【プロローグ:波形の向こうに】と一章
【プロローグ:波形の向こうに】
電圧は目に見えない。 けれど、確かにそこにある。電流となり、音となり、光となり、時には、心を震わせる信号にもなる。
人の気持ちも、似ていると思った。 誰にも見えないのに、影響し合い、ぶつかり、帰還して、いつかは一つの波形を描く。
これは、回路オタクだった少年が、 ±3.3Vの世界の中で、もう一つの“基準点”を見つけた物語——。
【第1章:回路の孤独と導通】
相馬トオルが電子工作部に入ったのは、中学の頃に作ったトランジスタラジオがきっかけだった。
図書室で偶然手に取った本の巻末についていた簡易な回路図。ブレッドボードもなければハンダ付けの技術もなく、導線をむき出しのまま繋いで、イヤホンを耳に当てた——すると、雑音の中に、かすかに混じったAMラジオの音声。
その瞬間、彼の中で“電気”という見えない存在が、現実の言葉として、音として聞こえたのだ。
以来、トオルは回路に夢中になった。ラジオ、インターホン、オルゴール。市販キットから回路図を写し取り、自作の基板を起こす。電圧が流れる、LEDが光る、音が出る——その一つひとつが、彼にとっては魔法だった。
だが、同年代の誰もその魔法を共有してはくれなかった。
中学では“電気の人”と呼ばれ、浮いていた。高校に入っても状況は変わらず、唯一の避難場所がこの、電子工作部だった。
部員は少なく、トオルを含めて三人。そのうちの一人は幽霊部員で、実質的にはトオルが部の中心だった。先輩も卒業していなくなり、部室には静寂と埃と、そしてコンデンサの焦げた匂いが漂っていた。
トオルは孤独を嫌ってはいなかった。むしろ、それは心地よかった。
自分の回路に没頭し、オシロスコープを覗き、ノイズの発生源を突き止める時間こそが、彼にとっての“生”だった。
けれど、どこかで思っていた。
——もし、この波形の意味を、誰かと共有できたなら。
それは、可能なのだろうか。
心のどこかに、ずっとそういう“希望の入力回路”が存在していた。
そして——ある日。 その回路が、ついに信号を受け取る。
転校生、楠木アマネの登場によって。