チャプター3
ー竜の紅玉亭ー
窓も開けないまま薄暗い店内、エルリッヒは一人机に伏せていた。そばには、ワインの小瓶が置いてある。
「はぁ……ちょっと言い過ぎちゃったかな」
ゲートムントをひっぱたいた後、その足で帰って来てしまった。結局、どこに行ったらいいのか分からず、ここに戻る事しか浮かばなかった。落ち込んだ気持ちを少しでも紛らわせようと、棚からお酒を取り出してみた。
初めてこの街に来た時にお世話してくれたコーレルおじさんのお勧めである「ベルク・カッツェ」は、南方で造られる「シュバルツェ・カッツェ」と並ぶ人気レーベルだ、美味しくないわけがない。のだが、普段お酒を飲まないエルリッヒには、まだまだ美味しいとは思えず、喉が焼けるばかりで、気がまぎれるどころではなかった。
「ゲートムント、どうしてるかな。落ち込んだり、嫌な気持ちになってなきゃいいけど。それに、私、嫌われたかな……」
傭兵や冒険者の気持ちや生き方を考えれば、「命あっての物種」という言葉はとても軽くなる。それを考慮すれば、あんな言葉、通じるはずがないのだ。それでも、友達としては心配しないわけにはいかない。
激しい葛藤があった。
「はぁ……」
傷付けたかもしれない。嫌われたかもしれない。そう思うと、やり切れない。友達を失う事の寂しさ、この街で孤独になる事の意味の大きさ、それが分かっているだけに、とても気まずい。
「ツァイネ君も、どう思ってるのかな……」
生え抜きのエリートでもない癖に異例の大抜擢で騎士団の親衛隊にまで入り、その経歴をふいにしてまで傭兵の道を選んだツァイネとは、妙にウマが合った。堅苦しい世界を嫌がって自由を求めた所が似ているのかもしれない。
だから、今まで友達として過ごして来たし、傭兵としての生き方も応援して来た。さっきツァイネが自分の事を好きだと聴かされた時も、嫌な気はしなかった。だが、今回の依頼を全力で止めたと知ったら、どう思うだろうか。考え直してくれるだろうか、気持ちが離れてしまうだろうか。
それを考えただけで、恐ろしい。
「ツァイネ君……嫌わないで! みんな……みんな……!」
机の上に伏したまま、頭を抱えて泣き出してしまった。それほどに、ツァイネの事を、いやそれ以上に、この街の皆の事を大切に思っていた。
泣き声は、誰に聴かれる事もなく、店内に響き渡った。
「……物音?」
しばらくして、涙も枯れたと思った頃、外からガタゴトと音がした。なんだろうと、立ち上がる。伏せってばかりもいられないので、ちょうどいいきっかけだったのかもしれない。
盛大に泣きはらした後だから、きっと酷い顔をしているだろうと思ったが、生憎と手鏡のような高級品は持っていない。せめて女友達が側に居ればよかったのだが、そうもいかない。仕方なく、そのままで様子を確認しに出る。
「……何? あ、ゲートムント……」
外には、ばつが悪そうな顔で経っているゲートムントがいた。手ぶらで、何より不用心にも、鎧を着ないままだった。もしかしたら、あのままギルドに置いて来ているのかもしれない。
追いかけて来てくれたにしては時間が経っている。きっと、ゲートムントとしても気まずい思いをしていたのに違いない。そう思うと、顔を合わせた直後の気まずさも和らぐ。
「エルちゃん……」
「来て、くれたんだ……」
まだまだ気まずさは残ったが、少なくとも、嫌われてはいないようだ。それだけで、嬉しくて飛び上がりそうになる。もちろん、心の中で飛び上がるに留めたが。
「さっきは俺も意地を張りすぎたかなって。せっかく心配してくれたのに」
「ううん、こっちこそ、みんなの気持ちを考えたら命を顧みないで挑む事もあるのに、それを考えてなくて、ごめん」
二人とも、考える事は同じだったようだ。気まずさが晴れて、気恥ずかしさが生まれて来る。自然と、笑顔になっていた。
「なんか、お互い様って感じだな。」
「そうだね。ところで、ツァイネ君は?」
そろそろ目が覚めただろうか。そう思って尋ねるも、ゲートムントは首を横に振るばかり。そうか、思ったより、傷が深いのかもしれない。いずれにしろ、一度ギルドに戻った方が良さそうだ。
「そっか。でも、一度ギルドに戻った方がいいかもしれないね。向こうで今後をどうするか話し合おう」
「そうだな。それに、そろそろツァイネも目を覚ましてるかもしれないし」
そうと決まれば後は早い。エルリッヒは再び店の扉に鍵をかけ、今度はゆっくりとした足取りでギルドへと向かった。
ギルドに着いて、真っ先に向かったのは医務室。ベッドに横たわっているツァイネの事がまず心配だった。まだ目覚めてはいなかったが、幸い、寝顔や寝息は穏やかだ。
「先生、ツァイネ君はどうですか?」
「そうだな、もうすぐ目を覚ますんじゃないかとは思うが。傷は浅い、後は彼自身の疲労との闘いだろう。よほど無理をしたのに違いない。ゲートムント、お前さんなら、思い当たるんじゃないか?」
「思い当たるも何も、死線を越えてきましたから。ゆっくり休ませてやりたい所です」
「ゆっくりだなんて……休んでられませんよ。先生、俺はどうなってたんですか。それに、なんでエルちゃんが…」
話し声が目覚ましになったのか、ツァイネが意識を取り戻した。まだ少し辛そうだったが、概ねでは回復している様子だ。これには、三人ともほっと胸を撫で下ろす。
「詳しい話は後だ、今はゆっくり休め。お前の方が、傷が深かったんだし」
「悪い。じゃあ、後で色々聞かせてもらう事にする。けど、ゲートムントも休んでよね。俺をここまで運んでくれたんでしょ? ありがと。それと、エルちゃん、こんなとこだけど、顔を見れて嬉しいよ。先生も、ありがとう」
「こんなとこってのは、余計だけどな。とにかく、二人とも、今は休め。そっちにベッドもある」
医師は手慣れた様子でてきぱきと指示を出して行く。こういう事はお手の物なのだ。
「それからエルちゃん、君は一旦帰った方がいい。また明日にでも来なさい。その頃には二人とも元気になってるだろう」
「はい、そうですね。じゃあ、ゲートムントもしっかり休んでよね。今後の事を話し合うにしろ、元気になってもらわないとなんだし。今日と明日、お店を休んじゃう分の補填は、しっかりしてもらうからね」
少しも迷惑そうな顔を見せないまま、にっこりと微笑んでゲートムントのたくましい胸を叩いた。
「ってぇ。俺だって一応怪我人なんだぜ?」
「あははー、そういえば。じゃ、また明日ね」
話し合いは明日でも遅くない。ゲートムントも、依頼の期日までにはまだ時間があると言っていた。今はみんな、休む時間と言う事なのだろう。エルリッヒ自身も、正直気疲れしていた。体は元気だが、今はゆっくり休みたい。
まずは二人が元気で安心した。そして、二人とも自分の事を嫌ってはいなかった。その事が、とても嬉しい。
ギルドを後にするエルリッヒの足取りは、とても軽かった。
ー竜の紅玉亭ー
お店に戻ってくると、何をするでもなく座ってしまった。気持ちは晴れやかだったが、どうにも気だるい。あんな言い合いの後で、おそらくひどい顔をしていて、そのまま二人の前に出てしまった。それを思い出すだけで、どうにも気恥ずかしい。
「気付かれたかな、それとも、気にしないでいてくれるかな」
相手はおしゃれには無頓着なイメージのある二人だ。ひどい顔をしていてもあまり気付かないかもしれない。だが、女の子のたしなみとしてどうだ。自分の顔を確認する手段が思い浮かばなかったとはいえ、とんだ失態だ。
いくらしがない食堂の主といえど、年頃の娘。もっともっと、気をつけなければ。
「よし、まずは顔を洗おう!」
おもむろに井戸に向かうと、勢いよく水を汲み上げ、顔を洗う。冷たい水が気持ちを引き締めてくれるとともに、ひどい顔も、これで少しはましになったのではないか、と思う。
少なくとも、二人は元気になった。自分の事を無理解な人間と嫌うようなそぶりもなかった。とても喜ぶべき事ではないか。この前向きな事実を後押しする、いい刺激になった。
「よーし、今日はしっかり休むぞー!!」
気合いを入れ直すと、再び店内に戻った。休むと言ってもただダラダラするのは性に合わない。早速厨房に立ち、手持ちの食材を保存食に加工して行った。仕入れた食材のうち、あまり日持ちのしないものは、こうして加工しておくのだ。そうする事で、無駄にする事なく、なおかつ保存食の類は酒のちょっとしたおつまみにちょうどいい。
「よっし、お肉に野菜に魚に、これは塩漬けにしたし、後は……果物か。こっちは日持ちのするお菓子にしちゃうかなぁ」
生ではさすがにあまり持たないが、焼き菓子に加工してしまえばいくらか持つ。ドライフルーツを作るほどの手間もいらず、後で自分で食べてもいい。作ったところでお客さんに出すようなものではないから、お裾分けに近所の女性たちに配るか自分で味わうかなので、作る上でも気楽だ。
「さて、小麦と卵と……」
材料をするその姿は、すっかりいつも通りのエルリッヒだった。明日の話し合いは確かに気になるが、今は目の前の事に集中していたい。嬉しい気持ちは、こうして昇華させるのが一番だ。
いつしか、明るい鼻歌が聴こえていた。
〜つづく〜