Clock or Treat
「おや、名も知らぬ方、ようこそいらっしゃい。時計の事なら何でもござれ、【稲葉庵】にようこそ」
「残念ながら客じゃなく僕だよ、君の親愛なる相棒こと月野 優だ。
今日も君の好きな僕特製人参プディングと共に参上したよ」
それもアカシアの蜂蜜入りだ喜べ敬え奉りやがれ、と戦場で敵将の首を取った様に右手のバスケットを薄暗い店の中に高々と掲げて見せる。
すると編んだ竹の隙間から流れた甘い匂いに気付いたのか、正面のカウンターで俯いていた影がこちらを向いた。
ボサボサの白い毛に寝不足でございと主張する真っ赤な目、まったく、どれだけ寝ていないというのか。
「ん……おぉ、確かに優だ。失敬、時計修理に集中していて気が付かなかった。
この稲葉 奏、一生に一度の不覚だ」
「ではそれは何度目の生涯なのだろうね。僕は週に四度は此処へ足を運んでいるが、客としてもしくは僕として対応してくれたのは既に十より以前の事だと記憶しているが」
「そうだったかな、私は前回の君の来訪が何時だったかさえとっくに忘れてしまっているよ」
「その酷い集中癖は何とかした方が良い。
そうでないとただでさえ少ない君の常連もいつの間にかいなくなっているよ。
今此処でプディングを持って帰ろうとしている菓子職人とかね」
それは手厳しい、と苦笑いする奏だが、反省する気がほぼ感じられないのは非常に腹立たしい。
いつもいつもいつもいつも、ブレイクタイムに心を安らげるプディングを作り補充しているのは誰だと思っているんだ。
……また笑いやがったなコイツは。
よし、本気で帰ってやろう。
「あぁ分かった。すまない、謝るよ優。許されなくても構わない。
だからせめてその人参プディングは置いていってくれ」
「酷い、その言い方は流石に酷い」
「そうかね。君は帰りたい、私はプディングが欲しい、私達二人の望みを合理的に叶える最善の手だと思うが」
「それは『合理的』ではなく『利己的』の間違いだろう?」
「どう捉えるかは君の自由だよ。さ、どうする? 今日は帰るか、いつも通りのんびりティータイムかの二択だよ」
クツクツと引き笑いが店内に響く。
あぁもう、この稲葉 奏と言う奴は非常に腹立たしい。
この底意地悪い性格も、全て見透かす様な言い回しも。
でも何が一番腹立たしいかって、これだけ言われてもなおいつも通りにバスケットをカウンターにおいて、素直に椅子へ座ってしまう僕の気の弱さに我ながらイラッとする。
まぁ、僕も黙ってやられているわけじゃあないが。
「……いつも疑問なのだが、何故客用の椅子に座るんだ。
もし他の客が来たらどうするつもりなのかな」
「僕の後にでも応対すればいいだろう。もっとも僕は君から誘われたのだから、好きなだけ居させてもらうけど」
「営業妨害という言葉を知っているかい」
「おや、のんびりティータイムじゃなかったのかな」
その言葉を最後に私達はしばらく睨みあいになるが、結果はもう分かっている。
小さく溜め息を吐いた奏が両手をあげる、僕の勝ちだ。
「なるべくお手柔らかに頼むよ優。君は遠慮と言う物を何処かに落としてきた様な飲み方しかしないのだから、せめてあれが結構上等な物だと言うことを忘れないでくれ」
「美味い物は独り占めにするな、全ての生物に通じる永遠かつ普遍の真理だと思わないかい?
なに、後学のために頂くだけさ、君が持つお茶に僕の菓子が合うかどうかのね」
「だが」
「わざわざこんな寂れた時計屋に、というのは野暮というものだよ。
別段仲良くもない蒐集家などを相手にするより君と戯れながら飲んだ方がお茶は数段美味い」
それは光栄、と肩をすくめて、紅茶を取りに備え付けの流し台へ向かう奏の後ろ姿はかなりくたびれていて、時々右へ左へふらついている。
本当に何日眠っていないのだろうかと思いつつ、持ってきたバスケットからオレンジの半固体で埋められた一節分の竹のカップと同じ竹から削って作ったスプーンを二つずつ取りだしてカウンターの上に置き、同時にソレを見つけた。
「これは……腕時計、かな?」
「ほぅ、よくこのバラし終えた時計が腕時計と解ったね」
大小様々な歯車や奇妙な形の機械部品、そして纏められた長いゼンマイとそれらを納める銀の容器に見惚れていた時、振り返るとポットとマグカップ二つをお盆に乗せた奏がいた。
いや、むしろ驚く方が不思議だと思うが。
「ん、というかね奏、流石にそのベルト部分が着いていれば誰だってそう思うんじゃないか?」
「あー……そう言うことか」
「何だい、その『つまらない』の一言を一切隠さない物言いは。多少なりとも傷つくんだが」
「まぁそんな細かい事は気にしない方が良い。ほら、今日は君の好きな人参ジュースだよ」
紅茶は何処行った、いや好きだけど。
見るとカップの中には僕の持ってきたモノと同じ色の液体が並々に注がれている。
というか、そのポットの中身ってまさか。
「無論人参ジュースだが何かも問題でも?」
「いや、あの流れなら普通は美味しい紅茶だろう」
「それは君の思い込み。私はティータイムにするとは言ったが紅茶を出すとは一言も言ってないよ」
ぐぅの音も出なかった。
だがよく思い出せば確かに言われた通りで、僕の想像が先走っただけなのだが……ぬか喜びさせるにも程がある。
「まぁまぁ、そうむくれるない親友。たまには互いの好物でという趣向もいいモノだろう?」
「む……まぁ良い。それなら早くティータイムの名を借りた子供のおやつの時間といこうじゃないか」
「うむ、それは大いに賛成だ」
うぐ……精一杯の嫌味で返したのにあっさり流された。
あ、こら、笑うんじゃない。
一矢報おうとして失敗しただけじゃないか、そんな子供を見る様な目で僕を見るんじゃない。
でもそんな僕の声なんて奏には届く筈も、ましてや奏自身がそう思っている事さえもなく、一分も経てばカウンターでいつも通りにおやつの時間が始まるわけだけど。
「いつも思うんだがね」
「何だい優、おかわりならそのポットの中だが」
「違うよ、せめて休憩時間には時計から眼を離したらどうだい。今でさえ君の目は他の皆より赤いのに……」
「元々皆さして赤味なぞ変わらんよ。それより聞いてくれないか優。この時計なんだがね、これは実に素晴らしい。これは私の見てきた時計の中でも一際群を抜いているんだ」
「君にそこまで言わせる時計、ね。少々興味が出てきたよ。是非とも話してくれないか」
「勿論だ、それじゃあこのゼンマイを見てくれないか――」
それからの話を僕は殆ど覚えてはいない。
僕は本当に時計に関心があるわけではなかったからだ。
だが右から左へ聞き流すわけではない。
いつも無口で意地悪な親友から溢れだす言葉の波に身を任せ、決して強引に逆らったり沈んだりはせず、合わせる様な生返事と時折不可解に感じた所で質問をしてやる。
それで、僕の目標は達成されるのだ。
僕は、一分でも一秒でも長く見たいだけなんだ。
こんな生き生きとしている『彼』の姿を。
距離も無く向かい合って、顔をつきあわせながら。
それが僕――私、月野 優の生涯の楽しみなんだ。
「――優?」
「ふぇ、ど、どうしたんだ奏」
「どうしたもこうしたもないよ。嫁入り前の女性がそんなボッとした顔していたら、誰だって正気を問いただすさ」
「よ、嫁入り……」
「まぁ何事もないならそれが一番だね……っと、十五分も話しっぱなしだったから喉が渇いた。流石にトゥールビヨンを口頭で説明するのは無茶があったかな」
奏がブツブツ何か言っているようだが、私はその前の言葉で頭が一杯だった。
あぁ、もう。
何でこいつは此処まで冷静になれるんだ。
こんな若い女と一つ屋根の下だぞ、あんなちっぽけな時計なんぞよりもっと話す事があるはずなのに。
私は、自分の事で一杯一杯だって言うのに。
目の前で鼻歌を歌いながらジュースをカップに注ぐ奏を、今まで無いってくらい強く睨みつける。
かごめかごめなんて口ずさんでるんじゃない奏、もっと私に目を向けてくれ。
……そうだ、もっと私を見てくれ。
そう、そうだよ奏、熱い視線で私を見て、頬を上気させて、そしてそのままポットを私のマグカップへ傾け……て?
「はい、ジュースのおかわり。空になってたよ」
「……はい?」
「さて、どこまで話したかな……そうだ、さっきはこの時計がトゥールビヨン機構を使用していると説明したね。しかし実はこれはそれだけではない、何と武器としても使えるんだ。よく見てくれ、このリューズを引っ張ると――」
……あぁ、分かっていたさ、分かっていたとも。
この超絶時計バカにそんな脳内の慣れない乙女な妄想を全開させたロマンティックを求めてはいけないという事位ね。
先程話しながら高速で組んだ時計のリューズとやらから、ワイヤーを引きずり出して得意げに見せびらかす奏は正に子供の様に純粋で眩しい。
私の入る余地もない、規則正しい貴方の世界。
でも私の目の前では、その規則を狂わせてくれる、新しい貴方自身を見せてくれる。
私は、そんな貴方に惚れたんだ。
でも、さ、そろそろ気付いてくれてもいいんじゃないかな。
私が本当に奏、君へ、貴方へ伝えたい気持ち。
一週間の殆どを、一ヶ月のほぼ全てを君への好みを追求する事へと費やす私はもう止まれないんだ。
君の好きなその時計の針の様に。
だから私は君に精一杯の気持ちを伝えるんだ。
私の誇れる、唯一の手段で。
Clock or Treat.
貴方の世界か、私の心。
選んでくれないか。
いや、選んでくれないと困る。
この感情は『私達』には危険すぎるんだ。
心に穴がぽっかり空いてしまった様な、この気持ちは。
――――――――兎は寂しいと、死んでしまうんだよ?
〈了〉
いつから彼らがヒトであると錯覚していた?