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チャプター1

世界は、こんなにも美しい輝きに満ちていて、こんなにもキラキラした空気に包まれている。

私は、こんなにも充実した毎日を送っている。

それが、幸せだった。


この世界に降り立って、後悔した事なんか、一度もない。




ー竜の紅玉亭そばの井戸ー




「ふぅ」

 なみなみと水の入った桶を足下に置くと、エルリッヒは右腕で額の汗を拭った。



 朝、ここケーニヒスブルグの街は活気に満ちていた。通りには朝市が立ち並び、朝の家事を終えた主婦達が集い、男達はめいめい職場へ向かう。職人通りでは、工房に向かう屈強な職人達が行き交い、酒場では、雇い主を捜す傭兵達が集まり、ギルドでは、依頼を求めて冒険者が集い、城では兵士達が朝の訓練を行っている。

 城壁に囲まれたこの街は、奥手にこの国を統べる王城を擁している事もあり、内陸でありながら国内最大の都市だった。王は治世に励み、その一方で、沿岸部の貿易都市が首都であるケーニヒスブルグよりも大きくならないよう、商人が力を持ちすぎないよう目を光らせ、商人達はそんな国のルールを少々不満に思いながらも、自由に商売に励んでいた。

 ある者は山へ鉱物や山菜、材木などを求め、ある者は海に海産物を求め、またある者は、街から街へ、貿易を。そんな彼らを脅かすのが、魔物や盗賊といった存在である。

 それらから商人達を守るのが、冒険者や傭兵の存在であった。ある者は各地の城に勤めていた正規の兵士、ある者は独自に訓練を積んだ勇者、皆それぞれの経歴を背負い、己の武器を活かすため、もしくは一攫千金を目指し、酒場やギルドと言った、仲介所に集っていた。

 そんなこの国この街で、エルリッヒは観光客の多く通る「コッペパン通り」の一角で、小さな食堂を経営していた。見た所、年の頃は二十歳にも満たない様子で、仕事の邪魔にならないようポニーテールに結わえた赤毛を揺らしながら、その細腕を振るっていた。

 客の入りは上々で、地元の常連客から観光客、それにしょうのない飲んだくれのおじさんまで、ありがたい事に店内はいつもにぎわいに満ちていた。

「さてと、今日も買い出しに行かなきゃ!」

 桶の水を厨房の鍋に流し込むと、その足でお財布を持ち、台車を引きながら「じゃがいも通り」に繰り出した。「じゃがいも通り」はエルリッヒのような、商売をする人間が利用するお店の集う、いわば卸売り業者の集まった一角だ。

「よいしょ」

 ガラガラと台車を引いて歩いていると、他の通りではとても目立つのに、ここではあまり目立たない。何しろここの客は食堂や宿屋の人間ばかりなのだ。みんながみんな、こうして台車を引いたり、あるいは馬に荷を引かせるために、馬を引き連れていたりする。そして、数をたくさん買う事が前提の買い物なので、この通りの商品は軒並み安かった。だから、通りは人と荷台でごった返していた。

 といっても、それはいつもの事なので、誰一人として、文句を言う事はないのだが。

「おばさーん」

 まず、一番日持ちのする保存食のお店から覗く。

「あら、エルちゃんおはよう。今日もいい天気ね」

 エプロン姿で恰幅のいいおばさんが挨拶をしてくれる。このお店の主だ。

「リサおばさん、おはよう。ほんと、今日も晴れてくれて嬉しい! たまには雨も降らないと、畑は困っちゃうんだろうけどね」

 悪戯っぽく舌を出しながら挨拶を返す。あぁ、なんと心地よいやり取りだろうか。こういう小さな事が、自分がわざわざ生まれ育った土地を棄てて、家族と離れてまでこの街で生活している理由の一つであり、日々の充実だった。

「そんで、今日は何を買うんだい? いつものベーコンなら、今日はアルガスの店に行った方が安いかもね。その代わり、ザウバークラウトが入ってるよ。半年は持つから、いつでも使えるし、塩味が効いてて、下味が要らないのはありがたいと思うよ。どう?」

「んー、じゃあ、ベーコンはアルガスおじさんの所に行ってみるね。ザウバークラウトは食べた事なくって、どんなかな。ちょっと試食できない? 美味しかったら買うよ」

 アルガスは肉屋の店主である。ベーコンのような商品は、肉屋も保存食屋も取り扱っているため、日によって品質や値段が違っている。この街の卸売業組合では、そういった場合、どちらの方がいいか、素直に言う事が取り決めで定められていた。各店、しのぎを削りながらも、仲良くこの街で暮らす。そんな生活を守るために、一生懸命になっていた。

「試食? 上手い事言うねぇ。確かに、食べてみないと分からないのは正論だわね。じゃ、ちょっと待ってな。今持って来るから」

「ありがと〜」

 ケラケラと笑いながら、リサおばさんは店の奥に姿を消した。

 ザウバークラウトとは、山岳地域の村に古くから伝わるキャベツの塩漬けである。そのまま食べるには少々塩辛いが、料理に使う分には、下味を付ける必要もなく、手軽に塩味と野菜が追加できるため、その存在は重宝がられていた。それだけに、距離の離れたケーニヒスブルグまで出荷される事は珍しく、その存在をよく知るエルリッヒも、食べる機会にありつけたのは、今回が始めでの事だった。

 自然と、期待に胸が膨らむ。

「はいよ。小皿に少しだけど、いいかい?」

 少しして、リサおばさんが戻って来た。言う通り、小皿には細切れのザウバークラウトが乗っている。初めて目にしたそれは、小さく縮んだキャベツの葉、しかし、漬け物になっているためか、少し茶褐色をしていた。

「うん。結構高いし、その辺は分かってるから。じゃあ、ぱくっ!」

 ひとかけらを手に取ると、そのまま口の中に放り込んだ。

「しょっぱ! でも、よく味が染み込んでて、美味しい。それに、ちょっと歯ごたえも強くなってるのかな?」

「どうだい? あんまり安くはできないけど、今日の入荷じゃうちだけだよ、これ扱ってるの」

 こんな風に言われて、誰が我慢できようか。重量あたりの単価を確認すると、お財布の中身と相談してみた。

「じゃあ、分銅三個分。それから、ズッキーニとアンチョビをいつもの分だけ」

「あいよ、毎度ありがとね」

 品物を受け取り、代金を支払う。そんなやり取りを済ませ、今度はアルガスの肉屋に向かった。アルガスは親戚が地方で畜産農家をしているため、品質、価格、品揃え、どれを取っても一級品のお店だった。一般客が利用できない事が、唯一最大の欠点である。

「おじさーん」

「お、エルちゃん。今日も元気だね。おじさん嬉しくなっちゃうよ。で、今日は何が入り用だい?」

 禿げ上がった頭にねじり鉢巻のアルガスおじさんは、重い塊肉を取り扱うためか、屈強な体躯をしている。仕事で使う肉切り包丁の存在も相まって、そのまま戦場で野盗退治が出来るのではないかという風体で有名な男だった。もちろん、商人としては誠実で、肉屋としての品質の見極めなども一流で、まさしく肉屋の中の肉屋なのだが。

「ん〜、今日は特別なお客さんもいないし、いつも通りで。後、いいベーコンが入ったって聞いたから、それも!」

「へいよ!」

 エルリッヒは顎に指を当て、手短かに思案し、注文を出した。この通りを利用する人間は、大体がいつも決まった分量を仕入れるため、お互い「いつもの」と言われる事が一番手っ取り早いやり取りだった。

 今回も、当意即妙すぐに切り分けに入ってくれた。

「相変わらず見事な腕だねー」

「当たり前よ! こちとらエルちゃんが生まれる前から肉切ってんだからな。おかげで、筋肉ばっか付いちまったけどな。ハッハッハ!」

 豪快に笑い飛ばしたその声を、エルリッヒは少しばかりの苦笑いを浮かべながら見つめた。少し、思う所ありと言った様子だ。

「はいよ。値段もいつも通りで頼むぜ!」

「りょうかい! いつも安くて助かってます!」

 いつも通りの枚数だけ銀貨を支払うと、アルガスは荷物を台車まで運んでくれた。さすがにの重さをエルリッヒに持たせるのは忍びない、という気遣いだ。こういう所も、本当にありがたい。

 実際に重い物が持てるかどうか、ではなく、気持ちがありがたい。

「毎度ありー!」

 威勢のいい声に見送られ、次のお店に向かう。



 その朝エルリッヒが帰って来たのは、通りの隅々まで廻ってからの事だ。教会の鐘が鳴るのを二度聴いたので、二時間はゆうに経っていた事になる。

 これが、いつもの「朝の買い出し」である。

「さーて、お客さん来る前に仕込みを終えないと」

 薪で火を熾し、コンロの上の鍋を温める。その脇で買って来た野菜を切り、肉を仕分け、諸々の下準備を始める。一番乗りで来るようなお客さんは大体が朝からお酒をあおるようなおじさん達なので、簡単なつまみだけ出せればそれで満足してもらえるが、そんな面々の相手もしなければならないのだ、そうそう仕込みにばかり時間を使えなくなって来る。

 ランチタイムが終わるまでは、てんてこ舞いの時間が待っていた。



「こんにちはー。エルちゃんいる?」

「いらっしゃいませー。て、あら」

 その日一番にやって来たのは、意外な面子だった。

「ツァイネ君、どうしたの? こんなに朝早く」

 ツァイネと呼ばれた少年は、青い鎧に身を包んだ騎士、いやさ傭兵だった。厨房に近いカウンター席に陣取ると、愛用の剣を足下に置き、早速注文を出した。今この場では、理由を話したくない様子だ。

「へへ、まあいいから、ピルスナー出してよ。いつものさ」

「じゃ、理由は追々訊いていくとして……」

 エルリッヒはジョッキに「いつもの」ビールを注ぎ、ツァイネに給仕する。それを受け取ると、「ありがとね」と言い、朝も早いと言うのに、とても美味しそうに一気飲みをした。

「あー、そんな無茶な飲み方して……」

「堅い事言わないでよー」

 あまりお酒を飲まないエルリッヒには分からないが、「これ」はさぞかし美味しい飲み物なのに違いない。食堂を経営するからには、とこだわって仕入れているお酒だ、味に間違いはないと信じているのだが。

「じゃ、もう一杯」

「えぇ? お代わり? まあ、売り上げに貢献してくれるのはありがたいけど……」

 呆れ半分感謝半分、空になったジョッキに再び黄金色の液体が注がれる。

「かーっ、この時間から飲む酒は最高だね!」

「ふ〜ん。そういうもんなのねぇ」

 やっぱり、エルリッヒにはいまいち理解できない。が、否定する要素はどこにもなかった。何より、この美味しそうな様子こそ、最高の証拠に思えたからだ。

 ツァイネ・ファーウェルは、かつてお城の騎士団で親衛隊を勤めたほどの腕前を持つ傭兵だ。まだ若い身空ながら、城の兵士に合格し、城内で出仕するうち、その実力を買われて親衛隊に抜擢された。しかしながら、その堅苦しい環境に嫌気がさし、親衛隊を辞めてしまった、という非常にもったいない経歴の持ち主だった。

 この店に顔を出す傭兵の中にも城に仕えていた人間はいるが、これほど若いのは彼ただ一人である。しかし、親衛隊を辞めた人間に退職記念として贈られる青い鎧は、まぎれもない経歴の証であり、彼の身を守る強固な鎧である。そして、城に仕える兵士の中でも親衛隊や近衛隊にしか伝えられない秘伝の剣術もしっかり修めており、実力はこの街の傭兵の中でも指折りだった。

 そんな彼だが、自由な空気を求めて傭兵になったとは言え、仕事は熱心で、実力の高さからも人気だった。普段なら、忙しくてこんな時間から酒をあおるような暇はないはずである。

 やはり、理由が気になった。つまみの白ソーセージを出しながら、訊いてみる。

「ね、お酒も回った所で、そろそろ理由を教えてよ。なんでこんな時間からここに?」

 幸い、まだ他の客は来ていない。突っ込んだ話をするのにはうってつけだ。

「んー、そうだなー、エルちゃんになら、話してもいいか。これ、他言無用で頼むね。実は……」

 顔をぐっと近づけると、囁くように理由を語った。

「これから大きな仕事に行って来るんだ。これは、その前祝いってわけ」

「大きな……仕事……」

 気が大きくなっているツァイネには悪いが、それを聞いたエルリッヒは、嫌な予感がした。こういう事を言う時は、大体その裏に、危険が潜んでいるものである。

 暢気に酒とつまみに酔いしれているその姿を、友人と言えど少し冷たく鋭い目で見る事しかできなかった。




そして、これがエルリッヒを巻き込む大きな事件の始まりだった。


〜つづく〜

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