第四話:鬼は列を知らず
「キーンコーンカーンコーン」
チャイムが鳴る。
その鐘の音は昼食の時間を示していた。
松井がとんでもないスピードで教室を飛び出して、廊下を全速力で疾走っていく。
それを追うようにして教室にいた生徒たちが一斉に廊下へと駆け出す。
そんな様子を眺めていた美来乃は不思議そうに、まだ教室に残っていた数人の内の僕に言った。
「あいつらどうしたんだ?…あんなに慌てて」
「僕たちも急ごう。もう間に合わないかもだけど」
「え?」
「弁当持ってないだろ?なら学食に買いに行かないとな」
早く向かわなくては、予め数の決まっている品々がすぐに無くなっていってしまうのだ。
これは、転校生より先にこの学校に通っているからこそ知っていた。
「チャイムが鳴ったその時から、既に戦いの火蓋が切られてんだよ」
「戦いだって?!…いいぜぇ。そういうのは大の得意だ!それで一体何の戦いだ?」
「肉に飢えたハイエナ共との昼飯を賭けた争奪戦だ」
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僕等は一足遅れて三階の教室から一階にある食堂まで出向いた。
食堂にはもう既に学生たちでごった返し、長蛇の列ができていた。
数十にもなる列の最後尾に2人で加わる。
「出遅れたみたいだな。おふたりさん」
列の前の方で松井がニヤニヤと笑っていた。
「残念だけど、ずいぶん列に並ばないといけないみたいだな」
そう言って後ろを振り向いたところ、そこに転校生の影は無かった。
「あれ?どこ行った?…」
再び正面を向き直してみると、前方に並ぶ多勢の生徒たちを掻き分けて最前列を目指す醜い彼女の姿があった。
「おら邪魔だどけ!オレが一番先だっ!!」
まるで列が見えていないのかと疑うほどに、並びを無視して割り込んでくる彼女に生徒一同も騒然としていた。
「おいおい、それはナシだろ!?美来乃ちゃんだけズルいって!」
これには松井も驚愕したが、すぐさま列を抜けて彼女の後を追うように列の先頭を目指して行った。
つい数分前まで列のずっと後ろの方にいたはずの美来乃はいつの間にか列の先頭にいて、何事もなかったかのように料理を頼んだ。
「おばさん!にく!!ステーキをくれ!」
カウンターに身を乗り出してありもしない料理を注文する美来乃。
決して良くはない彼女の行動を真似た松井の2人を、両腕で抱えて最後尾まで引きずっていった。
「おい何するんだっ!離せ!!離しやがれニンゲンが!」
美来乃は引きずられながら、まるで駄々をこねた子供のようにジタバタと暴れた。
「お前こそ何考えてるんだよ!列は並ばないとダメだろ。それに…」
「何だ?」
「おばさんはないだろ。あれはまだ三十代くらいだぞ」
「そうなのか?そんなの知ったことか。オレはガキか大人かジジイかババアかで区別しているからな」
「ずいぶん大雑把だな」
この変人、というより奇人の美来乃を諭している中、そのすきに前列へ行こうとする松井に気づく。
「おい松井。どこへ行くつもりだ?」
「どこって、俺の元いた列に戻るだけ」
「松井。お前は一度列を脱したんだ。お前も後ろだ」
「えぇー!?マジかよ!でも、この中じゃ俺が一番前のはずだろ?」
どうやら松井は後ろの3人の中で、誰が先かと列順を気にしているらしい。
そんなの大して変わらないだろうに。
「別に、この3人の並びなんてどうだっていいだろ。変わらないよ」
「いいや、変わるね。元々俺はもっと前にいたんだから、お前らよりは前だ!」
美来乃の方も、さり気なく僕と松井より前方に横入りしてきた。
「じゃあ平和的かつ公平にこの3人で列の順番を決めようじゃないか」
「どうやるんだ?」
美来乃が尋ねる。
「じゃんけんだ」
「「「最初はグー。じゃんけんポン!!」」」
「よし!オレの勝ちだな」
美来乃は勝ち誇った態度で言った。
「美来乃ちゃん、今手変えてなかったか?」
松井も不意に気づいたようだった。
「あぁ。完全にやってたよな。僕らがポンで出した後に、もう一回ポンッて美来乃が後出ししてた」
「だから美来乃じゃない!オレは鬼の頃ミラと呼ばれていたからな」
「それ冗談じゃなかったのか?…てか話を逸らすなよ」
「それより『チョキ』が『グー』に負ける?オレの鋏は石をも切り裂く!」
「幼稚園児みたいこと言うなよ」
「というか紙の『パー』が石の『グー』を包んだら勝ちというのも納得がいかない。何で包んだら勝ちなんだ?」
「ジャンケンてそういうものだからだろ?」
珍しく松井が真っ当なことを言う。
「そうだ!じゃあこうしないか。今から3人で殴り合って最後に立ってた奴が一番最初だ」
「野蛮だな。そんなことしたら飯喰ってる場合じゃ無くなるだろ。それに…もしそうしたらお前が不利になるぞ?」
「何でだ?」
「何でって…僕らは男だけど君は、一様女の子だから」
「一様?…オレは正真正銘のメスだぞ?オレのこの身体は女のニンゲンのものだったはずだ」
「あぁそうだった!今のは、口が滑った…」
担任が彼女に"一様'と付けた意味がよく分かった気がした。
「とにかく僕らは男だから、女の君は不利なんだ」
「それがどうした?…男には弱点がある。そこを蹴り上げれば一発なんだろ?」
「ええと、さぁ、どこのことを言ってるんだか」
「おいまさか金的のことか?金的のことなのか?!」
松井が下腹部を抑え身構える。
僕がわざわざ言葉を濁したのに松井は明言した。
「良かったら私の前来る?」
僕と美来乃、松井の3人でごたごた話していたところ、数人挟んで僕らの前方に並んでいたクラスメートの如月茜が見兼ねてか声を掛けてきた。
肩まで伸ばした黒髪に、凛とした表情を浮かべている。
如月茜といったら、うちの学校でもクラスのマドンナ的存在で随一の美少女だ。
すかさず松井が答える。
「おぉ!サンキュー如月。じゃあ前いかせてもらうわ」
「いや、松井くんに言ってないんだけど…」
「おぉ!"転校生にはみんなやさしくしてくれる'って、オレの母親だとか言い張ってたニンゲンの言葉はほんとだったんだなぁ。じゃあ悪いな」
「いやそっちの転校生でもなくて…」
「僕か?…」
如月茜。彼女はやたらと僕に声をかけてくる。
八方美人で、誰に対しても気さくに接する彼女だが、僕と話すときだけ、彼女の声色が1オクターブ上がる。
僕だけには他のクラスメートたちとは特別かのように接するのだ。
「おいちょっと待てよ。なんでこいつだけ良いんだ?」
美来乃が意外にも真を突いた発言をした。
「え?それは…ええと…その……彼、左腕をケガしてるでしょ?…利き手をケガしてるから、食べるのに時間がかかると思うの。それはかわいそうだし…」
その言葉を聞いて、僕は微かに苛立ちを抱いた。
彼女が僕を特別視するのは、不具者としての憐れみを向け、不遇に思っているためだと感じたからだ。
その点、普段は穏和な僕であっても癪に障った。
「かわいそう?…かわいそうってどういう意味かな、如月さん…」彼女が何故僕の利き手を把握しているか気になりつつも、僕は少し語気を強めて訊いた。
「たしかに、オレもその感情はよく分からないな」
美来乃が口を挟む。
「お前ら。そんな言葉の意味も知らないのか?
"かわいそう'っていうのは…ええと…何て言うんだろ…その…なんか…心を思いやって…それで…かわいそうって思う感じだ」
松井が答えようと口走ったが、言いかけて自分も上手く説明できないことに気付いた。
「結局どういう意味なんだ?」
美来乃は首を傾げる。
「いや…言葉の意味は知ってるし聞いてないよ。ただ、どういうつもりで言ったのか気になっただけだ」
「私はただ前を譲ってあげようと思っただけだよ?」
彼女は声の音程を一定に保とうとしていたが、声は僅かに震えていた。
その彼女の声色は、まるでビブラートの掛かったような透き通るような綺麗な声音だった。
「それなら、僕だけ譲るのはおかしいんじゃないか?」
「えぇ、そうよね…。じゃあよかったらそっちの2人も前どうぞ」
「ほんとか?!ラッキー!ほら早く3人で如月の前行こうぜ」
「いや、それは駄目だよ」
如月茜が渋々2人も譲ってくれたところを、僕が話の腰を折った。
「何でだ?現にこの女はオレたちに前を譲ってくれたぞ?」
「彼女が良くても、僕らと彼女を挟む列の間に数人いる」
「それがどうした?でもその女はこいつらより前にいるんだからいいだろ」
「そういう訳にもいかない。可能だしたら、彼女と代わりに誰か一人が列の場所を交換するくらいだ」
「じゃあ誰が女と列を交換する一人なんだ?」
「…………」
「じゃあやっぱりここは殴り合いで決めるか!」
美来乃が再び学食に野蛮を持ち込もうとした矢先、
僕らより数人前にいる如月茜がいつの間にか列の先頭に立っていた。
「おいなんであいつ先頭にいるんだ?抜け駆けして列を抜かすなんてズルい女だ」
「いや、違うぞ美来乃。僕らが話しているうちに、列が回ってきたんだ」
振り返ってみれば、僕らの後ろに長い列が続いていた。
如月茜が会計を済まし、また一つ列が全体前に進んで変動する。
そうして、いよいよ列の先頭が僕らの直前までやってきた。
色々あったが、これでやっと学食の料理にありつける。
そう思って、僕はポケットに手を突っ込んでそれを取り出そうとしてから気付いた。
「あっ!?やらかした。最悪だ」
「どうした?」松井が不思議そうに尋ねてきた。
「財布…教室に忘れた…」




