第2話:姫君の遊戯
目の前に広がる庭園は、まるで精巧な絵画が命を得たかのようだ。
刈り込まれた低木は信じがたい形を成し、噴水からは冷たい水音が囁き、咲き誇るライラックの香りが微かに風に乗って漂ってくる。
解放感や自由の欠片を感じるべきなのに、代わりに胃の奥に硬い塊ができている。
ベアトリス王女の視線は鋭く、計算高く、どこか獲物を狙うようなものだ。
「さて」
と、彼女は完璧な優雅さでベンチに腰を下ろし、
「ここにいる間、私を楽しませてちょうだい。動いて。何かして。笑わせて」
「...はあ?」
俺は瞬きをする。驚きで言葉が出ない。
彼女を楽しませる?道化師のように?
その馬鹿げた要求が波のように押し寄せてくる。
「何だって?」
彼女の淡い眉が上がり、俺の戸惑いを楽しんでいるようだ。
「聞こえたでしょう?踊るなり、物語を語るなり、歌うなり、何でもいいわ。ただ、そこに突っ立っているのはやめて」
私は喉を鳴らし、乾いた喉を感じながら、手を握ったり開いたりする。これは単なる退屈しのぎではない。
これは支配の顕示欲だ。
...俺は遊び道具。見世物。
でも、......従った方が生き延びやすいかもしれない。
俺は無理に笑顔を作る。脆く、ひび割れたような笑みだ。
「王...女のためなら、...何でも」
まるで喉奥に詰まった骨でも浮かべるような苦い顔で、嫌な気持ちを全部呑み込めて好きでもないことをやらされる屈辱感に耐えながらー、
「すう-はあ...、すう-はあ...」
深呼吸をし、故郷で子供の頃に覚えた愚かな踊りを思い出そうとする。リズミカルな足踏み、ゆっくりとした腕の動き—、この冷たい庭では場違いに感じる。
タター、タタ!タタ―、タタ!タタ―、タタタタ―!
彼女の視線が俺を捉えている。鋭く、楽しげに。私の一挙手一投足を測っているようだ。
タタ―、タタタタ―!
「ぷッ!」
彼女の唇から小さな笑いが漏れる。
「ふふ~、踊り下手ね?」
俺は顔を赤らめながらも続ける。これが今の俺の現実なら、最善を尽くすしかない。
タタター、タタ!
踊り終え、少し息を切らすと、ベアトリスはベンチに座ったまま、細い脚を伸ばし、ハイヒールの先を見せる。
「これを磨いて」
「.........はあ?」
俺は凍りつく。彼女が履いたままの靴を磨くって事?
「...ここで?」
「ここで」
と、彼女は当然のように微笑む。
「......くッ」
俺は彼女の足元にひざまずき、彼女が投げてよこした布を手探りで取る。
革の感触は冷たく、彼女の白い指が肘掛けを優雅に握り、目を閉じて満足げな様子が目に入る。
「ふふふ」
彼女はこれを楽しんでいる。
でも、今はここから逃げ出す算段も、ここの王国から脱出して、故郷に帰る確たる道筋やプランもないまま、彼女からの命令に背くのは得策ではない気がする。なのでー!
「...はい、分かりました、王女『様』」
自分の村にいた時の、俺達流儀や言語での敬語を思い出して、彼女にそう様づけした。今までお互いの言語が通じ合うのを見るに、確かに何かの魔法的な術式が転移時から発動されたままのはずで、俺達との間に会話が成り立つよう継続中のようだ。
ゴシゴシ、ゴシゴシ......
で、今の俺は慎重に、丁寧に靴を磨く。時折、彼女が俺を見ているのがわかる。唇の端に微かな笑みを浮かべて。
彼女はいつも欲しいものを手に入れてきたままだったのだろうか?
それとも、ただ孤独感だけで遊び相手というか『生きた玩具』で戯れたい我がままな姫様なのだろうか?
その考えを振り払う。これは彼女の遊び、俺は不本意な参加者。
彼女の境遇になって考えるのはやめよう。
彼女の人生なんて俺からすれば知ったことか!
直ぐに故郷に帰せや、こら!
ゴシゴシ、ゴシゴシ......
カーッ!
やがて、彼女は足を軽く地面に打ちつけ、終了の合図をする。
「よくできたわ。完全に無能ってわけじゃないのね。チョコ犬でも偉い仕事ができるものね、ふふふ」
(~!くそったれッ!このアマ!)
彼女の言葉は刺さるが、心の奥に奇妙な温かさが灯ったのでこの怒りを心地よい罵倒に変えた得も言われぬ何かを感じ始めた気がした!
(くそ!俺はマゾじゃなかったはずなのに、一体なんだったんだ、こん畜生~!)
タタ―!
俺たちが立ち上がると、衛兵たちが無言で庭の門に戻り、俺がどれほど自由に動きたいと行動を起こしても、あれらの武装手段が常に俺を見張ってる限り、この場所に縛られていることに変わりないことを再認識させられた瞬間だ。
(......今の俺では奴らに勝てない。......武器もないままで武装した兵ら、...しかも全員が鎧を纏ってる戦士なら、尚更......)
それから、俺達は王宮の庭園から立ち去り、自分の監禁部屋へ連れられて行くために廊下を通っている今。
タタ、タタ.......
宮殿の廊下を静かに歩く。石の壁は冷たく見え、無情だ。無論、踏んでいるここの床、...『だい......り、せき?』なんていうんだっけ?も冷たく感じる俺の裸足も......
カーッ!
突然、ベアトリスが狭い廊下の途中で立ち止まり、俺の方を向く。
「...ふふ」
彼女は小さな笑いを押し殺したような何とも言えない小声を抑えて、一歩近づいてくる。
(う、わぁー、ち、ちち、近ッ!?)
あまりにも近すぎるんだ!
そしそ――!
ためらいなく、ベアトリス王女はその白い手のひらを俺の頬にそっと当てる――!?
彼女の瞳が俺の目を探る。真剣で、探るように......
「あなたの部族は皆、こんなに肌が濃い褐色なの?」
俺は息を呑む。
「うん」
ゆっくりと頷く。どう答えていいかわからない。
「そう。...ふふ」
彼女は柔らかく微笑む。今回は嘲笑ではなく、何か深い、ほとんど敬意のようなものが感じられる。
「いいわね、違いがあることに。...目が退屈しないもの」
その瞬間がしばらく続き、彼女は一歩下がり、俺の部屋の方を指さす。
「今夜はそこで過ごして。明日…またこの小さな取り決めを続けよう」
俺は静かに頷く。心臓が混乱で高鳴っている。
閉じ込められているのに、この異国の地で、彼女だけが俺を気にかけているように感じる。
ドキッとさせるような真似を。
バターン!
扉が閉まると、俺はベッドの端に座り、彼女の、今まで生きてきて見たこともないような白い手が触れた頬を指でなぞる。
......これが本当に俺の新しい生活なのか?
それとも、まだ理解できない何かの始まりなのか?
.................................