ダブル・エージェント
〈櫻咲く壽ぎは死を隠したり 涙次〉
【ⅰ】
ルシフェルの復活で魔界は俄かに活氣づいた。黑ミサが彼の主宰で執り行はれる。
坂崎玖紀子と云ふ恰好の「祭壇」を得て、ルシフェルは意氣揚々と會衆に向かつた。
ルシフェルは羊頭の怪人である。人間を模した躰は、男性器と膨らんだ乳房で、半陰半陽を呈する。そして脊の大きな翼... ミサ會場の彼の脊の後ろには、逆さになつた十字架が飾られてをり、皆には酸化して黑ずんだワインが廻される。そして「祭壇」に、生贄の仔羊の血を垂らし、その仔羊の糞を練り固めた「聖餅」が各人(?)に配られる。生贄は、後で丸焼きにされ、皆々に振舞はれるのだ。
さう、何もかもが、キリスト教のミサの歪曲された形で、執り仕切られる- 【魔】たちにとつてこの上ない痛快な娯楽であり(魔界では上層部にしか酒は許されてゐない)、リフレッシュの場なのである。
【ⅱ】
カンテラの使ひ魔、年經て【魔】となつたごきぶりの「シュー・シャイン」も會場に紛れ込んでゐた。そして、この黑ミサの盛況ぶりを、カンテラに傳へる義務を彼は脊負つてゐたのだが、折り惡しく、その姿がルシフェルの目に留まつた。
「ごきぶりよ、貴様カンテラに内通してをるな!?」「シュー・シャイン」はたじたじとなつて、「い、命ばかりはお助けを」ル「ふはゝ、ぢやが儂は『内通』と云ふ言葉が大好きでな」前述の通り、人間界では惡徳とされる行為を、ルシフェルは殊の外愛するのである。
【ⅲ】
「シュー・シャイン」カンテラ事務所にて。カンテラに向かつて、かう云つた。「霧子さんの死により、だうやらルシフェルの復活は阻害された模様です」これは勿論、噓。彼は「二重スパイ」に成り下がつた...
カンテラとて、それに氣付かぬものではない。だが、二重スパイにはそれなりの活用法がある。このごきぶりの【魔】を踏み潰すのは、後回しにして、彼の言葉から(大體逆を云つてゐるのは、カンテラには分かつてゐた)魔界の狀況を讀み取らう、さう云ふ事に、決めた。
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〈斬るとてもない蟲なのだこのごきぶり一匹生かして何摂取せん 平手みき〉
【ⅳ】
明け方、カンテラは、外殻(=カンテラ)の中で夢を見た。【魔】がうじやうじや湧いてくる。それを斬つて斬つて斬りまくる。じろさんの姿は、何故か見えない。孤軍奮闘である。汗だくになり、「働いた」。魔導士の夢とは、現實と夢のあはひにあるものである。従って、
「南無Flame out!!」の呪文と共に、實體化したカンテラの提げた、傳・鉄燦には、血糊がべつたりと付いてゐた。
じろさんと悦美は珈琲を飲んでゐるところだつた、が、カンテラのたゞならぬ様相を見て、じろさん「カンさん、だうした!?」カン「俺とした事が、カネにもならぬ仕事をしてしまつたよ」彼は寢汗をびつしより掻いてゐた...
【ⅴ】
その模様を、「シュー・シャイン」部屋の物蔭に隠れて、見てゐた。そして彼は、ルシフェルの待つ魔界へと行つたのだが、そこでも「カンテラ、だうやら、魔界軍の攻勢で、息も絶えだえな模様です」と、現實とは逆の事を云つた...
だが、ルシフェルとてさる者で、「二重スパイ」の彼の云ふ事など、眞に受けてはゐない。結局「シュー・シャイン」は、誰にも信用されない「宙ぶらりん」の刑罰を受けてゐる- だうやら彼自身にもその事が分かつたらしく、カンテラに就くか、ルシフェルに就くか、を、兩天秤に掛けてみたのだつた。
結果、「シュー・シャイン」は、カンテラの忠實な下僕に戻る事にした。「旦那様、申し譯ありません。わたくし、噓を申してをりました...」と、カンテラに忠義に還る事を誓つたのである。カン「いゝんだ、長く生きてりや色んな事があるさ」。「シュー・シャイン」はルシフェルはカンテラ一味に、またしても苦杯を吞まされるだらう、さう確信してゐた。
【ⅵ】
と、云ふ譯で、今回の主役は、圖らずも一匹のごきぶり。蟲嫌ひの悦美も、彼の事だけは恐れなかつた、と云ふ挿話で、締め括らせて頂かう。
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〈蟲の出る元は暗渠よ暗がりよ彼の脊徳受け止めてやれ 平手みき〉
お仕舞ひ。