のみんなには、感謝してもしきれない。

みんなみんな、本当に大好きだ。


人間の街なんて、本来の姿でなら本気を出さずとも一瞬で壊滅させられるけど、そんなこと、考えもしない。今の自分は、しがない食堂の主。人間の小娘なのだ。

これは全部、好きで選んだ道、好きで移り住んだ街、何一つの後悔もない。



世界じゃ、魔王が復活したとか、その討伐のために勇者が旅立ったとか、そんなうわさ話も聴こえてくる。でも、それも関係ない。今この暮らしと日々の生活が確保されれば、それで満足なのだから。

そして、そんなささやかな日々の中、時々でも何か事件が起これば、もうそれだけで大冒険だ。きっと、それを楽しむのが、充実した人生なんだろうと思う。

もちろん、何かがあったその時には、生まれ持った力で災いを払いのける。そういう力がある事も、安心して日々を楽しめる理由なのだろう、とも思う。

それは、酔っ払いのならず者が暴れてるだけかもしれないし、凶悪な殺人鬼が現れてしまうかもしれない。でも、もっと言ってしまうと、街に魔物が襲ってくるかもしれない。そんなことにでもなったら、街のみんなじゃ対処できないかもしれない。そんな時、自分はもちろん、大切なこの街と、そこに暮らすみんなを守ることができないなんて、とても辛い。だから、そのためなら、全力で闘おうって思える。



もし正体がバレたら、なんていう不安だって、ないわけじゃない。でも、今まで築いて来た信頼がそう簡単に崩れるなんて、信じたくはない。それに、街の皆に牙を剥くわけじゃないんだ、私は私、みんなのことが大好きだってことに変わりはない。この気持ちだけは、なんとしても伝えてみせる。

できるかどうかは分からないけど、覚悟だけはある。

たとえ石を投げられたって、街を追い出されたって。それは悲しいことだけど、それでもきっと、みんなのことは、嫌いになんてなれない。私は、そういう”人間”だから。



だけど、もしものことを考えるより、まずはしがないこの生活を守って行かなくちゃ!

売り上げは順調。集客も順調。生活に困るような閑古鳥はいないし、かと言って、手に余るほどの、捌ききれないほどのお客さんも来ない。決して贅沢はできないけれど、この手で対応できるだけのお客さんに恵まれているなんて、こんなに幸運な事はない。

大事に大事に、この生活を続けて行こう。



それと、感謝してもしきれない友達たちも、大切にして行かなくちゃ。みんなみんな、私の事を好いてくれている。相手の感情がどうであれ、その気持ちが本当なら、それはとっても嬉しいし、自分なりの形で、全力で返したい。

色恋沙汰は正直どうでもいいし、「好きだ」なんて告白されても困るけど、鈍いフリをして手玉に取るのも面白いかもしれない。いや、それはそれでひどいかな? そんなことを考えるだけで、なんとなく楽しくなって来るじゃないか。

そういう気持ちに応えることはできないけれど、程よい距離感で付き合っていけたらいいんだろう。そのうち、ぴったりな着地点が見つかるのに違いない。



あぁ、やっぱり人間の世界は面白い。

あの日あの時あの場所で、私の考えを否定した家族には、今のこの気持ちをどうして伝えてやろうかとすら思う。

竜社会には手紙なんて文化はないし、考えてることを相手の頭に送るような、そんな都合のいい手段もないし、ましてやそのためだけにわざわざ巣まで里帰りするつもりも予定もないんだけど。

でも、竜社会を捨てて人間社会に出てよかった。この街に来て、暮らすことに決めて、本当に、よかった。だから、人間社会に興味を持った事は、正解だった。

この気持ちに、嘘はない。



これが、今の私。

そしてきっと、これからも変わらない。

人間と一緒にざっと三百年以上は生きて来て、全然変わらなかったんだから、きっと変わりようがない。

それに、もし今後私の価値観を根底から覆したり揺さぶったりするような大きな出来事が起きたなら、それはそれで面白いじゃないか。どんな出来事が起こって、自分の気の持ちようがどう変わるのか、変わらないのか。想像もつかないことは、ワクワクするばかりだ。

そんな風にすら思う。

だから、これでいいんだ。日々の身の回りで起こる事を、ありのままに。できるだけ楽しく幸せになるように、悲しくならないように。精一杯の努力をして、享受しよう。



世界なんて大きな話じゃない。これは小さな小さな世界の話だ。まずは自分が幸せになって、その上で、ほんの少しでもみんなの幸せに貢献できるら、こんなに嬉しいことはない。

自分にできることなんて、本当に小さいことだけど、それでも、そのほんのわずかでも、自分の存在が寄与してくれるのなら、本望だ。

なんてこと、恥ずかしくて面と向かってはとても言えないし、自分がみんなの幸せの一助になれてるかどうかなんて、とても訊けやしないけど。

でも、お店に来てくれるみんなの表情は明るくて楽しそうだ。たとえ楽観的だって言われても、それが答えなんだろうと思いたい。

だけど、沈んだ表情の人がいれば、少しでも楽しい気持ちになって欲しいし、悲しいことのあった人がいれば、少しでも支えになってあげたい。

自分の料理と笑顔でそれができるなら、いつまでだってお店を続けるし、少しでも美味しい料理を提供できるよう、これからも頑張っていく。



どうかどうか、この街とみんなが幸せでありますように。



ーコッペパン通り 竜の紅玉亭店主 エルリッヒー





〜お・わ・り〜

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