第三話:口から出た鬼語
「―――少し早いですが今日はここで授業を終わりにします」
「きりつ!」
担任の授業終わりを告げる合図のもと、クラスの号令係も兼ねている学級委員が号令を掛け始める。
いつもより一層長く感づる授業を幾多も乗り越え、やっと生徒たちが心待ちにしていた昼休みの時間が近づいてきた。
「きをつけ!れい!!」
合図と共に僕等は礼をする。
「もう一度お願いします」
でたよ。生徒全員の礼がしっかり揃うまでやり直し続ける新手のパワハラ。
周りのクラスメートは皆めんどいと思うし、やり直しさせられる原因となった当の本人は申し訳無い気持ちになって誰も得しないやつ。
挨拶が大事とはいえ、この手の所業にはやはり嫌気がさす。
「きをつけ!れい!!」「もう一回」「きをつけ!れい!!」………
号令が掛けられる度に僕等はお辞儀をするので、まるでお偉方に媚を売るため、下手に回った社長のように頭をペコペコと上げ下げする羽目になった。
「なぁ、それいつまでやるんだ?」
そんな様子を棒立ちして眺めていた転校生の美来乃が、痺れを切らして疑問を呈す。
「お前が礼するまでだよ」
「それオレもやらなきゃいけないのか?」
「とりあえず早く頭下げろって。みんな待ってるから」
担任が転校生に向けた察せよと言わんばかりの鋭い視線に気づき、転校生の美来乃に礼を促した。
彼女は納得のいかぬ様子で渋々僕たちを真似て頭を下げた。
「はぁー。やっと終わった〜っ!」
そう彼女は伸びをしながら言う。
それはこっちのセリフだがな。
こいつと違って授業中、基本的に私語を謹んでいた生徒たちはガヤガヤと駄弁り始める中、彼女は隣の席にいる僕に話し掛けてきた。
「なぁ、さっきのって何の意味があるんだ?」
「あれは挨拶だよ。と言っても、軍隊式の習わしの名残だな」
「どういうことだ?」
「かつて人と異種族が全面的な戦争をしている最中、人は人同士で争うようになった。その時の習わしが今も続いているんだろう」
「そうなのか。異種族と戦っておきながら仲間内で争い合うなんて人間は愚かだな。大体なんで仲間割れなんかしたんだ?」
「人間側は2つの勢力に分断したんだ。異種族を全滅させようとする"根絶派'と異種族たちと対話を試みて平和的な解決策を模索する"穏健派'だ」
「あれぇ?そんな話聞いたこともないけど」
説明していた手前、松井の奴が割って入ってきた。
「すごい妄想だな。神話かよ」
「いや本当だぞ。今だってそんな派閥があったりなかったり…する、し、誰しもこのどちらかの考え方に分かれるはずだ」
「―――じゃあお前はどっち側なんだ?」
「俺は断然ぶっ倒す側だな。化け物どもと仲良くやってしどうするんだ?…そいつら全員ぶちのめして、英雄になったほうがマシだね」
転校生の質問にすかさず松井は答える。
「英雄か」
僕は思わず自嘲気味に笑った。
「お前じゃない。そっちのイタイ奴に言ったんだ」
どうやら彼女は僕に聞いているらしい。
イタイとか、あんたにだけは言われたくないけどな。
「僕は…」
答えようとして言い淀んだ。
何度か思案したことのあるその事柄に、まだはっきりと答えを出すことはできなかった。
「さぁ、どうかなぁ。まぁ言葉が通じる相手なら、まず話し合いから始めるべきだとは思うけど…
だけど―――」
「美来乃……ミラさん!ちょっといいかな?」
その時、担任が彼女を呼んだ。
「いや無理だ。今はこっちで話してるんだ。話しかけるな」
彼女は担任の呼びかけを無視するどころか、実に辛辣な言葉を返した。
担任のあいつも癪に障ったらしく、転校生に用があったらしいが、呼ぶのを諦めて教室を後にした。
「おい、今先生がやばい目つきでお前のこと睨んでたぞ?」
「それがどうかしたのか?」
「マズイって。あれはかなり怒ってるみたいだったぞ」
「目つきだけで怒っているか分かるのか?…スゴイな!」
「言ってる場合か。とにかくもっと言葉遣いに気をつけた方が良い。言葉は時に人を傷つけたり最悪殺したりすることだってあるんだ」
「へぇ〜言葉だけでニンゲンを殺せるのか?オレもできるようになりたい!!」
注意を促したつもりだったが、あいにく彼女は思わぬ方向で勘違いしているらしい。
「いやそうじゃなくて。僕は気をつけるように言ったつもりなんだけど…」
「オレに教えてくれ。言葉でニンゲンをぶっ倒すやり方を!」
何故か彼女は目を輝かせて言ってきた。
「違うって!僕は言葉にはもっと他に有用性があるって言ってるんだよ」
「例えばどんな?…」
「ええと、それは色々あるけど...あと女の子なんだからさ。その…一人称"オレ'っていうのはやめなよ」
「黙れニンゲン!オレに命令するな」
命令っていうかアドバイスしたつもりなんだけどな…
「前からそうだったのか?」
「いや、鬼だった頃は"ワタシ'だったな」
「その鬼だった頃っていうのはよくわからないけど、前は違かったんだな? じゃあなんで一人称が変わったんだ?」
「だって"オレ'の方が強そうだろ?」
「はぁ?」
僕は思わず素っ頓狂な声を上げた。
「"ワタシ'だと何だかかしこまってる気がして嫌だし面白みが無い。かといって"ボク'は弱々しく感じる。他には……」
「あとは"妾'とか"儂'とか?」
「そんな感じだな。悪くはないがしっくりこない。残るは……"オイラ'や"おいどん'とか――」
「それは違うんじゃないかな?」
「あぁ…オレもこれは違うと思ったんだ…だからその中でも一番強そうで真っ当な"オレ'を使ってるんだ」
「別に強そうに思われなくてもいいんじゃないか?」
「いいや。こんな軟弱なニンゲンのメスの身体になんかなっちまったんだ。少しでも強く見せないとナメられる」
何だかよくわからないが…彼女は一貫して強そうに見えることに固執し、かなりこだわっているようだった。
最近の若者というのは皆そんなことに憧れを持ってでもいるものなのだろうか。
「でもなるべく"ワタシ'にした方が良いよ」
そうアドバイスしたが、彼女は僕の言葉を聞いていないようで、教室内の一点を見つめていた。
「なぁニンゲンって男でも妊娠するのか?」
突如そんなことを言ってきた彼女に僕は度肝を抜かれる。
「何でそんなこと思ったんだ?」
そう尋ねると、彼女は教室の隅の方にいる1人の肥満体型の男子生徒を指差した。
「……あれは太っているだけだ」
「中に赤ちゃんがいるんじゃないのか?」
「いや、いないぞ。きっと脂肪しかないだろう」
すると美来乃は突然席を立つと、クラスの間で"おデブちゃん'という愛称?で呼ばれている八木橋の元へ向かう。
「おいどうするつもりだ?」
「ちょっとかくにんしてくる」
どうも妙な誤解を招いているらしい彼女を止めるべく尋ねたが、彼女はただそう言って彼の元まで行ってしまった。
「ちょっと良いか?」
そして彼女は何をするかと思うと、彼の制服のボタンを一つずつ外すと、彼のお腹に耳をあてがった。
「え?、ちょっと!…何やって…?!」
唐突の転校生の奇行に、八木橋は心底動揺しているようだった。
「おい何やってるんだよ?」
変な気を起こしている転校生を放っておけまいと急いで後を追って仲裁に入る。
彼女の元まで行って声をかけると、美来乃は声色を高くして答えた。
「なぁおい!聞いたか?今こいつのお腹の中で赤ん坊がないたぞ?」
「今のは腹の虫だ。もうすぐ昼食の時間だからな」
「...?」
彼女は首を傾げた。
「八木橋くんはいつも昼になるとお腹を鳴らすから、みんなそれでいつも昼食の時間を判断しているんだ」
僕は美来乃にそっと教えてあげた。
というか別に制服を脱がす必要はなかったんじゃないか?別に服越しでも良かっただろ。
「じゃぁどうやったらこんなに大きくなれるんだ?こいつ強いのか?」
「強い?…別に強くはないと思うけど…何でだ?」
「オレは知ってるぞ!デケェ奴ほどつえぇってな」
「まぁ防御力は高そうだよな」
そう口にした途端、僕はやってしまったと思った。
転校生の悪ノリにつられ、つい調子に乗って悪ふざけが過ぎることを言ってしまった。
転校生やクラスメートたちの前でそんなことを呟かれた彼は、顔を真っ赤にして教室を駆けるように出ていった。
「ほらな…こんな風に言葉は時に人を傷つけるんだ…だから気をつけないとな」
僕は転校生に、そして自分にも強く頭に入れるように言った。