婚約者からいきなり「愛のない結婚か、自ら婚約を解消して姿を消すか、どちらか選べ!」と言われました。そんなの決まってます。身を退いて、好きな生活をさせていただきます!でも、貴方こそ大丈夫?転落しない?
◆1
晩秋の舞踏会の終了間際ーー。
突如として、金髪の貴公子アンドレ・ガット伯爵令息が壇上に上がり、すぐ下に立つ銀髪の私、ソフィ・シャザールを指差し、大声を張り上げた。
「ソフィ・シャザール公爵令嬢!
君に二つ条件を言おう。
どちらかを選んでもらいたい。
僕と結婚するか、君の方から婚約解消を望むか、だ!」
ざわざわ、と喧騒が広がる。
舞踏会場だから、大勢の同年代の貴族令息、令嬢が参加している。
衆人環視の中、突然、ソフィ公爵令嬢は選択を迫られたのだ。
当然、普通なら「結婚する」方を選ぶだろう。
だが、この口振りからいえば、彼、アンドレ伯爵令息は、明らかに後者、「婚約解消を望む」方を、私、ソフィに選ばせたいらしい。
そう予想できた。
最近、心が通わなくなっていたから、婚約破棄を言い出す可能性を感じていたが、案の定だったようだ。
アンドレは自分に酔いやすい傾向がある。
今日もまた、私の返答を待つことなく、話を進める。
「僕には好きな女性がいる。
君も知っているフローラ・マルチニック男爵令嬢だ」
彼、アンドレ伯爵令息の眼差しに応えて、私のすぐ横に立っていた亜麻色の髪をしたフローラ嬢が壇上に昇る。
そしてアンドレの胸にピタリと寄り添う。
「僕は彼女ーーフローラ嬢を愛している。
だからソフィ、君と結婚しても、僕は君には指一本触れない。
当然、君との間には子供もできないし、僕からの愛は何もない。
そして君は独り身のままだ。
僕が愛する女性はフローラ嬢であって、君ではないのだからね。
そして、その女性が産んだ子供が跡取りとなって、君はまったく無意味に日々を過ごすだけだ。
ただし、ガット伯爵夫人として、つまりは僕の正妻としての役割は果たしてもらう。
なにしろ、名門シャザール公爵家の娘というカードは強力だし、もとより君は礼儀作法は完璧だからね。
そして、君が選び得るもう一つの道は、まとまったお金を渡すから、君はひっそりと身を退いて、
『事情があって、この婚約は解消しました』
と、君の口から皆に向かって公言してから、僕の目の前から姿を消してもらうこと。
さぁ、どちらかを選ぶんだ。
ソフィ、君の自由だよ、どちらを選んでも」
舞踏会の参加者たちは、いろめきだった。
なんと酷く選びにくい選択を迫るのだろう。
貴族婦人にとって、愛のない結婚ほど辛いものはないし、かといって、二十歳を超えた今になって婚約を解消すると、特に女性は傷モノ扱いとなって、今後の縁談が難しくなり、ほとんど独女決定とされていたからだ。
結局、どちらを選ぶでもなく、言い争いか、縋り付くかして、三角関係の中で紛糾するに違いない、と周囲にいる誰もが思った。
ところが、予想外の展開になった。
私、ソフィが迷わず二番目の、「まとまったお金をもらって、姿を消す方」を選んだからだ。
皆が呆気に取られる。
が、構うものか。
だって私、ソフィはその条件を聞いたときに、子供の頃から心に抱いていた夢が、目の前にパッと広がった気がしたのだから。
ついに、街中で雑貨店を開くーーその夢が実現しようとしているのだ。
こういうのがあったら便利、と思う様々な道具や文具が揃う、お洒落で、可愛いお店を開きたい。
そして、良い道具を探しては、それを使いやすいようにデザインし直したり、宣伝したりしてみたい。
そういう願いが、私、ソフィ・シャザールにはあったのだ。
なのに、婚約者のアンドレ・ガット伯爵令息は、私の願いを軽視し続けた。
そればかりか、
「工作や落書きばかりして、もっと女らしいことをしろよな!」
とうるさかった。
軽視どころか、その趣味を根拠に、私、ソフィを嘲り始めたのだ。
「そもそも、こうした工作や落書きは、平民がやることだ。
お前は俺の妻ではなく、下女にでもなるつもりなのか?
高位貴族の俺は、平民のように振る舞う者と結婚するなど、断じてあり得んからな!」
おまけに、なぜか「私の方が彼に惚れている」と勘違いしていて、面倒臭かった。
そうした悩みが、すべて婚約ともども、解消したのだ。
私、ソフィは踵を返し、意気揚々と扉へと進み、舞踏会場から立ち去って行った。
ソフィ・シャザール公爵令嬢の背中を見送ってからも、舞踏会場の喧騒は鳴り止まなかった。
参加者の皆がざわめく。
婚約破棄の現場を目にするのが初めての人も多かった。
が、それ以上に、爵位が下の方から、事実上の婚約破棄を通告するのは、見るのも聞くのも、誰にとっても初めてだった。
加えて、事実上、婚約破棄された側が、これほど堂々と会場を立ち去り、毅然としたさまを見せるのもーー。
現に、壇上にあったアンドレ・ガット伯爵令息も、フローラ・マルチニック男爵令嬢も、驚いて目を丸くしたままであった。
◆2
それから一ヶ月ーー。
ユイグ王国貴族の令嬢たちの間で、いまだに私、公爵令嬢ソフィ・シャザールについての噂が、囁かれているらしい。
わざわざ手紙に書いて寄越す友人たち(?)がいるから、知ってしまう。
いわくーー。
「愛のない結婚か、婚約破棄かを、格下の伯爵令息から、選ぶよう強制されるなんて。
おいたわしい……」
「いくら殿方とはいえ、身分下が上の令嬢を恫喝同然で追い払うとは!」
「それでも、ソフィ嬢は迷うことなく、婚約解消を選んだらしい。
名門シャザール公爵家のご令嬢なのに」
「シャザール公爵家のご両親が生きておられたら、娘が受けた辱めを許しはしなかっただろうに」
「でも、ソフィ公爵令嬢本人は、婚約解消を恥辱とは思わなかったらしい。
最後まで毅然とした振る舞いだった」
「じつはソフィ公爵令嬢は、婚約者のアンドレ伯爵令息に愛人がいることを察してたんじゃないのか」
ーーなどなど。
中には、さらに尾鰭が付いた噂もあった。
「ソフィ公爵令嬢は、じつは平民に落とされたらしい。
名門シャザール公爵家の家督を継いだ兄のエミール様が、勘当を言い渡したのだ。
だから、平民街で店を出すとか……」
ソフィは手紙を読むと、即座にクシャクシャに握り潰した。
(ふん。そんな噂。
勝手に吹聴していれば良いわ。
私はやりたいことをやるだけよ)
ソフィは煌びやかなドレスを脱ぎ捨て、ちょっと裕福な平民女が身に纏うような、麻の衣服を着込んで、馬車に乗り込む。
自宅の公爵邸から貴族街を出て、平民街へと馬車で出向く。
そして、彼女の自慢の店ーー〈ソフィ雑貨店〉の様子を見に行くのであった。
ソフィ・シャザール公爵令嬢は、元婚約者のアンドレ伯爵令息からもらった慰謝料を使って、王都平民街にある職人区域に店を構えたのだ。
こんな商品があったら便利だろうな、と思うものを、すでに職人に依頼していた。
今回、お願いしたのは「両面テープ」の作成だ。
テープは片面にしか糊付けがない。
両面ともが接着できたら、二枚の紙を挟んだり、ちょっとした修復に便利だと思ったからだ。
ソフィが試みるのは、こうした新しい道具の開発だけではない。
今までの既製品でも、改良して、誰にでも使い良くしたいと思っていた。
例えば裁縫鋏。
自分はナイフより、よほど裁断に便利だと思うけれども、どっしりしててゴツイから、女性が手に取りやすいように、持ち手に丸みを加えたり、模様を加えたりして、鋏のデザインを良くする。
そうすれば、もっと裁縫鋏が普及するはずだと思った。
他にもアイデアはいっぱいあった。
記録用紙を板に固定して、持ち運んでメモしやすいようにするとか、糊を固形にしてステイックのようにして押し出すとか。
なぜだか知らないけど、寝ているうちに、ソフィの頭に、次々とアイデアが浮かんでくる。
以前、有名な占いのお婆さんから、私、ソフィは異世界からの生まれ変わりだと言われた。
「お嬢様は、雑貨好きの『文具女子』と呼ばれる人種じゃった」と。
ひょっとしたら、前世の異世界の記憶が、色々なモノを生み出そうとしているのかもしれない。
私からの注文を受けるたびに、職人たちは首を傾げて、そんな細かい工夫に意味があるのかと訝る者もいた。
だが、こうした道具の改良によって、きっと商品としてヒットすると信じる者も出てきて、彼らの中で、財源豊かな商人などから、私の雑貨店に出資してくれる者も現れた。
その結果、三ヶ月もすると、一部の職人やツウの間で、なくてはならない重要なお店として認知されてきた。
まさに望んだ世界の実現だ。
なんて快適な生活だろうか!
私、ソフィは自分の夢の実現に向けて、確実に足を一歩、踏み出した実感があった。
加えて、ソフィの活躍は、平民街全体にも影響を与え始めた。
平民の若い女の子や男の子は、ほとんど紙を使ったこともなければ、文字を書いたこともない。
それなのに、ソフィ雑貨店で可愛いノートやカラフルなペンを買ったことをきっかけに文字を習い覚えたり、絵心を養ったりして、充実した時間を過ごすようになったのだ。
特に女の子が、一日の予定を書いたり、イラストを書いたりして、スケジュール帳を使うことが、密かな流行になっていた。
もちろん、商店や領主館、王宮などに出入りする商人などが、メモ帳や、ボードを使用することにより、情報の交換や共有がスムーズになったことは言うまでもない。
結果、ソフィ雑貨店の商圏区域だけで、爆発的に識字率が上がり、経済活動も活発になってきたのだ。
夢のような好循環のおかげで、ソフィ雑貨店は街一番の繁盛店となった。
そこへ平民街の職人地区だというのに、珍しく貴族令嬢の来客があった。
「ちょっと、ソフィ!
話が違うじゃない!」
フローラ・マルチニック男爵令嬢が、ヒラヒラの桃色ドレスを着込んだ姿で、ソフィ雑貨店にやって来たのだ。
元婚約者アンドレ・ガット伯爵令息の胸にしなだれかかった、例の「横取り女」である。
店の内外を埋め尽くしていた平民たちが、ガヤガヤと騒ぎ立てる。
「貴族令嬢までが、この店のお客だとは!」
「やっぱり、ソフィ雑貨店って、凄い店だったのね」
などと言って、盛り上がる。
彼ら彼女らは、女店主のソフィが名門公爵家のご令嬢だとは知らないから、露骨な貴族令嬢ファッションをしたフローラ嬢の突然の来訪に驚いたのだ。
とはいえ、周囲からの好奇の目に、ソフィはまるで頓着しない。
いきりたつフローラ嬢を軽くいなして、店の二階、プライベート空間に誘った。
◇◇◇
じつは、「横取り女」のフローラ・マルチニック男爵令嬢と、ソフィ・シャザール公爵令嬢とは、古くからの知り合いだった。
かと言って、仲が良かったわけではない。
三歳年長なのを良いことに、フローラ男爵令嬢はいつも我儘で、どんな遊びをしていても、絶えず美味しいところだけを満喫して、後始末や準備などといった面倒ごとは全部、ソフィ公爵令嬢に押し付けてきた。
思春期に入ると、今度はソフィ嬢の婚約者アンドレに目を付け、フローラ嬢は積極的にアプローチをし始めた。
「ソフィなんて、陰キャなだけじゃない?
いっつも変なの作ったり、落書きしたり。
アンドレ様は、いったい、彼女のどこを気に入ってるの?」
アンドレもフローラに煽られた結果、
「俺だって、ソフィの趣味は気持ち悪いと思うよ。
まったく令嬢らしくないし。
その点、フローラの方が断然、可愛いし、付き合っていて楽しいよ」
と口走る。
初めて二人だけで会話したときから、ソフィに対する陰口で盛り上がった。
そして、フローラとアンドレの二人は、懇ろになっていったのである。
ちなみに、ソフィは目敏く、フローラとアンドレの関係が親密になってきたのを見て取っていた。
ソフィが「形ばかりの結婚」か「婚約解消」かの二択を迫られる、一週間前ーー。
ソフィは腐れ縁のフローラ男爵令嬢と、貴族街のお洒落な喫茶店で、お茶席を設けた。
フローラ嬢がいつも、
「アンドレ様と婚約したソフィが羨ましい!」
と言っていたから、ソフィは彼女にアンドレ伯爵令息を譲ってあげることにしたのだ。
「フローラ。
私が身を退くから、貴女が代わりにアンドレとお付き合いしたら?」と。
ところが、フローラ嬢は膨れっ面になる。
「でも、アンドレは、貴女が格上の公爵令嬢だから、手放さないと思うの。
『格上の女を正妻にしたい』って言ってたもん。
それに、貴女の婚約は、双方のお父様からのご命令なんでしょ?」
フローラも難しさを良く承知していたのだ。
ソフィとアンドレの婚約を解消することも、それ以前に、自分がアンドレと結婚すること自体も。
そこで、ソフィは悪戯っぽい笑顔を浮かべて、問いかける。
「フローラ。
貴女、アンドレが本気で愛してくれるなら、第二夫人でも構わないタイプ?」と。
フローラは大きく頷いた。
「勿論よ。
貴女が肩書きだけの第一夫人でも、真実の愛が私に向かっていれば問題ないわ。
アンドレの実家ガット伯爵家って、財産が豊かだもの。
豊かさだけで言えば、貴女の実家シャザール公爵家とタメが張れるくらいよね?
だったら、貴女とアンドレを共有するのも悪くないわね」
子供の頃からのように、自分だけが美味い汁を吸って、厄介ごとを上手く私に押し付けるつもりなのだろう。
ソフィも頷いた。
「そうね。
それなら、アンドレが肩書き欲しさに私を手放さなくても、貴女が実質的な妻になれるわ。
それに、私とアンドレの婚約を決めた、私のお父様はすでに亡く、今、私の実家の家督者はお兄様になっているから、そんなに私の婚約相手にこだわらないと思う。
だから、私の方から『婚約の解消をお願いする』という形にすれば、アンドレの面子も保てて、事実上の婚約破棄も望めるんじゃないかしら?」
すると、フローラ嬢は手を打ち叩き、食い込み気味に歓声をあげた。
「なるほど! それは良い考えだわ。
アンドレに言って、持ちかけてみる。
今度の舞踏会で、私たち、結ばれるかもしれないって」
そこで、ソフィは人差し指を一本立て、唇に当てた。
「でも、そのアイデア、私が言ったって、アンドレに言わないでね。
あの人、プライドが高いからーー」
「もちろんよ。
彼に、自分で考えたって信じ込ませるくらい、簡単よ。
そうね。
もしソフィを追い出したいんなら、慰謝料を幾らかくれてやれば簡単よって囁いておくわ」
「あ、いいね、それ。
ぜひお願いするわ」
ソフィも嬉しさに声をあげる。
兄のエミール・シャザール公爵は、妹のソフィに優しい。
けれど、ソフィが平民街で店を出すと言ったら、
「貴族令嬢に相応しくない。
私が何不自由なく生活させてあげるから、要らぬことはするな」
と反対するだろう。
だから、出店のための資金として、アンドレから慰謝料が取れれば万々歳だった。
ーーかくして、ソフィとフローラは共謀して、うまくアンドレを誘導し、ソフィは彼との婚約を解消して雑貨店を開くことに成功し、フローラは彼との交際を勝ち取ることができたのである。
それなのにーー。
◇◇◇
「他の女に走ったのよ、アイツ!」
フローラ・マルチニック男爵令嬢は、ハンカチを目尻に押し当て、わんわん泣く。
「一度でも浮気をするような男は、何度でも浮気する」という格言を、アンドレ・ガット伯爵令息もご多聞に漏れず、踏襲したらしい。
「ああ、彼の浮気性は相変わらずのようね。よしよし」
ソフィがフローラの亜麻色の頭を撫でてあげようとすると、フローラは怒った顔をして、バッと手で払い除けた。
「ふざけないで。
貴女のせいで、私、社交界から孤立するようになってるのよ!
『ソフィ公爵令嬢から、婚約者のアンドレを横取りした悪女』
って、悪く言われるようになって。
しかも、貴方のお兄様に遠慮して、お父様までが私を邪険に扱うようになったのよ。
悪くすれば、私、実家から追い出されるかもしれない。
それなのに、アンドレに逃げられた。
彼ったら、私と婚約もしてくれないの。
舞踏会で、皆に向かって宣言したのに。
酷くない!?
これから、私、いったい、どうすればーー」
フローラが両手で顔を覆って嘆くので、ソフィは明るく提案した。
「だったら、私の仕事、手伝ってくれない?」
一瞬、間を置いてから、フローラは弾かれるように立ち上がった。
「冗談じゃないわ!
私に平民の真似事をしろと言うの!?」
文句を言うフローラに対して、ソフィは椅子に腰掛けたまま、いつもの快活な調子のままに勧誘を始めた。
「別に、その必要はないわ。
今まで通り、ヒラヒラの付いた綺麗なドレス姿でお願いします。
ちなみに、私だって、こんな格好しているけど、これは周囲の人たちに服装を合わせているだけで、別に貴族令嬢の立場を失ってはいない。
だから、貴女も貴族令嬢のまま、それらしくしていれば良いのよ。
ただ、私からの仕事依頼を受けてくれるだけで。
それも、貴女の活躍の舞台は、舞踏会をはじめとした貴族の社交界よ」
「私に何をやれって言うの?
私、文具も雑貨も知らないわよ。
宝飾品には興味あるけど……」
「貴女にやってもらいたいことは、ズバリ、貴族向けの営業よ。
実際、平民の間では、貴族崇拝、かなり凄いのよね。
貴族社会で、もし私の開発したグッズが流行ると、平民の間でも、もっと爆発的に流行ると思う。
だから、貴族令嬢方に、ウチの商品、広めて欲しいのよ。
給金、弾むからさ。
貴女、他人を煽動して巻き込むの、上手じゃない?」
「なんだか悪意のある表現ね。
人気者で、仲良くするのが上手なだけよ!」
「そう? だったら、お願い。
もし貴女が実家から追い出されても、この部屋で一緒に住まわせてあげるから。
それに、私の方から貴女のお父様にご挨拶して、貴女と仲良くしているって言っておくから。
だったら、邪険にされなくなるでしょ?」
「わかったわ。
別に、舞踏会に、今まで通り出られるのなら、何だってするつもりよ。
それに、貴女のグッズ、なかなかモノが良さそうじゃない?
パーティーやお茶会での話題に、もってこいだわ」
フローラも、昔から二人でお茶する雰囲気を取り戻し、自分の将来を見通すつもりになって、ソフィの提案に乗ることにしたのだった。
◆3
フローラ・マルチニック男爵令嬢の営業力は凄まじかった。
自分がソフィ公爵令嬢と仲が良いことをアピールする必要もあったから、捨て身の営業を周囲に向かって展開したのが功を奏したようだ。
フローラ嬢は足繁く王宮に通い詰めて売り込んだ結果、使い勝手の良い文具が官吏たちに愛用されるようになっていった。
それから三ヶ月もすると、ついに王家もソフィ雑貨店に注目し始めた。
フローラ嬢の営業努力のおかげで、王宮の官吏がソフィ雑貨店の文具を愛用し始めたこともあるが、それだけではなかった。
繁盛したソフィ雑貨店が文化の発信地となって、地域の識字率や描写力を格段に向上させていたことが、明らかになったのだ。
職人地区を超え、さらには平民街の枠をも超えた、数多くの人々が、こぞって新しい発明品、不思議な文具はないかと、ソフィ雑貨店を訪れ、店内で目を皿のようにして探し続けるようになっていた。
特にメモ用紙の普及が、庶民の生活に活力を与え始めていた。
平民街のお店の小僧や小さなメイドの子ですら、その日一日のスケジュールや、いろんな自分の夢や、やりたいことなどを、To Do リスト的に書く習慣が根付いていった。
どうも平民街の一部地域だけが、活気付いているらしい。
そのことを不思議に思った王宮の官吏が確認しに赴いたら、当該地域では驚くべき変化が起きていた。
ソフィ雑貨店を中心にした街区に人が溢れかえっていて、平民のみならず、貴族令嬢までが使用人を派遣するなどして、多くの人々が遠くの地域から買いに付けに来るほどになっていた。
煌びやかで可愛い、それでいて使い勝手が良い文具や雑貨が目を引いて、人々はソフィ雑貨店に吸い込まれるように入っていく。
その結果、周辺地域の人々のやる気と、スケジュールをこなす速さが、格段に上達していたのである。
これをモデルケースにして識字率を向上させれば、どれほど民間産業が潤うことだろうか。
官吏たちは、将来の税収が急激に跳ね上がることを試算の結果、割り出して、俄然、いろめきだった。
ソフィ雑貨店は開店からわずか半年足らずで、王宮から直々に文具や雑貨の購入依頼を受けるようになった。
さらに、大商人のみならず、王宮からも出資を受けるようになり、支店を各都市に展開するよう要請された。
近い将来、王国中に広がる一大チェーン店となるであろう。
そのように誰もが思うほど、ソフィ雑貨店は大成功したのである。
◇◇◇
ソフィ・シャザール公爵令嬢は、目の回る忙しさとなって、寝る間も惜しんで働き尽くしとなって、嬉しい悲鳴をあげていた。
今日もソフィ公爵令嬢は馬車に乗り込み、沿岸都市に作るソフィ雑貨三号店の建設予定地に向けて出立しようとしていた。
すると、馬車を通せんぼする男が、突然、現れた。
半年ほど前に婚約解消をしたお相手、アンドレ・ガット伯爵令息であった。
アンドレは地べたに土下座して叫んだ。
「ソフィ・シャザール公爵令嬢!
僕と婚約し直してくれ!」
「はい?」
馬車の窓から顔を出し、ソフィは鳩が豆鉄砲を食ったようになっていた。
事情を聞けばーー。
彼、アンドレ伯爵令息は、父のシャルル・ガット伯爵に疎まれ、廃嫡されたという。
両家の親同士の取り決めで、ソフィたちは婚約していたが、特にガット伯爵家にとっては、派閥の重役を担うための、重要な取り決めだったらしい。
ところが、アンドレがソフィに二択を迫り、結果として、婚約が解消してしまった。
これに、家督を継いだばかりの、ソフィの兄エミール公爵が、激怒したのだ。
近年、ソフィの両親が事故で亡くなったとはいえ、名門シャザール公爵家の権威と権益はいまだ健在だった。
しかも、アンドレ伯爵令息が得意になって、
「愛のない結婚か、婚約解消かを迫って、ソフィ公爵令嬢の方から婚約を解消させた」
と方々で吹聴していたので、兄のエミール公爵は怒り心頭となり、ガット伯爵家を派閥から外すと宣言した。
それを機に、数多くの貴族家がガット伯爵家との関係を断絶させていったのである。
そもそも、爵位が低い方から婚約解消を持ちかけるなど、常識的にはあり得ないことで、しかも「正妻として結婚したとしても愛することはない」というアンドレの宣言に憤慨する貴族夫人や令嬢が、数多く存在したのだ。
三ヶ月以上、ガット伯爵家は周囲からの冷遇に耐えたが、事態の好転が一向に見られないため、シャルル・ガット伯爵は寄親貴族家であるシャザール公爵家の邸宅に謝罪に赴いた。
ところが、シャルル伯爵は、若いエミール・シャザール公爵から厳しく叱責されてしまった。
「ここまでシャザール公爵家を辱めておいて、よくもノコノコと。
亡き父が存命中なら、貴殿の首が飛んでおるところだ。
おまけに、貴殿の息子のおかげで妹は結婚もせず、平民街で雑貨店を始めてしまった。
どうしてくれるのだ!?」と。
尻尾を巻いて逃げ帰ったシャルル・ガット伯爵は、息子のアンドレをぶん殴り、
「今すぐソフィ・シャザール公爵令嬢と縒りを戻せ!」
と吼えた。
とはいえ、アンドレにも面子があったし、実際に、フローラ男爵令嬢とイチャイチャするのが楽しかったので、ソフィとの関係修復に及び腰だった。
ところが今度は、勤め先の財務省の上司から、
「アンドレ君。一応、君に忠告しておく。
今の段階で、ソフィ・シャザール公爵令嬢と縒りを戻すのは罷りならんから、そのように心掛けておいてくれ」
とのお達しを受けてしまった。
なぜかとアンドレが問うたら、上司は片眼鏡を光らせて言った。
「今現在、王家の肝煎りで民間振興策を展開しようとしている。
その運動の要となっているのが彼女、ソフィ公爵令嬢だ。
彼女の事業をやめさせるわけにはいかん。
それなのに君は、婚約時、彼女の特技を嘲笑っていたそうじゃないか。
信じられんな。
こんなに使いでの良い道具を開発することの、どこが根暗で馬鹿げてるのだ?」
上司は手にしたソフィ雑貨店製のボールペンをクルクルと器用に回しながら、口の端を上げる。
「いや、アイツは落書きばかりしていて……。
まさか、こんなことになるとはーー」
上司は執務机に積まれた書類に目を落とし、手だけでシッシ、と振った。
「とにかく、君は何もするな。
これは王命だと思え。
それに、財務省としても、民間産業が盛んとなれば、税収の増益が見込めるのだ。
君なんかより、彼女の方が、遥かに王国にとって貴重な存在なのだ」
アンドレは呆然とする。
結果、親の圧力と上司の圧力の板挟みで、動けなくなってしまった。
そのままアンドレは閑職に回されるようになり、フローラの顔を見るだけで不快となって別の女と遊ぶようになり、さらに時間が経過した。
そして半年後ーー。
アンドレが手をこまねいてグズグズしているうちに、ついにシャルル・ガット伯爵はアンドレの廃嫡を決意し、弟ベリーに家督を譲り、自身は隠居すると宣言してしまった。
アンドレはソフィと縒りを戻そうにも、すでに時機を逸してしまったのである。
それなのに、今頃になって、慌ててソフィが乗ろうとする馬車の前に、アンドレは駆け寄せた、というわけだった。
ガヤガヤと人々が集まり、何事か、と輪を作る。
ソフィは馬車から降り、アンドレは膝についた土を手で払いながら、土下座姿勢から立ち上がる。
元婚約者同士が久しぶりに対峙した。
衆人環視の中、皆にお馴染みの雑貨店の女店主が、貴族の身なりをした男性を相手に、凛とした声で言い放った。
「アンドレ・ガット伯爵令息!
貴方に二つ条件を言いましょう。
どちらかを選んでください。
私の店の従業員となるか、貴方の方から私との婚約を諦めるか、です!
私には好きな仕事があります。
貴方が根暗だ、下人のすることだ、と貶めた雑貨や文具の開発です。
私はこの仕事を愛しています。
ですから、貴方が私の店の従業員となっても、私は貴方には指一本触れません。
なぜなら、私の愛する事業を嘲笑うような方を好きになれるはずがありませんから。
当然、貴方との間には子供もできないし、私からの愛は何もありません。
貴方は独りで下男のように雑用をこなして働いてもらうだけです。
だって、雑貨や文具をデザインしたり、作ったりするのは下人の仕事なんでしょ?
だったら、私の店の従業員ーーいえ、特別に店員以下の下男として、役割は果たしてもらいます。
あら?
どうして目に涙を溜めておられるのです?
だって、貴方、このままだったら廃嫡どころか、勘当なんでしょ?
だったら、平民になるんじゃない?
たしか、貴方のお考えでしたら、雑貨店でのお仕事は、下人に相応しいお仕事なんでしょ?
だったら、貴方にも務まるはずですわよね?
だって平民なんですもの。
そしてもちろん、以前からの貴方の考えに従って、貴族令嬢である私は、貴方とは結婚できませんからね。
だって、貴方、平民になるんですから。
仕方ありませんわよね?
ーーさて、そして、貴方が選び得るもう一つの道は、まとまったお金を渡しますので、貴方はひっそりと身を退いて、
『事情があって、ソフィ公爵令嬢との婚約は諦めました』
と、貴方の口から皆に向かって公言してから、私の目の前から姿を消してもらうこと。
さぁ、どちらかを選ぶのでしょうか。
貴方の自由ですよ、どちらを選んでも」
周囲の人々は、何が起こっているのか、イマイチわからなくとも、固唾を呑んで、貴族紳士の反応を注視する。
だが、男は膝を折って、項垂れるばかりだった。
ふう、と一息ついて、ソフィ嬢はクルリと踵を返して、馬車に乗り込む。
そして御者に向かって、陽気な声をあげた。
「さあ、急いでちょうだい。
三号店の建設は一週間後には始まるそうですから、その前に物品の搬入経路を確認しておきたいの。
それから建設予定地の地形をよく見て、お客様の導線を再確認したい」
御者は黙って頷くと、馬を鞭打ち、馬車を走らせる。
アンドレがうずくまる場所を避けて、砂埃を撒き散らせた。
砂で白くなった元婚約者はそれでもうずくまったまま、微動だにしなかった。
集まっていた人々は、わけがわからないながらも、
「平民娘が貴族に勝った!」
と思って、
わああああ!
と歓声をあげて、馬車を見送るのだった。
◇◇◇
それから三日後ーー。
王都を中央を流れるセリヌ川に、心中した男女の死体が浮かび上がった。
アンドレ・ガット伯爵令息と、フローラ・マルチニック男爵令嬢の二人が、互いに腕を縄で縛り合って死んでいた。
心中とはいっても、男の側が強引に女を道連れにした無理心中であることは明らかだった。
フローラ嬢の顔は骨が砕けるほど殴打によって変形していて、身体のあちこちが青く腫れ上がっており、しかも全裸に剥かれていたからだ。
彼女は最近、羽振が良くなり、夜の舞踏会で遊びまくっていたから、酔った隙にでも襲われたと見られる。
だが、アンドレもフローラも、共に実家から勘当された状態にあったので、葬式をあげられることもなく、実際に悲しむ者もいなかった。
ちなみにソフィ雑貨店の名はすでに王国貴族社会に知れ渡っていたので、フローラ嬢の役目は終わっており、営業担当の彼女を失っても事業展開に支障はなかったという。
(了)




