62 騎士団の戦闘訓練
朝もやの残る冷たい空気の中、魔物の巣に最も近い砦の前には、アグスティア騎士団の第一小隊――二十名の若き騎士たちが整然と並んでいた。
銀に光る鎧が陽光を受けてきらりと輝いている。
だがその瞳には、緊張とともに、わずかな眠気が滲んでいた。
「ふふっ、今日は楽しいピクニックよ」
深紅のローブの裾をひらめかせながら、アンリエッタは軽やかに笑う。
その言葉に、若い騎士たちの間から微妙な笑いが漏れる。
「……ピクニックではない。訓練だ」
ダリオンの声に、空気がぴたりと引き締まる。
若き騎士たちは一斉に背筋を伸ばし、視線が真っすぐ前を向いた。
「大丈夫よ。死にそうになったらダリオンが助けてくれるし、ポーションもたくさんあるわ。どんな怪我をしても治してあげる」
そう言って、『錬金術師の部屋』からポーションの山を取り出し、木箱ごと並べる。
アンリエッタ作の最高品質ポーションは、あらゆる怪我を治療する。
これで治せない怪我は、エリクサーを錬成して治療する。即死しない限り、死ぬことはない。
「……その発言は余計だ。怪我を前提にするな」
「いいじゃない。命さえ助かれば、経験値になるでしょう?」
「経験値は、生きて帰ってこそ積み重なる」
アンリエッタは一歩進み出て、改めて騎士たちを見渡す。
「さて――今日の実践相手はモンスターよ。この中で、モンスターと戦った騎士はいるかしら?」
数人の手が上がる。
だがその手を上げた者たちも、どこか不安げな面持ちだった。
アンリエッタは唇の端を上げて小さく笑った。
「ふふっ。本気のモンスターとの戦いは大変よ。気を抜いたら、本当に死んじゃうかもね」
アンリエッタの言葉に、空気が一瞬ざわめいたその時――
ダリオンが一歩前に出る。
「……だからこそ、今日の訓練は本気で臨め」
そのまま、鋭く周囲を見渡す。
「これは遊びではない。訓練の名を借りた実戦だ。生き延びたいなら、戦え。仲間を守りたいなら、考えろ。足がすくんでも、剣を振れ。声が震えても、指示を出せ」
静かだった空気が、ぴり、と緊張に変わる。
「ここで学べ。恐れを超えて動けるかどうかが、ただの騎士と真の盾の境目だ」
その言葉に、騎士たちの喉が一斉にごくりと鳴る。
――この日行われた訓練は、まさに実戦だった。
騎士たちは、退避行動・連携・索敵・救護――すべてを同時にこなす苛烈な内容に臨んだ。
叫び声が上がり、土が跳ね、魔物の咆哮が森に響く。
訓練とはいえ、逃げ遅れれば本当に命を落とす危険がある。
それでも彼らは、指揮系統を乱すことなく動き続けた。
まるで戦場だった。
だが、それは管理された戦場である。
アンリエッタとダリオン――二人の手で緻密に整備され、監視され、救援も万全に備えられた舞台。
それゆえに、この過酷な訓練が可能だった。
実戦訓練を乗り越えた者たちは、自分たちの弱さと強さを知ることとなるだろう。
◆◆◆
砦の石造りの廊下は、夜になると冷たい静けさを帯びる。
月明かりに照らされた扉の前で、アンリエッタはノックもせずに扉を開いた。
月明かりが静かに差し込む砦の一室では、蝋燭の灯りが揺れる書き物机には、地図と報告書の束が並び、その前でダリオンがペンを走らせていた。
「ダリオン、まだ起きているの?」
「ああ。報告書をまとめていた」
振り返りもしない返事。律儀で、真面目で、相変わらず堅い。
だから、ちょっとだけ意地悪したくなった。
「早く寝ない悪い子には、また膝枕をしてあげようかしら」
ダリオンの肩と指がぴくりと震える。
「……からかうな」
アンリエッタは微笑みながら彼のそばまで歩き、机の上の書類にちらりと目をやる。
重なった紙の上に並ぶ、やや右上がりの丁寧な文字。
――地獄のような実戦訓練の後に、これだけの事務仕事。
本当に、この男は休まない。
「――これで、領地の防衛能力を一気に底上げできたはずだ。通常なら数年単位の事業を数日で達成したようなものだ」
ダリオンはどこか誇らしげだった。その青い瞳が、アンリエッタを映す。
「君の力だ」
アンリエッタは静かに首を横に振った。
「いいえ、あなたの功績よ」
立案から計画、そして実行まで。アンリエッタが行ったのは、ただその計画を実現させただけだ。
「ふふっ、お父様からの報酬を楽しみにしていて」
「……いや、君が受け取るべきだろう」
――まだそんなことを言う。
「わたくしを誰だと思っているの?」
アンリエッタは挑発的に笑いながら、窓辺へいき、窓を開けた。涼しげな風が入り込み、髪を揺らす。
「お父様のものは、いずれすべてわたくしのもの。報酬なんて形でいただかなくてもね」
この大地も、この空も。
アンリエッタが爵位を継げば、いずれすべてアンリエッタのものとなる。
「だからダリオンは、いただけるもの全部受け取って。お願いね」
「……君が、そう望むなら」
「あら、素直ね」
「そもそも、私が君のものだからな。どんな形式で受け取ろうと、同じことだ」
まっすぐな声音に、思わず胸が跳ねた。
常日頃からダリオンは自分のものだと宣言しているが、本人に言われると――少々、困る。
ダリオンが立ち上がり、アンリエッタのいる窓辺にくる。月明かりが映し出す顔を眺めていると、その手が、そっとアンリエッタの髪に触れた。
(え――?)
指はそのまま髪を滑り、続けてアンリエッタの頭に大きな手が触れる。
「あ――あの、ダリオン……?」
妙な緊張感に、鼓動が早まる。声はわずかに震えていた。
「――そろそろ寝よう。君も、部屋に戻れ」
「わ、わかっているわよ」
アンリエッタはすぐに部屋を出て、廊下を早足で移動する。
自分にあてがわれた部屋に転がりこみ、扉を閉めた瞬間――へにゃっと、足の力が抜けた。。
(……な、何あれ……)
心臓がばくばくしている。手も熱い。顔は火がついたみたいだった。






