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#02

 瑠依を連れ出して数時間後。

 崇宏は今までに経験したことがないほどのハラハラを体感していた。


「瑠依、そろそろ返して……頼むから……」

「んー。もうちょっと」

「そう言ってから何時間経ったと思ってんの!?」


 半分泣き叫ぶような崇宏の声に、ようやく瑠依が振り向いた。その瞳は紛れもなく怒っている。


「なんなのよ。しつこく誘ったのはあんたでしょ? ちょっとくらいカメラ貸してくれたっていいじゃない」

「だからさ、それホントに大事なカメラなんだってば。今度違うカメラ貸してあげるから……」

「ああ、じゃあその違うカメラってやつを進藤が持ってきて使えばいいよ。いってらっしゃい」


 ようやく振り向いたのに、ほんの数秒で瑠依の視線はふたたび夜空に奪われる。

 なんてことだ。あれは社交辞令じゃなかったのか。


「ねー進藤。これで月の表面とか見えないの?」


 俺のカメラは望遠鏡かっ!! というツッコミは口には出さない。もう、なにを言っても返してもらえないことを悟り、崇宏は河原に敷いたシートに腰を下ろして寝転がった。


 瑠依を誘ってからほんの数時間で、空には星が瞬いている。

 もともとそれを見せたくて誘ったのだからいいかと思う気持ちと、自分が好きな場所を気に入ってくれてよかったと思う気持ち。そして早くファインダーをのぞきたい気持ちと、万が一にでもカメラを壊されたらどうしようという気持ちが複雑に入り混じり、ふくれっ面で空を見上げることしかできない。


 毎日変化する星空が、きっと一番瑠依にもわかりやすいと思って誘ったのだが、ここまで真剣になられるとは崇宏にとっても予想外だ。

 あのカメラはただの一眼レフで、そろそろ瑠依も気づいているころだろうが、あれは双眼鏡じゃないし望遠鏡でもない。シャッターを押さない限り、瑠依がカメラを独占する必要性は、まったく、微塵も、ない。


「瑠依ー。肉眼でもキレイだよー?」

「だろうね。進藤は肉眼で堪能しててー」


 どうだ、この言い草。

 ぷぅっと崇宏の頬が膨らむ。


「ね、1枚だけ、撮ってみてもいい?」

「いいよー。撮ったら返してくれるなら」

「わかったってば。しつこい男は嫌われるよー? これ、ただシャッター押すだけ?」

「ピントが合ってるかも僕は見ていないのでわかりませーん」


 ふてくされてそう言うと、瑠依は盛大なため息をついて構えていたカメラを下ろした。そしてものすごく嫌そうに崇宏のところへやってきた。


「見て」


 ぐいっと差し出されたカメラを受け取って、転がったまま空へレンズを向ける。

 絞りとピントを調節すると、ファインダーの中に小さくも壮大な世界が生まれる。思わずシャッターを切るところだった。


「ん。あとはここをまわしてピントを合わせる感じ。フィルム、残り1枚しかないから撮り直しできないからね」

「え……」

「これ、デジカメじゃないから」

「ごめん。じゃあ進藤が撮ってよ。これ、撮りたくて来たんでしょ?」


 瑠依は申し訳なさそうにカメラを崇宏に戻す。

 本当はバッグの中に新しいフィルムも入っていたから瑠依に撮らせてあげても構わなかったのに、どうしてそんな意地悪を言ってしまったのだろう。

 せっかく楽しんでくれていたのに。あんなにうれしそうにファインダーをのぞいていたのに。

 ズキンと胸が痛む。

 崇宏はようやく返してもらえたカメラを手のひらで瑠依に戻し、自分の横をぽんぽんと叩いた。


「ここ、横になったらたぶんピントもそのままいける。のぞいてみ?」


 レジャーシートは敷いていたけれど、瑠依には抵抗があるだろうか。ちなみに歴代、カノジョを名乗っていた女の子たちは、自ら一緒に行きたいと言ったくせに、みんな嫌がった。

 一瞬だけ躊躇うような表情を見せた瑠依は、カメラをレジャーシートの上に静かに置くと、崇宏の隣へそのまま身体を横たえた。慎重にカメラを構え、ファインダーをのぞいた瑠依の瞳が大きく見開かれる。それから、ぱぁぁぁぁっと広がる笑顔。


「うわー! 進藤の写真と同じ!!」


 うわー。反則ですぅー。

 急速に高鳴る胸の音を落ち着かせながら崇宏は小さく深呼吸を繰り返す。


「シャッター、押してもいい? 押しちゃっていい?」

「いいよ。カメラがぶれないようにゆっくりね」

「うん!」


 口を開けてファインダーをのぞきこむ瑠依のうれしそうな顔を見ているうちに、気づけば崇宏の口元にも笑みが浮かんでいた。

 たった1回、シャッターを押すだけなのに、瑠依の指はなかなかそれを押さない。でも崇宏にはその気持ちがよくわかる。

 押してしまったらもう、その景色は切り取られてしまう感覚。二度と見られなくなるような憂い――。

 しばらくして、シャッターを切る音が聞こえた。それから小さなため息も。


「すっごいねぇ……。あたし、今、進藤と同じものを見たんだね」

「んー。まあ、たいした世界じゃないけどね」


 謙遜だけどね。

 さりげなく瑠依から視線を外し目の前に広がる星空を眺める。


「ずるいなー。肉眼とじゃ全然違うじゃん。カメラ返してほしかったらもっとマシな嘘つきなさいよね」


 自分のおなかの上にカメラをのせて、大切そうに触れている。口調は相変わらずだけど、瑠依はまっすぐ星空を見つめ、口元に笑みを浮かべていた。


「そろそろ帰ったほうがいい?」

「ん? 瑠依が大丈夫ならもう少しここにいてもいいけど」

「じゃあもう少しだけ」


 カメラを抱きしめたままの瑠依は、瞳に星空を焼きつけようとしているのだろうか。まつ毛が揺れているのはシャッターと同じ原理なのだろうか。

 うっかり触れてしまいそうになって、崇宏は少しだけ瑠依から離れた。あまり手癖が良くないことを、本人も自覚していたからだ。それでも身体を瑠依のほうに倒して肘を立てた手のひらに頬をのせ、うれしそうに空を眺める瑠依を飽きもせず見つめていた。


 それから1時間ほど、ふたりで寝そべったまま星を眺めて、背中が痛くなってきたのを機に起き上がった。瑠依は、もう帰るの? という顔で崇宏を見上げる。


「また天気のいい日に来ようよ。瑠依も背中、痛いでしょ?」

「んー……言われてみれば。じゃあそろそろ帰ろうか」


 寝そべるときと同じく、瑠依は静かに身体の横にカメラを置いて起き上がる。レジャーシートの上に置いてあったケースにそれを収めると、両手で差し出した。


「大事な恋人のカメラ、ありがとう」

「コイビトは余計ですがどういたしまして」


 受け取ってバッグにしまっている間に、瑠依はレジャーシートをたたんでいた。

 こんなときに歴代カノジョを思い出すのはおかしいけれど、彼女たちと瑠依の違いは興味を持つ場所の違いなのかもしれない、とふと思う。

 非常に残念なことだけど、瑠依は誰と過ごしたかが重要なのではなく、どこでなにをして過ごしたのかが重要。つまるところ、ここにいたのが元カレのセンパイであったとしても、瑠依は満足しただろう。要するに、崇宏でなければならない理由なんて、ひとつもない。皆無だ。

 そう思うと、なんだか自分を刻み付けたくなる。

 崇宏はしゃがんだまま瑠依を見上げた。


「ねー瑠依」

「ん?」

「ぎゅーってしたら、怒る?」

「そうだねぇ。あの橋から命綱なしでバンジーしてもらう程度には怒るかな」

「うん、じゃあやめとくね」

「賢明だね」


 にっこりと微笑む瑠依に、崇宏も笑顔を返す。そして、冷や汗をかきながら思う。

 たとえばこれから先、瑠依が自分のことを好きになってくれたとして。

 俺は瑠依に踏み込むことができるだろうか。怖くてできない気がする。どうも不思議なことに、瑠依を押し倒す自分というのが想像できない。センパイもそうだったのかな……と崇宏は邪推する。


「あっ!!!」

「すみませんごめんなさいっ!!!」

「なにがよ」


 イケナイ思考をしていたのがばれたのかと思って頭を抱えてしゃがみこんだ崇宏を瑠依は怪訝な顔で見下ろす。


「さっきあたしが撮った写真って、いつ見れるの?」

「んーいつでもいいけど。ちょうど最後まで撮り終わったし、明日にでも現像して焼いてみるかなーってとこ」

「明日?」

「うん?」

「自分でやるの?」

「うん。なんで?」

「え、自分で!?」


 瑠依はいったいなにについて驚いているのだろう。むしろ、怒っているのか? これからネガを現像して寝ないで焼いてこいとか、そういうこと!? 

 なんとか状況を整理した崇宏はおずおずと口を開く。


「えぇと……時間がかかりすぎですかね?」

「何時? 行く! あたしも見る!」


 ああ、そういうことかと思わず笑ってしまう。


「フィルム現像なんて珍しいよね。うち、暗室とか設備だけは整っているから本格的だよー。実験みたいでおもしろいかも」

「わーもうどうしよう! 楽しみ!」


 そんなによろこぶとは思わなかった。もしかすると瑠依とは長い付き合いができるかも。一生オトモダチとしてかもしれないけれど……。

 無邪気によろこんでいる瑠依はまだ全然気づいていない。

 趣味を共有できる人がたったひとりでもいたら、こんなにもうれしいのだと気づかせてくれたのが瑠依だったこと。

 その相手が瑠依で、崇宏がどんなにうれしいと思っていか、彼女はまだ知らない。


 翌日、崇宏の家にやってきた瑠依が開口一番、言った。

『蚊に刺されたじゃないの! 今度行くときは強力な虫よけスプレー、持っていこうね。かゆくて嫌もう……』

 二度と行かないと罵倒されると思った崇宏は心底ホッとした。瑠依が普通の女の子と違っていてよかった、と思ったことも、彼女はまだ知らない。

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