【コミカライズ開始記念SS】ダリオンを酔わせてみた件
その日の夕食は、いつもより豪華にした。
メインは香草とともに焼き上げた骨付き肉に、蜂蜜と果実を煮詰めたソースを絡めた。
燻製肉に、熟成チーズ。木の実を散らしたサラダ。香辛料を効かせた小さなパイ。どれも酒に合うものばかりだ。
「……今日は随分豪勢だな」
「ええ。どれも美味しいわよ」
味見しなくても見た目と匂いでわかる。すべて【錬金術の極意】で完璧な出来上がりになっている。
「何か企んでいるのか?」
「企むだなんて――」
アンリエッタは笑いながら、果実の芳醇な香りを含んだ赤い酒を、ダリオンの杯に注ぐ。
「わたくし、あなたの酔ったところを見てみたいのよね」
「私は酔わない」
「いつもはね」
ダリオンは普段、アンリエッタの前では薄い酒しか飲まない。酔うためというよりも、料理を楽しむための酒だ。
だが、まったく酔わない人間がいるとは思えない。
この酒は特別製だった。飲みやすく、料理にも合って、そして、口当たりからは想像できないほど強い。
ダリオンはまず匂いを確認し、一口飲み、眉根を寄せた。
「……うまいが、強い酒だな」
「たまにはいいでしょう? 二人きりなんだから。もし二日酔いになったら薬を錬成するわ」
「君はあまり飲むな」
「ええ、もちろんよ」
料理を食べながら、酒を飲む。どれもダリオン好みだったらしく、料理の進みが早い。酒の進みも。
ちなみにアンリエッタの飲み物は酒ではなくて水である。
観察者が一緒に酔うわけにはいかない。
しばらく料理を楽しんでいるうちに、アンリエッタは気づいた。
「ダリオン、顔が赤いわよ」
「……そうか」
「少し酔った?」
「問題ない」
確かに、あからさまに酔っている雰囲気ではない。ないが、やや反応が遅い。
他の人間なら気づかないだろうが、アンリエッタはダリオンのことをよく知っている。
いまのダリオンは、普段からはあまり想像できない雰囲気を纏っていた。
このままだとどうなるのだろう。
酒はその人の本性を暴き出すという。
怒るか、泣くか、寝るか、陽気になるか、説教が始まるか。もし陽気になったら――とても面白いものが見れそうだ。もしかしたら歌ってくれるかもしれない。
説教が始まるのが一番可能性が高い気がして、少し身構える。
――それとも、少しくらい甘えてくるようになるか。恋人同士なのだから。
(見たいような、見たくないような……)
軽い気持ちで始めた実験だったが、いまは何が起こるのか、楽しみであり。
そして、少しだけ怖い。
「お酒はもう終わりにしましょうか」
アンリエッタは逃げた。戦略的撤退である。
「……私が酔うところを見たいのではないのか?」
「あなたは酔わないんでしょう? これ以上続ける意味はないわ」
どう見ても酔っているが。
それにしても、あの慎重な男がこんなに簡単に酔うなんて、少し意外だった。
ダリオンは空になった杯を見つめた。
「……いままでは酔わないようにしていたが……君がいるなら、少しくらい、いいかと思った」
「つまり、酔ったの? 二日酔いの心配がないから、安心して酔えた?」
アンリエッタは大天才錬金術師である。
二日酔いが瞬く間にすっきりするポーションも一瞬で作れる。
「それもある。それに、君が、見たいと言った。私は……君の願いは叶えたい」
「……酔っているみたいね」
これは、かなり深く。
ダリオンの言葉の破壊力は高い。とても高い。普段は口数が少なく、表情もあまり変化しないくせに、漏れる本音はアンリエッタの心臓を容易に射抜く。
しかもいまは目元が優しくて、声までどこか甘い。
アンリエッタは頬が熱くなるのを感じた。
自分まで香りで酔ったのかもしれない。
これ以上続けられると、本気でこちらが保たない。早く片付けて寝かせてしまおう。
そう思って立ち上がろうとしたアンリエッタを、ダリオンはただ見つめていた。
「――君の瞳は、とても綺麗だ」
アンリエッタの手が止まる。
「……あなた、かなり酔っているでしょう?」
「ああ。そうだろうな」
「水を飲みなさい」
ダリオンが立ち上がる。自主的に水を飲みに行くのかと思ったら、ふらつくことなくアンリエッタの傍に来て、アンリエッタを抱き上げた。
「ダリオン?!」
背中を支え、膝に腕を回し、あまりにもあっさりと持ち上げ、ソファに移動する。
そのままソファに座ると深く沈む。ダリオンはアンリエッタを離そうとせず、膝の上に降ろした。
「君は、あたたかいな」
「あなたは熱いわ」
ただでさえ鍛えているから体温が高いのに、酔っているからさらに熱い。
アンリエッタはすぐに膝の上から退こうとしたが、ぎゅっと抱きしめられる。
強くはない。
苦しくもない。
だが、逃げられない。
「ダリオン」
「離したくない」
間近で響いた低い声に、アンリエッタの頬が更に熱を帯びる。
こちらは酒は口にしていないはずなのに、思考がぼんやりと霞む。
「だが、嫌なら離す」
その声はいつも通り。
だが、どこか切実な響きがあった。
――嫌だと言えばすぐに離してくれるだろう。
それはわかっていた。だから。
「……嫌ではないわ……」
本音が零れる。
こんな風に抱きしめられるのは嫌ではない。
それどころか、こうしてダリオンから求められることを、嬉しいと感じている。
普段は、ダリオンはアンリエッタが抱きつけば受けとめてくれる。
手を伸ばせば握り返してくれるし、隣に座れば当然のように場所を開けてくれる。
だが、普段はほんのわずかな余白が残っている。アンリエッタが望めば、いつでも離れられるだけの余白が。
いまは、その余白がない。背中に回された腕も、膝の下にある大きな手も、アンリエッタをここに留めようとしている。
逃げようと思えば、すぐに離してくれるだろう。
それなのに、アンリエッタは何もしなかった。
熱い胸元へ寄りかかったまま、規則正しく響く心臓の音を聞いている。
アンリエッタはためらいながらも、空いた手で金色の髪を撫でた。
普段のダリオンは静かに受け入れるだけだが、今夜は手を追うようにわずかに頭を動かした。
「もっと」
「……随分と甘えてくるわね」
言いながらも、撫でるのを続ける。
「君が酔わせた」
「そうね」
少しくらい甘くなってくれたらいい、と思って。
少しくらい素直になってくれたらいい、と思って。
酔わせた責任は取る。
とはいえ、撫でるのに少し疲れて手を下ろすと、その手をそっと握られる。
いつもより柔らかい眼差しが、アンリエッタの顔を見つめていた。
「好きだ」
「……知っているわ」
ダリオンは少しだけ不満げに眉根を寄せ、そっとアンリエッタの手に口付けた。
「君が思っているより、ずっと」
――逃げ場はない。逃げるつもりもない。だが、心臓の音が強くなっていくのを止められない。
「君は、無防備すぎる」
「今度は、お説教?」
少しいつものダリオンの調子が戻った気がして、思わず微笑む。
「ああ。君は、人に見られることを気にしていない」
「わたくしは完璧に美しいもの。視線を集めるのは当然ね」
好意も羨望も嫉妬の視線も、いちいち気に留めるようなものではない。
ダリオンは続ける。
「――君は、気に入らない視線を受けても、何も気づいていない」
「気に入らない視線?」
ダリオンは酔いが回っているせいか、いつも以上に言葉が足りない。
「私と同じだ」
「ダリオンと?」
警戒している目か。心配している目か。過保護な目か。
「君を欲しがっている目だ」
「…………」
アンリエッタの息が止まった。
酔わせすぎた。だから思ってもいないことを――いや――普段は押し留めている本音が、零れ出している。
ダリオンだって、いま自分が何を言っているのかきっと理解していない。
そしてアンリエッタも、いまその告白を受け止める余裕がない。
「……もう寝なさい」
アンリエッタはダリオンの目元を覆い、強引に閉じさせた。
「……ああ」
ダリオンは微かに口元を緩め、アンリエッタを抱きしめたまま、ソファに横になる。
その呼吸が、少しずつ深くなっていく。
本当に眠ってしまったらしい。
広いとはいえ、ソファは大柄な男一人が横になればほとんど埋まる。アンリエッタの身体はダリオンと背もたれの間へ収まり、腰には腕が回されたままだ。
少し身体を動かしてみる。
眠っているはずなのに、腕がわずかに動き、アンリエッタを胸元へ戻した。背もたれとの間に収め直すと、腕の力は再び緩んだ。
耳元では穏やかな呼吸が聞こえ、頬を寄せた胸からは、規則正しい心臓の音が伝わってくる。酒のせいで高くなった体温に包まれていると、アンリエッタまで次第に眠くなってきた。
もう絶対に酔わせようとしないと、アンリエッタは誓った。
絶対に。
……しばらくは。
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