チャプター29
ー竜の紅玉亭ー
お店のドアが開くと、中からは店主の明るい声が響いて来た。
「いらっしゃーい! あ、ハインツのおじさん、こんにちは〜。って、仕事は?」
赤毛の店主は明るい笑顔で来客を迎える。がしかし、それが顔なじみだったからか、すぐに怪訝な表情になる。店内はにぎわっているが、仮にも世間は仕事をしているような時間帯だ。
「今日は終いだ。いい材木が手に入らなくてな。俺たち職人稼業は、素材ありきだからお手上げよ!」
ハインツと呼ばれた中年男性は、豊かなひげ面をにこやかに歪めた。口ぶりからは開店休業を余儀なくされたような気配が漂っているが、表情も声色も、とても明るい。開き直っているのか、ここへ来る事を楽しみにしていたのか。
「そのくせ楽しそうだけど?」
「ま、たまには休めってこった。神様がそう言ってるんだろうよ。カミさんにもそう言われたよ」
職人通りに住むハインツは、家具などを造る職人だ。素材にこだわった仕立ての良い家具は、王都中の人間に人気で、安価な物から高級品まで扱っているので、城からの受注もある程だった。だから、普段は大忙しなのである。「いい材木が手に入らない」というのは言い訳でも何でもなく、体を休めるちょうどいい理由だった。そして、そんなたまの休みを利用して、こうして昼間から「竜の紅玉亭」へと繰り出していた。
中では、まだ昼前だというのに、すでに酒飲み仲間が集っていた。みんな、何かと理由を付け今日の仕事を休んでいた。久しぶりに営業再開した事を喜び、我先にと押し掛けているのである。
「ま、まずは座ってよ。注文は?」
「そうさなぁ。んじゃ、まずは軽めの酒と、つまみをくれや」
ハインツは空いてる座席を見つけると、そこにどっかと座った。店主は注文を聞くとその足で厨房に引き払い、すぐさま戻って来た。手には、小さなワインボトルとグラス、それに乾き物のおつまみがあった。普段から、ここへ来る客の大半はこういう注文の仕方をするので、予めすぐ出せるように仕度が整っているのである。
もちろん、ハインツは常連客、好みもばっちり把握していた。
「お、相変わらず速いね。ダンケ!」
「いえいえ〜。ハインツのおじさんは常連客だから」
本気とも営業用とも取れないとびきりの笑顔で、給仕に花を添える。みんな、おいしい料理と酒だけでなく、この笑顔を見に、そしてこの店主との会話を楽しみにこの店に来ていた。王都に数ある食堂の中でもずっと変わらず一定の人気を誇り、一定の売り上げを維持していられるのは、ひとえに店主の人柄による物が大きかった。
「さって、んじゃ、落ち着いたら改めて注文してね」
「おう!」
ハインツは嬉しそうにワインを注ぐと、早速飲み始めた。店主はそのまま他の客の注文を取りに行く。
お店は、賑わっていた。
ーギルド内・受注カウンターー
ギルド内はいつもながら鎧を着込んだ無骨な男達でにぎわっていた。その中に一人だけ、鮮やかな青く輝く鎧を着た、少し華奢で優しい面差しの少年がいた。鎧の美しさだけでなく、背丈の低さや表情の柔らかさなど、明らかに場違いな雰囲気だった。
「ね、今来てる依頼見せてよ。何があるの?」
少年は受け付けのエリザ嬢に話しかける。その瞳は、まるでこれから冒険にでも行こうかと言う少年のように輝いていた。
「今の依頼? ん〜、ちょっと待ってね」
エリザ嬢は身を屈めてカウンターの中に置いてある依頼一覧を取り出した。帳簿には情報がぎっしりと書かれているが、内容、期日、依頼主、報酬などが綺麗にまとられてあり、見にくいという事はなかった。少年はそれを受け取ると、一つ一つにじっくりと目を通して行った。
「どう? 受けられそうなのある? 私の独断で受注可能ランクも付けてあるけど」
ギルドには、安全に依頼をこなしてもらうために、登録している冒険者や傭兵一人一人にランク付けをしていた。これは、実力と実績で決められるのだが、少年のランクは比較的高いものだった。彼に受注できない依頼はほとんどないと言っても過言ではない。そのため、依頼にランク付けがしてあっても、ほとんど気にしなくてもよかった。
「ま、ランクで依頼を諦める事はないっか」
「そうだよ〜。エリザちゃん俺のランク忘れたの?」
二人は軽く笑い合う。彼はこのほど、大きな依頼を成し遂げ、ランクが一つ上がったばかりだった。これ以上に高いランクと言うと、よほどの手練でなければ保有しておらず、彼が受注できない依頼となると、単独での悪魔の討伐や、近隣国の魔物討伐遠征への指揮官級での加勢など、大きな依頼ばかりだ。
特に、世界から魔法の力が失われて百年とちょっと、それを使いこなす悪魔との闘いは、危険極まりなかった。これらを受注するのは、教会付きの騎士や、そこを脱退した戦士たちが扱う、銀の武具がなければ難しいだろう。戦士としての能力だけでなく、装備品までが問われるものばかりだ。
「じゃ、帰って来たばっかりだし、これにしようかな。ナンバー267の、隣の森の狼退治」
少年は依頼簿の片隅を指差して、依頼を受注する。
「あぁ、それ? 最近あそこの森に狼が増えて夜も眠れないって言う依頼で、追い払ってくれればそれでいいみたい。でも、大丈夫? 数が多いから一人だと大変じゃない?」
「も〜、エリザちゃん、俺を誰だと思ってるのさ。ツァイネ君と言ったら、王立騎士団親衛隊出身だよ? 伊達や酔狂でやってるんじゃないんだからね!」
その口ぶりの可愛さが不安にさせるのに、という言葉を必死に飲み込んで、エリザ嬢は帳簿に受注者の名前を綴った。本当は二名以上で受けて欲しかった、という言葉や気持ちも飲み込んで。
「はい、依頼受注完了。三日以内に、狼を追い払ってね」
「おっけー。まかせてまかせて」
少年は、軽く手を振ってカウンターを離れた。
「本っ当、弟みたいなんだけどねー」
エリザ嬢の言葉が、小さく響き渡った。
ー同ギルド内・食堂ー
ギルドに併設の食堂内は、いつもにぎやかだ。普段から多くの戦士が集い、街の食堂よりも安く提供される料理に舌鼓を打ち、それぞれ依頼の自慢や武勇伝、それに情報交換や共に依頼をこなす仲間探しなどをしている。
だが、今日は少し違っていた。槍を手にした黒髪の青年が、しきりに何かを話している。時折、槍を振り回したり、真紅の鎧を持ち上げたりしているので、恐らくは武勇伝を披露しているのだろう。
この手の話に付いて来る聴衆は、友人の話として楽しく聴いている者や、自分の冒険のヒントがないかと思って聞いている者、そして大げさに盛った話かもしれないと疑いながらも、やはり楽しく聴いている者などがいる。ギルドに集う戦士たちは、命をかけた依頼をこなす者同士、ライバルであると同時に、その多くが固い友情で結ばれていた。
「んでな? 俺はそこでこの槍を振りかざして、ドラゴン相手に一突き! そしたらどうだ! 俺の見事な槍さばきと、この槍のすげー力でドラゴンはひるむじゃないか! 身の丈の何倍もあるドラゴンがだぜ?」
話に熱が入っているのか、テーブルの上に立ち上がらんばかりの勢いで、漆黒の槍を振り回していた。聴衆も皆屈強な戦士だから、安全に気を遣わなくていいのが気安い。
「なあ! その槍、まじでその値段で買ったのか? ていうかさ、前の槍はどうしたんだよ。なんの変哲もない槍だけど、俺の愛用なんだよ、とかなんとか言ってなかったか?」
「おうよ! あの槍もいい槍だったんだけどな、雷が落ちて真っ黒こげになっちまったんだよ。で、村で新調しようとしたら、俺がドラゴン退治に来たって知った店のおっちゃんが売ってくれたんだよ。なんでも、自分が使うために造ったんだけど、俺に託してくれたんだとよ。ま、世代交代としちゃ、こんなにいい槍はねーよ」
青年は槍使い。槍の話になると見境がなくなる。だが、その槍の強さは本物だった。戦士とあれば、強い武器に興味を示すのは当然で、槍を使わない者も興味津々だった。
「でもよー、ドラゴンに効く不思議な力って、なんなんだよ。一時的に自然の力を使う武器とか、自然の力が宿った宝剣ってのは聞いた事あるけど……」
「悪いな。こればっかりは俺もさっぱりなんだよ。ただ、赤黒い不思議な雷が出てよー。ドラゴンが辛そうな顔をしたんだよ。なんの力なんだろうな、これ」
槍をブンブンと振るってみても、件のエネルギーは出て来ない。一体何が原因なのか。どんな力なのか。それは謎のままだった。
「だけど、これからも俺は活躍するぜ? お前らが追いつけないような高みにな! ほれ、この鎧だって、特注品だぜ?」
「おーおー、その鎧、竜の鱗で造った鎧なんだろ? なんかすげーな」
青年は真新しい鎧を見せびらかした。
「そうだろ〜? 倒すのに苦労した分、報酬もでかいってな。ま、それだけコストも掛かってるんだけどな。けど、今までの鎧より軽いくせに防御力は高いし、何より炎や氷にも強いんだと。それよりも何よりも、かっこいい!」
竜の鱗をはじめとした竜の素材で造られたその鎧は、今までの無骨な鎧と違って、装飾性も高かった。戦士たるもの見た目にこだわれ、とは誰が言ったのか忘れたが、彼の装備はその見た目と性能、そのどちらにも優れていた。
「お前らも、このゲートムント様の活躍を見てろよ! でも、いつでも相棒受け付け中だからな」
さりげない売り込み。自分一人だけでなく、仲間と共に成長する。それがこのギルドの良い所だった。食堂の面々は大きく涌いた。
ー再び竜の紅玉亭ー
「ねえ、今日のお勧めは?」
男性客から、とてもアバウトな注文が入った。
「お勧め? ん〜、そうだなぁ。じゃ、こんなのはどう? 北にあるハインヒュッテの村で仕入れて来た、名物料理!」
「お、いいね〜。そういうのを待ってたんだよ。お休みした分を取り返す料理、期待してるからな!」
男性客は嬉々として拍手を贈った。店主はそれを受けて、元気よく腕まくりをしてみせた。
「エルリッヒさんの新作料理、とくと味わってよね!」
お店は、活気に満ちていた。
〜つづく〜