【第2章:解析不能の初期値】
春の陽射しが差し込む午後、電子工作部の扉が、コンと軽くノックされた。
トオルが顔を上げると、そこには見慣れない制服姿の女子生徒が立っていた。
「すみません、電子工作部……見学って、できますか?」
声は柔らかかったが、音の芯に不思議な芯があった。測定できないが、確かに感じる波長のようなもの。
彼女は一礼して、部室の中へ入ってきた。真っ直ぐにトオルの机へ歩み寄ると、ちらりと基板に視線を落とした。
「この回路、±3.3Vの電源で動かしてますね。基準電位、少し浮いてませんか?」
その一言に、トオルの中で警告音が鳴る。…正確には、興奮と混乱の混合波形だった。
彼女の指摘は的確だった。 たった一瞬の観察で、回路の動作条件と不安定さを見抜いた。
「……君、電子工作、詳しいの?」
「まあ、そこそこ。回路図、読むの好きなんです」
彼女は少しだけ微笑みながら、基板のオペアンプを指でなぞる。
「このオペアンプ、帰還ループが浅いですね。ちょっと発振しそう」
トオルの中の“技術者としてのプライド”が、同時にざわついた。そしてそれ以上に、“何かが始まる”という予感が回路の深部を震わせていた。
「君の名前は?」
「楠木アマネ。今日からこの学校に転入してきたの。もしよかったら、部活、手伝わせてもらえないかな?」
その瞬間、トオルの中で何かが変わった。
心の入力回路に、明確な信号が届いた。
ノイズではない。 はっきりと意味を持った、データだった。