42 恋人なら一緒に寝てもおかしくないわよね?
――それから数日間も、ダリオンの態度は一切変わらない。
ある日、ダリオンだけ冒険者ギルドに出かける。
朝方に出かけて、依頼をこなして夕方に帰ってくるとの話だったので、お弁当だけ作って持たせた。ダリオンのアイテム鞄に入るサイズで。
アンリエッタはイムと遊んだり、ちょっと買い物に出たり、街中で野良猫と遊んだりして昼過ぎには家に帰る。
ダリオンがいない家というのは、広くて静かだ。
「夕方に帰ってくるってことだし……夕食はちょっと豪華にしちゃおうかしら」
少し手の込んだものを作って、軽めのワインも開けて、ちょっとしたお疲れ様会をしよう。
例えばクリームコロッケとか。
アンリエッタはキッチンに向かい、夕食の準備を始める。
「――よし。これでもうあとは揚げるだけね」
副菜の準備もした。ワインも『設置型食料低温保存ボックス』で冷やした。あとはダリオンが帰ってきたら仕上げをするだけ。喜んでくれるだろうか。
ダリオンの帰りを楽しみに待つが、彼はなかなか帰ってこなかった。夕方には帰ってくると言っていたのに、もう空が藍色に染まっている。
「何かあったのかしら……やっぱりわたくしもついていった方がよかったかしら?」
少しだけ心配していると、リビングに設置してある双子のベルが鳴る。玄関ベルと連動しているベルが。
玄関に出迎えにいくと、少し疲れた顔をしたダリオンがいた。
「すまない。遅くなった」
「おかえりなさい」
イムがぴょんと跳ねながらダリオンの足元に行く。「靴底をきれいにさせて」というアピールだ。
だがダリオンは靴底をイムに預けずに、どこか気まずそうにしていた。
――怪我はない。装備の破損もない。
だが少しだけ顔が赤く、ほんの少し、お酒の匂いがした。
「飲んできたの?」
アンリエッタの問いに、彼は少しばかり視線を逸らした。
「馴染みの冒険者の結婚報告があって、飲みにいく流れになって……一杯で切り上げてきたんだが」
「あら、おめでたいことじゃない。もっと楽しんでくればよかったのに」
心配させたことにはちょっと文句を言いたかったが、おめでたい事なら強くは言わない。冒険者同士の付き合いもあるだろう。命を預けあうこともあるし、情報交換もするような関係だ。良好な関係を保とうとするのは当然のことだ。
「それで、食事はしてきたの?」
ダリオンは申し訳なさそうに一瞬目を逸らす。
「……少し食べたが、足りていないようだ。よければ、君の作った夕飯を少しもらえるだろうか?」
「ふふっ、もちろんよ。仕上げをするからちょっと待っていて。そうね、イムに靴をきれいにしてもらって、お風呂も先に入ってきて」
アンリエッタはダリオンが身体を洗って着替えてくる間に、『設置型食料低温保存ボックス』から衣をつけたクリームコロッケを取り出し、熱した油の海に泳がせた。
サクッと香ばしく揚げる。副菜も彩りよく盛りつけ、冷やしておいた白ワインをテーブルに置く。
ダリオンがスクリューでコルクを抜いて、それぞれのグラスに注ぐ。
――完璧。
食卓に、温かな料理とほのかに甘いワインの香りが揃う。
「じゃあ、あなたのお疲れ様会、ね。乾杯」
アンリエッタが軽くグラスを掲げると、ダリオンが応じて、静かにグラスを合わせ、軽やかな音が響く。
「いただきます」
ナイフを入れると、コロッケの中からとろりと白いソースが顔を覗かせる。
ダリオンはひとくち含み、静かに目を伏せた。
「やはり、君の作ってくれるものは美味しい」
「ふふっ、当然ね」
熱々のクリームコロッケと、軽やかな白ワイン。相性も抜群だ。
「味はもちろんだが……君の心遣いを感じる。昼食も嬉しかった。ありがとう、アンリエッタ」
「よ、よくわかってるじゃない。また作ってあげるわ」
やりとりの中、ダリオンは真剣な声で呟いた。
「……私は本当に幸せ者だ」
「そうよ。感謝しなさい、わたくしに」
「ああ」
ふとダリオンは食事の手を止め、食卓をじっと眺めた。
「……次からは、乾杯だけしてすぐに帰る。あとで日を改めて祝うことにしよう」
「それじゃあ、お祝いの品は一緒に選んであげる」
「……ああ、助かる」
ダリオンはほんの小さく微笑んだ。まるで、救われたかのように。
「……冒険者同士の結婚ってどんな手続きが必要なのかしら?」
ダリオンが一瞬、目を瞬かせた。フォークが止まる。
「た、ただの興味よ」
特別な意味はない。ただの興味本位だ。
「……教会に結婚登録と、ギルドに報告。必要なのはそれくらいだ」
「ふぅん、簡単なのね」
貴族の結婚は複雑だ。そもそも個人の結びつきではなく、家同士の契約だ。
条件が折り合わなければ破談もある。
そして、気持ちが追い付かなければ裏切りもある。
アンリエッタは、婚約者だった王太子に――ともに国の未来を作っていくことを約束した相手に、裏切られた。
だが、冒険者にはそんなしがらみはない。
個人の気持ちだけがすべてで、手続きも簡単なものだ。
いまのアンリエッタはただの錬金術師で、冒険者。
――その気になれば、すぐにでも結婚できる。
(な、何を考えているのわたくし!)
アンリエッタは最後のコロッケを食べ、ワインを飲みほした。
◆◆◆
――その夜は、昨日よりも少し寒かった。
ベッドに入ってクマちゃんを抱いて寝るも、なかなか寝付けない。
「…………」
アンリエッタは意を決してベッドから起き上がり、スリッパを履いて隣の――ダリオンの部屋に向かった。
暗い中、ダリオンの部屋の前に立ち、しばし悩みながらも――勇気を出してドアをノックした。
ほどなく内側からドアが開き、ダリオンと――目が合う。
「……どうしたんだ?」
「ねえ、ダリオン……一緒に寝てもいいかしら?」
――結婚前の相手と寝室を共にするなんて、普通ならありえない。
だが、いまの自分は貴族ではない。ただの冒険者だ。
冒険者なら、自分の心だけで動いてもいいはずだ。自分と相手の意志だけで結婚もできるのだから。
――それに、ただ、一緒に眠るだけのこと……
ダリオンは長い沈黙の後、一瞬目を伏せてからアンリエッタを見つめ直した。
「……今晩だけだぞ」
その言葉に、緊張で強張っていた肩が、ふっとゆるんだ。
アンリエッタは静かに寝室へと足を踏み入れる。
どこかぎこちないままベッドに入ると、ダリオンが隣に身を横たえた。
同じ布団の中、彼の体温がじわりと伝わってくる。
胸がどきどきする。けれど、なぜだかとても安心できた。
「……あなた、クマちゃんよりあったかい……」
ぽつりと呟いた言葉に、ダリオンがわずかに息をのんだ気がした。だが返事はない。
ただ、静かな夜の空気だけが二人を包んでいる。
アンリエッタが幼い頃から抱いてきた、ふわふわで優しいぬいぐるみ――クマちゃん。どんな時でもそばにいてくれた大切な存在。
けれどいま隣にいるのはぬいぐるみではない。生きた人間――ダリオンだ。
彼の身体はごつごつしていて、決して柔らかくはない。けれど、その温もりと、静かな呼吸、かすかに聞こえる鼓動は、何よりも心を満たしてくれた。
それがたまらなく愛しくて、幸せで。
これから先もずっとこうしていたいと思った。
ダリオンはどう思っているのだろう。少しでも同じ気持ちだったらいいのに。安心してくれて、未来を願ってくれていればいいのに。
――未来。
もしかしたら自分たちも、いずれは結婚するのだろうか。
(結婚だなんて、そんな……)
――するとしたら、どうなるのだろう。
ダリオンは、結婚したいと思ってくれるだろうか。
だが、もし結婚するなら、自分のことをちゃんと話さないといけない。
自分の正体を隠したまま結婚して、あとで迷惑をかけると申し訳ない。
それに、ちゃんと知っておいてもらいたいという気持ちもある。
ダリオンはアンリエッタのことを「お嬢様」とは思っているようだが、隣国の公爵家の娘と明かしたらどう思うだろう。さすがに驚くだろうか。
そして、どうして公爵家の娘が冒険者となっているのかと疑問を抱くだろう。
政争に負けて、婚約していた王太子に裏切られて、死んだことになっているなんて……
(……あなたに知られたくない……)
打ち明けたら、家に帰るように言われるかもしれない。厄介そうで関わりたくないと思われるかもしれない。
――言えない。
この時間を壊したくない。
好きになった人と、こうして過ごせる時間を、失いたくない。
知っておいてもらいたいのに、知られたくない。矛盾した気持ちに胸が締め付けられる。
そしてその痛みも、あたたかさに溶かされていく。
(ダリオンはもう寝たのかしら……)
息も静かだし、微動だにしない。何も言わないのに、安心感を与えてくれる。
包み込まれているようで、アンリエッタもだんだんと眠たくなってくる。
――ああ、もう、怖くない。
このぬくもりがあるのなら、どんな悪夢も。どんな未来も。






