44 大切な話
リビングへと父を案内すると、足を止めて周囲を見渡した。
この部屋は公爵家の居間を参考に整えられている。ソファの配置、窓辺の飾り棚、ティーセットの並びに至るまで、かつての家を思わせる設えだ。
ただし、広さだけはどうしようもない。
かつての屋敷のような吹き抜けも、大理石の暖炉もない。
それでもこの光景は、王都の公爵邸の記憶を呼び起こしただろう。
その視線の先には、母の形見のチェスセットがあった。
ソファの下から、ぷくり、と小さな泡が漏れた。
来客の気配に気づいたのだろう。イムが身体を小さくして隠れている。
アンリエッタはダリオンは並んでソファに腰掛けた。
向かいの席に父が静かに腰を下ろす。深く、沈み込むように。
居間の空気が、わずかに張り詰める。
「きっかけは、レオナード殿下の婚約破棄宣言でした」
公爵である父はある程度調査を済ませているだろうが、アンリエッタは最初から話した。
ダリオンにも聞いてもらうために。
「陛下とお父様が不在の舞踏会にて、殿下が聖女様を引き連れて、わたくしとの婚約の破棄と国外追放を命じられたのです」
――あの舞踏会の夜。
アンリエッタは婚約破棄の宣言をされて、それと同時に前世の記憶とスキルを取り戻した。
「わたくしはショックで気を失い、気づいたときには城内で監禁されていました。このままでは国外追放処分は免れないと思い、監視の目を盗んで城を出ました」
アンリエッタはあえて詳細を語らずさらりと流す。
「表向きには、わたくしは城から身を投げたことにされて、速やかに火葬も行われました。――そうして、アンリエッタ・アグスティアは死んだのです」
そうやって、アグスティア公爵令嬢は抹殺された。
「レオナード殿下は聖女様を妃に据えようと考えていたようですが……わたくしは以前より聖女様の身辺調査をしており、彼女と親しい神官がいたこと……そしてその相手の子を身ごもっていることを知っていました」
――この大スキャンダルは、王国ではいまどうなっているのだろう。
気になりつつも、アンリエッタは話を続ける。
「わたくしは、王家への最後の忠誠として、その証拠をレオナード殿下に付きつけて、国を出ました」
アンリエッタは隣に座るダリオンを見る。
「そして『瘴気の森』でダリオンと出会い――冒険者となって、いまは二人で暮らしています」
そこでアンリエッタは話を終えた。
父はものすごく渋い顔で聞いていた。
「お前の話はわかったが……まさか一人でそれをやり切ったのか? どうやって?」
やっぱりさらりとは流してくれない。
「錬金術でです」
「そんなもの、どこで覚えた」
「……通信教育?」
「つ、通信教育?!」
「先生と、本とお手紙を通じて……わたくし、才能があったみたいで、あっという間に天才錬金術師になったみたいです」
前世の魔女アルティナの記憶を思い出して、【錬金術の極意】というチートスキルを取り戻したなんて言えない。
到底信じてもらえるとは思えないが、適当なことを言うしかない。
父は深くため息をつき、こめかみを押さえる。
「――なるほど。お前なら、そういうこともあろう」
――信じた。
「――お前が勝手に火葬されたと聞いたときは、やつらに本当の火を教えてやろうかと思ったものだが……」
王都に火を放つ計画をさらりと言う。
アンリエッタは目を瞬いた。
「お前の書き置きを見つけ、保留にしておいてよかったというべきか」
アンリエッタを見つめるその目は、どこか優しい。
いままでずっと、怒られるものと思っていた。聖女と王太子にしてやられるなど情けないと。
「生きていてくれてよかった……強くなったな、アンリエッタ」
「お父様……」
アンリエッタは思わず立ち上がり、父の元へ駆け寄っていた。
父も立ち上がり、両腕を広げてくれる。そこに飛び込むと、あたたかく包み込まれた。懐かしい匂いだった。
しばらく、父の胸の中で黙っていた。
目を閉じ、温もりと静けさの中で、心の波をなだめる。
どれほど望んだ再会だっただろう。
どれほど恐れていた再会だっただろう。
やがて、気持ちが少し落ち着いた頃、アンリエッタはそっと顔を上げた。
「……レオナード殿下は何とおっしゃっているのですか?」
王国を出て以来、アンリエッタはあの場所がどうなっているのか、知ろうとせずにいた。
だがいまは、知りたい。
あの男が、どんな顔で、どんな言葉を吐いているのかも。
父はゆっくりと腕を解き、真っ直ぐにアンリエッタを見つめた。
「公式報告では、お前が聖女エミリアに対して根拠なき中傷を行い、婚約者としての品位を著しく損なったため、王家の威信を守るべく処分せざるを得なかったとなっている」
王家らしいやり方だと思った。
王太子の過ちを正当化するには、すでに死んだことになっているアンリエッタにすべてをかぶせるのが一番早い。
死人は弁明できない。反論もできない。
彼らのもっとも得意とするやり方だった。
「処分を聞いたお前がショックで倒れ、療養中に逃走。その後、城内で身を投げた形跡と損傷の激しい遺体があったため、遺体をアンリエッタと断定し、速やかに火葬を行ったと」
口調は淡々としていたが、その目には怒りと悲しみの色が滲んでいた。
「王国としては粛々と法に則って対応したとのたまっていた」
アンリエッタは目を伏せ、唇を噛んだ。
「……聖女様は?」
「いまは王家の管理下にて療養中だ」
それは、閉ざされた部屋での監禁に他ならない。
アンリエッタはふとダリオンを見た。
ダリオンは黙ったまま、わずかな動きも見せず、ずっと話を聞いていた。
その顔は、いつものように冷静で、感情の読めない表情を張り付かせている。
だが、その静けさの奥に、彼の意志の強さを、アンリエッタは確かに感じていた。
「ダリオン・ヴァルフォードと言ったか……」
「はい」
「娘を守る覚悟はあるか?」
「――私の命に代えても」
ダリオンは一瞬も目をそらさず、父の顔を見て言い切った。
「その言葉は軽々しく使うものではない。死んで守るなど、甘ったるい誓いにすぎん」
「…………」
「――国を敵に回しても、娘を守り切る覚悟はあるのか?」
その問いに、ダリオンはわずかに瞼を伏せ、すぐに目を開いた。
「……生きて、守ります。どんな手を使っても」
父の口元が小さくほころぶ。
「よく言った。娘を守るものとしての覚悟はあるようだ」
アンリエッタが思わず息を呑む。
けれど、父の言葉はそこで終わらなかった。
「だがな、娘の相手となれば話は別だ」
「え?」
思わず声を上げたアンリエッタをよそに、父は続ける。
「剣技は十分なようだが、それだけで守り切れると思うなよ」
「お父様……?」
「――婿にする価値があるかどうか、見極めさせてもらう!」
「お父様?! どうしていきなり婿試験?! む、婿とか、そんな……」
まだ結婚の話も出ていないのに。
「受けて立ちましょう」
「なんで受けちゃうの?!」
まったく臆することなく言い切るダリオンに、アンリエッタは思わず叫んでいた。






