第5話:ワイングラス越しのささやき
大王宮の、饗宴用に使われてる大広間は、宙に浮かぶ水晶の光球に照らされて、まるで星空の下の宴のように輝いていた。
ビロードのテーブルクロスに覆われた円弧状の食卓が、壇上を囲むように並べられている。そこには、ベアトリス・フォン・エイデルファルネ王女がその父、エイデルファルネ7世の隣に座り、冷えた白ワインを貴族らしい優雅な所作で口にしていた。
確かに、この国の名前って、『エイデルファルネ王国』だっけ?
俺はその後方に立っていた。
昨日の“あの”事件から復元された、呪われたようなタキシードをもう一度身にまとい、背筋を伸ばし、肩を固くして——、魔法で再召喚・再調整されたとはいえ、あの屈辱的な衣装崩壊の記憶は、まだ肌に焼き付いている。
今夜は俺のための席じゃない。少なくとも、表向きは。
でも、あちこちの貴族たちの視線が、あからさまではなくとも、時おり俺に突き刺さってくる。まるで鞘から抜かれかけた矢のように、礼節という名の抑制をギリギリで保っているだけだ。
——そして、始まった!
最初は聞き取れなかった。けれど、その笑い声だけははっきりわかる。上品ぶった嘲りと退屈しのぎのような笑い。貴族特有の、他人を消費する笑いだ!
「例の彼でしょう?まるでペットみたいに調教してるって噂の」
と、コルヴィナ・フォン・シュタイン女爵が、声を落とすこともなくワインをすする。
「部族の子か。裸足の蛮族め。靴を履かせるのに命令が必要だったらしいな」
レンヴァルト伯がわざとらしくあくびをする。
「踏まれると野生化するって本当かしら?」
とリセア男爵夫人がくすくす笑う。
「誰かが舞踏会で彼の足を踏まないといいけど、くすっ」
「召使いに吠えたことがあるって聞いたぞ」
と別の誰かが皮肉交じりに言った。
聞こえていないと思っているのか。それとも、最初から気にも留めていないのか。
「ぐッ!」
僕は歯を食いしばりながら、動かずに立ち続ける。これも訓練の一部。尊厳を保つこと。感情に飲まれないこと......
その時だった!
上座のテーブルで、ベアトリスがひとつの囁き声を耳にしたのだろう。彼女の笑顔が、ピタリと止まった。ワイングラスを置く音が、少し強く響いた。
「お父様」
と彼女が甘く言う。
「私、昔から嫌いなものがあるの」
「何かね、我が娘よ?」
と豪華な冠をかぶってる王様は目を細めて応じる。
「自分が理解できないものを、嘲ることで自分を守ってる、脊椎のない貴族たち」
その一言で、近くのテーブルの空気が凍りついた。言葉は、確かに届いた!
彼女はゆっくりと立ち上がった。
絹に包まれた刃のように、優雅で、危うく、鋭い。そのまま僕を一瞥し、腕を差し出す。
「来なさい」
と、広間全体に聞こえる声で言った。
「あなたはまだこの国の作法を知らない。でも、あなたの存在だけで、彼らの薄っぺらさが露わになるのよね」
俺は目を見開いた。「え…本当に?」
彼女はそっと顔を近づけ、耳元で囁いた。
「彼らは狼。でもね、狼に頭を下げる必要なんてないわ。牙の意味を教えてあげればいいの」
彼女の導きで、俺たちは静寂に包まれたテーブルの間を歩いた。
フォークは止まり、グラスは宙で凍りついたように揺れもせず、全ての視線がこちらに集まる。
ベアトリスは、最も酷い囁き声が聞こえたテーブルの前で立ち止まった。
「レンヴァルト伯」
と、目は笑っていない微笑で言う。
「デザートの後、舞踏室で彼と決闘でもなさいます?」
男は咳き込み、顔を真っ赤に染めた。
そのまま、俺たちは静かに大広間を後にした。
けれど、その静寂が残したものは、まるで王命のような重みだった。
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