09 魔女アルティナ
アンリエッタのローブには、竜との戦いに備えて【飛行能力】【衝撃吸収】の特性を付けてある。
落下しながらアンリエッタは深く息を吸い込んだ。
ローブに織り込まれた魔力が全身を包み込み、心地よい浮遊感が広がる。
まるで羽根が生えたかのように軽やかに、身体が空中に持ち上がった。
その間も身体はゆっくりと下降し、地面が近づいてくる。
アンリエッタは着地点を見定め、わずかに足を動かして降下の方向を微調整した。
冷たい空気が頬を撫でる。
足が地面に触れる直前、【衝撃吸収】が働いた。
土埃が舞い上がり、アンリエッタはふわりと着地した。浮いていた髪が、裾が、ゆっくりと元の位置に戻っていく。
無事着地したアンリエッタは、その先に広がっていた光景を見て口元をほころばせた。
「これはまた……壮観ね」
裂け目の底は、一面の魔水晶に覆われていた。
魔水晶は青白い光を放ちながら、辺りを冷たく照らしている。まるで時間が止まったかのような静寂が満ちていた。
魔水晶とは、魔力を蓄える性質を持つ結晶だ。とても硬く、錬金術では貴重な素材としても扱われる。
無数の魔水晶が壁のようにあちこちからそびえ立っていて、前にも後ろにも行けない状態になっていた。
(魔水晶の鉱脈なのかしら)
アンリエッタは、目の前の魔水晶に手をかざした。指先にわずかな魔力を込めると、魔水晶がかすかに反応し、光を帯び始める。
【錬金術の極意】
――魔水晶が粉々に砕け散る。
錬金術は錬成するだけではない。分解も、錬金術の一種だ。素材を根本から分解してまったく別のものを錬成する――それが通常の錬金術の工程だ。
分解段階で止めれば、破壊されたものだけが残る。
アンリエッタは微笑みを浮かべ、目の前の魔水晶を次々と砕いていく。鋭い音を立てて崩れ落ちる魔水晶の破片が足元に散らばり、それを踏みしめながら先へと進んだ。
少し進んだ先にあったものを見て、驚きで目を見開く。
そこにあったのは、魔水晶に囲まれて横たわる一人の女性だった。
(わたくしの……前世のわたくしの身体……?)
それは魔女アルティア――アンリエッタの前世の身体だった。
生命活動は停止しているが、朽ち果ててはいない。生前に得た不老の力の効果だろうか。まるで眠っているかのようだ。
(どうしてこんなところに、いまだに残っているの?!)
意味がわからない。前世から何年経ったかはわからないが、数十年程度のことではないはずだ。なのに、いまだに生前の姿のままそこにある。
アンリエッタは【鑑定】してみたが、あるのはただの肉体――抜け殻だけ。
魂はなく、心臓も止まっている。呼吸もしていない。
そして、生前に得た膨大なスキルもなくなっている。魔術スキルも、神聖術スキルも。
ただ――膨大なマナを感じる。
この森に満ちるのと同じ種類のマナを。
(魔力もスキルも失った、不老なだけの身体……どうしてこれがこんなところに? もしかして、竜が守っていたとか?)
世界の敵だった魔女の身体を、魔水晶の鉱脈に落として、その場所を守っていた――?
竜が?
(何にしろ、気味が悪いわ)
どんな経緯や理由があったとしても、気味が悪い。
とっくに消滅していたと思われていた器が、いまだに現世にあるなんて。
「…………」
そしてアンリエッタは、魔女アルティナの身体を『錬金術師の部屋』に放り込んだ。
(まったく……とんでもないものを見つけちゃったわ。もしかして、これがあったから『魔女の森』と呼ばれているとか?)
誰が言いだしたかはわからないが、ここに魔女の死体があるからにはその可能性は高い。
この場所のマナの濃度も、瘴気も、不可解なことだらけだ。
(アルティナの死体がマナと瘴気を生み出していたとか? まあ怖い)
死体になっても呪いのように瘴気を撒き散らすなんて。
(さすがわたくし)
竜の逆鱗にしても、死んでもただでは死なない。さすが魔女。
魔水晶によって封印されていたのは、瘴気の放出を防ぐためだろうか。いったい誰が魔水晶漬けにしたのだろう。
(だとしたら、これからは普通の森になっていくはずね。いずれは『魔女の森』とも呼ばれなくなるかも)
何十年後、何百年後かには。
(もうこの場所に用はないわね)
アンリエッタは魔力を込めて地面を蹴った。風が舞い上がり、浮かび上がった魔水晶の欠片が煌めく。
風と共にアンリエッタの身体が浮かんでいく。ローブの【飛行能力】を最大限活用しながら、上に飛ぶ。
時折軽く絶壁を蹴って、更に上へ。
ほどなく、地上まで飛び出す。
そのままふわりと地面に下りようとして――ダリオンと、目が合った。
アンリエッタを見上げるダリオンの表情には、驚きと焦り、そして疲労の色が浮かんでいた。
「あら? 心配してくれたの?」
いきなり大地の裂け目に飛び降りたのだ。ダリオンが動揺するのも無理はない。
地面に下りながら、軽い調子で問いかける。
ダリオンは目を逸らした。
「……誰が」
「ふふっ、わたくしが死んだら契約は自動的に満了するから安心していいわよ」
『運命の契約書』はアンリエッタの魔力と皮膚からできている。アンリエッタが死ねば拘束力を失う。
アンリエッタはダリオンを安心させるために言ったが、ダリオンはあからさまに不機嫌な表情になった。
「……護衛相手にそういう物言いをされるのは、不愉快だ」
はっきりと、真剣な顔で言ってくる。
護衛相手に、あなたの護衛には期待していない、死んでも構わないし、それであなたが不利益を被ることはない。あなたの力は必要ない――と言ったようなものだ。
護衛としてのプライドを傷つけてしまっただろう。
アンリエッタは自分の無神経さを反省した。
「……そうね。確かに失礼だったわね。ごめんなさい」
「……わかったのならいい」
「傷ついちゃうわよね」
「そこまでではない」
「なによ、可愛くない」
せっかく素直に謝ったのに。
アンリエッタは頬を膨らませながら、散らかったままの食器や調理器具を見つめる。まとめておいてと言ったのに、ほったらかしのままだ。
(わたくしが急に飛び降りて、びっくりしちゃったのね)
ダリオンがどれだけ焦っていたか伝わってくるので、責める気になれない。むしろなんだか嬉しくなる。
汚れを分解して『錬金術師の部屋』に収納する。
すべて片付け終わると、ダリオンが声をかけてきた。
「これからどうするつもりだ」
「そうね、とりあえず街に行ってみたいわ。これからの生活基盤を整えたいの。気に入ったらしばらく住んでもいいわね」
ダリオンがため息をつく。
「無計画なものだ」
「臨機応変と言ってちょうだい」
「ならば、大きめの街の方がいいだろう。小さな町では君は目立ちすぎる」
「まあ。わたくしの輝きの強さがようやくわかってきたのね。とても良い傾向だわ」
「そこまでは言っていない」
「ふふっ、そういうことにしておいてあげる。いまのわたくしはとても気分がいいから」
「…………」
「だから、街に着いたら契約も満了にしてあげる」
アンリエッタが明るい調子で言った瞬間、空気が凍りつく。
ダリオンの雰囲気が張り詰めたものに変わり、怪訝な表情でアンリエッタを見つめた。
「……どういうことだ」
「あなたを自由にしてあげると言っているのよ。わたくしのことは忘れてもらうけれどね」






