【異世界×恋愛】『最前線の天使』はキノコ狂 ~地味な菌類オタクですが、正体を隠した辺境伯様にいつの間にか溺愛されました~
改稿してテンポを改善しました。
クリミアの天使がモチーフ。
――キノコは、いい。
私――フローレンは王宮に勤めるしがない文官。
趣味はキノコ観察。
自作の顕微鏡もどきで、その胞子を眺める。そのおかげで、私は世界が目に見えない小さな生き物で満ちていることを知っている
きっかけは幼い頃、森で見た光景。
カサの裏からふわりと舞い上がる煙のような胞子。それが新しいキノコを生やすのだと知り、私は世界の真理に触れた気がした。
それ以来、私の興味はもっぱらキノコに向けられているのだが……
「フローレン君!仕事中にキノコのスケッチをするのをやめたまえ!」
「ですが部長、この『ウスベニタケ』は湿気た羊皮紙の上でしか確認されていない希少種でして……」
「やかましい!もう我慢ならん!」
そんなキノコファーストな生活が上司の逆鱗に触れて、隣国との緊張が続く最前線の基地へと追いやられた。
もちろん、私が剣を握って戦うわけじゃない。
任されたのは、前線基地に併設された療養所での応急手当要員。
次々と運び込まれてくる負傷兵の傷を洗い、薬草を塗り、包帯を巻く。
忙しくはあるけれど命の危険は少ない後方支援の仕事。
しかし、私だからこそ、気づいてしまうことがあった。
「またか……」
今日も一人、若い兵士が息を引き取った。
運び込まれたときの傷は致命傷ではなかったが、日に日に傷口は赤黒く腫れあがり、帰らぬ人となった。
戦で命を落とすのは仕方がないことかもしれない。
けれど、療養所で助かるはずの命が失われていく。
キノコの菌糸が腐った木を蝕むように、目に見えない何かが兵士たちの体を蝕む。
私には、その正体がはっきりと分かっていた。
そして、泣きながら友の名を呼ぶ兵士たちを前に、見て見ぬふりはできなかった。
◇
「衛生環境の改善を上申いたします! ゲルハルト将校!」
私は療養所の責任者であるゲルハルト将校に、改善案をまとめた書類を突きつけた。
煮沸した布での傷口の洗浄、手洗いの徹底、寝具の定期的な天日干し。
どれも目に見えない「悪い菌」の繁殖を抑えるための基本的な対策。
「なんだその『菌』とやらは!目にも見えんものを信じろと?」
将校は私の訴えを鼻で笑う。
「そんな悠長なことに割く人員も予算もない!軟弱なことを抜かすな!」
――にべもない。
けれど、諦めるわけにはいかなかった。
私は自分の管理する区画だけでも衛生管理を始めた。
熱湯で包帯を煮沸し、床を磨き、窓を開けて風を通す。
療養所の仲間たちは「またフローレンが変わったことを始めた」と呆れていた。
けれど、文句も言わずに手伝ってくれた。
結果はすぐに現れた。
他の区画では毎日誰かが亡くなるが、私の区画では死亡者が一人も出ていない。
傷の治りも明らかに早いのだ。
「フローレン。また精が出るな」
そんなある日の午後、ひょっこりと顔を出したのは剽軽な同僚だった。
「アレク、久しぶりじゃない。またその辺をプラプラしてたの?」
輸送部帯にいたり、厨房でつまみ食いをしていたり、神出鬼没の男。
それがアレクだ。
なぜか仕事をしているところを見たことがないのに、誰からも咎められない不思議な存在。
ただ、その顔立ちだけは無駄に整っている。
療養所に顔を出すたびに、女性スタッフたちから黄色い声が上がるのが少し厄介だ。
「相変わらず口が悪いな。で、お前のとこだけ他と雰囲気が違わないか? 妙にスッキリしてるっていうか」
アレクは興味深そうに辺りを見回す。
「傷口から入る菌を殺して療養所を清潔に保てば、兵士は死なずに済む。簡単な理屈でしょう?」
私はこれまでの経緯とゲルハルト将校とのやり取りを話した。
どうせこの男に話したところで、何も変わらないとは分かっていたが。
「ふぅん、『菌』ねぇ」
いつもは軽薄なアレクが妙に真剣な顔で私の話に耳を傾けていた。
私は諦めなかった。
療養所の日報を洗い出す。負傷の内容と経過、そして死亡に至った兵士の数をすべて記録。
そして一枚の大きな紙に、それをグラフとして描き出した。
結果は一目瞭然。
この基地の死者の実に七割以上が、療養所での感染症で命を落としていた。
「ゲルハルト将校、これでもまだ私の言うことが信じられませんか?」
私は完成したグラフを手に、再び将校の執務室へ乗り込んだ。
「しつこい女だ、そんな得体の知れない絵図など!」
将校がグラフをひったくり、破り捨てようとした時だった。
「待て」
凛とした声が響いた。豪奢な軍服に身を包んだ若い青年。
その肩には、この地を治める辺境伯家の紋章。
「ヴァルトブルク辺境伯閣下! なぜこのような場所に……」
ゲルハルト将校が慌てて敬礼する。
辺境伯と呼ばれた青年は、将校を一瞥もせず、私の方へ歩み寄ってきた。
そして私の手にあるグラフを興味深そうに覗き込む。
「なるほど、これは面白い。実に分かりやすいな」
彼は感心したように頷くと、ゲルハルト将校に向き直った。
「貴官はこれだけの兵を無駄死にさせていたのか。兵の命を軽んじる者は我が軍に不要だ」
辺境伯の一喝に、将校は真っ青になって床に突っ伏した。
しかし、辺境伯は許さない。
「その女官が示した真実から目を背け、己の無能を棚に上げた罪は重い。悪しき将校として貴官を軍から追放する」
――あまりに突然の展開に、私は呆然と立ち尽くすしかなかった。
後日。
追放された将校の代わりに新しい責任者がやってきた。
現れたのは見慣れた顔だった。
「よっ。今日からお前の上司になったアレクだ。よろしくな」
へらりと笑う、あの剽軽な同僚。
「なんであんたが?どんなコネを使ったのよ」
◇ ◇
事態は劇的に好転した。
新しい上司になったアレクの正体はいまだに謎だ。
しかし、彼の号令の下、私の提言した衛生管理は全部隊で徹底されることになる。
その効果は私が作成したグラフを再び証明した。療養所での死亡率はわずか一月で40%以上も激減したのだ。
そして私は、その功績から王宮で開かれる祝賀パーティーに招かれることになった。
「いや、私はそんな晴れやかな場所は……」
「何言ってるのフローレン! あんたが主役なのよ!」
療養所の仲間たちに無理やり捕まえられる。
普段はしない化粧を施され、上等なドレスを着せられてしまう。
鏡に映った自分は、まるで別人のようだった。
「……すごい」
誰かが呟く。
実を言うと、自分の顔立ちが決して悪くないことは、なんとなく自覚していた。
母譲りのこの整った顔は、王都にいた頃も何度か面倒事を引き起こした。
だからこそ、最前線ではあえて化粧もせず、ボサボサの髪を帽子で隠していた。
もちろん、土や泥にまみれてキノコの観察をするのに、お洒落なんて邪魔でしかない、というのも大きな理由の一つ。
けれどそれ以上に、女性が少ない最前線で無用な注目を浴びるのを避けたかった。
中には荒くれ者もいる。自分の身は自分で守らなければ。
そう思って、ずっと地味に目立たないように振る舞ってきたのに。
祝賀会の会場に足を踏み入れた途端、視線が私に突き刺さるのを感じた。
ざわめきが波のように広がる。
「あの麗しい令嬢は一体どなただ?」
「なんと美しい。まるで戦場に舞い降りた女神のようだ!」
ひそひそと交わされる会話に、私は居心地悪く俯くしかなかった。
後日、アレクが面白そうに言っていた。
「フローレン。あの日以来俺のところに『最前線の天使に会わせてくれ』って問い合わせが殺到してるんだけど」
貴族たちからの問い合わせが殺到し、中には最前線まで求婚に来る者まで現れた。
けれど普段の私は化粧もせず、ボサボサの髪を帽子で隠している。
すっぴんの私と『最前線の天使』が同一人物だと気づく者は誰もいなかった。
そんな騒ぎも落ち着いたある日、突然、あの辺境伯が療養所を訪ねてきた。
「フローレン。君に頼みたいことがある」
彼はまっすぐに私を見つめて言った。
「今度、王都に衛生学を教えるための学校を設立しようと思う。そこで君に教鞭をとってはもらえないだろうか」
それを聞き、私は思った。
いかつい最前線から出られるのはありがたいけれど、人前に立つなんて絶対無理!
それに、なんだかすごく忙しくなりそう……
断れるはずもない命令に、私は心の中で深いため息をつくしかなかった。
◇ ◇ ◇
若き辺境伯アレクシス・ヴァルトブルクは、自室で笑みを浮かべていた。
彼は身分を隠し「アレク」として後方支援の現場に紛れ込む。
机上の空論ではない、現場の真実の姿をその目で確かめるためだ。
腐敗した将校、疲弊する兵士、そして絶望的な衛生環境。
報告書で見るよりも状況は深刻だった。
そんな中で、彼はフローレンという風変わりな文官に出会った。
誰もが見過ごす「目に見えないもの」の存在を信じる女官。
一人で兵士たちの命を救おうと奮闘する彼女の姿に、アレクシスは強く惹かれた。
その知識、洞察力、そしてなにより、その優しさに。
王宮での祝賀会。
磨き上げられた宝石のように輝く彼女の姿を見た瞬間、アレクシスの心は決まった。
今まで感じたことのない強い衝動が彼を突き動かした。
「彼女こそ、私の隣に立つべき女性だ」
だが、一介の文官を伯爵家の妃に迎えるのは辺境伯といえど容易ではない。
身分違いの結婚には多くの障害が伴うだろう。
だからこそ、彼は「衛生学の学校」を設立することにした。
フローレンを初代教官として迎え、その功績を国中に知らしめる。
彼女の名声を不動のものとすれば誰も文句は言えまい。
『最前線の天使』を国を救った英雄として歴史に刻み、彼女を妃として迎える。
「待っていてくれ、フローレン」
アレクシスは王都へと続く空を見上げた。
彼の計画はまだ始まったばかりだ。
剽軽な同僚の仮面の下に隠された辺境伯の静かなる野望を、今はまだ誰も知らない。




