第一話:鬼生さよなら(前編)
絶望する人間の表情が好きだ。
人間は死の境地へと苛まれると、恐怖をその身に顕にする。
命乞いなどという何とも無様な醜態を晒す、人間の愚かな姿がたまらない。
ワタシはミラ。どこにでもいるような平凡な一匹の鬼。
近頃は、夜になるに連れて人の地へと顔を出し、一家を他の家々から選び出すと、その世帯の人間を蹂躙することにハマっている。
日の出ている刻限では人気の余すことなく賑わいを見せても、小夜にもなれば街並みからそんな感も失せ、静けさを呼ぶ。
そんな時刻こそ、我々、鬼という者が活動するのに何かと都合の良い、絶好の機会だ。
今宵も人間をつかった強者の遊戯を堪能しようと、下界へとやって来た。
―――いつものように。
しかし、今日この日がミラの運命を変える人生最大の分岐点になることを、ミラはまだ知らなかった。
「ミラ、今日はどの家にする?」
さも愉し気に語り掛けてきたのは、ミラと二百年の長い付き合いのあるセシルだ。
セシルは鬼の中でも優等な鬼だが、何故だか正反対ともいえるミラのことを慕っている。
容貌に関しても異なる特徴を備えていた二匹。
ミラはガサツな紅の髪に薄ピンク色の体色。
一方セシルは対照的な青色の艶のある髪に黒色の肌。
そして、二匹とも人肌とは異なる硬質な肌に身を包んでいた。
加えて一際見た者に強く印象付けるのは、なんと言っても、前頭部からスラリと伸びた二本の大層立派な角である。
たくましくも生やした角は、彼らが鬼であることを示す象徴ともいえる代物だった。
二匹は夜になるといつも決まった山頂へと立ち、その高所から高みの見物が如く、静寂になりつつある人間の街並み広がる夕闇を見下ろす。
ミラは不敵にニヤリと笑みを溢して言った。
「あの家はどうだい?セシル」
ミラは人間たちが住む家から連鎖的に家明かりが消えていく中、その一角にまだ部屋明かりが灯っている一軒の家を指差した。
その家の窓からは、人間の年齢でいうところの2,3才ほどの子供が見える。
ミラは長い経験から幼年の人間の方が特に興味深い反応を示すことを知っていた。
「いいね」セシルもその意図を察したらしくそれに賛同した。
二匹は山から一気に飛び降りて、ミラが先程指し示した家の前に立つ。
表札には”石松’と書かれていた。
ミラは優れた脚力で跳び上がり、その家の二階に当たる窓枠に爪を引っ掛けて乗り上げる。
それに続いてセシルも―――。
腕力で身体を支え、窓を地にした状態で、
ミラは窓を一度強く蹴り上げると、その勢いで窓ガラスを破って部屋内へと大胆にも侵入する。
ガラスが硬質な音を立てて割れ、床にガラス片が木の葉のように散る。
中には遠目で窓から垣間見えた小さい子供と、その子供より少し大きい子供の2人が、唖然とした表情を浮かべながらこちらを怪訝に見つめていた。
小さい方の子供は、"桃と鬼の描かれた絵本'を手にし、大きい子供の方は一方の子供を何故か庇うかのようにして左手を横に広げていた。
「何だお前らは!?」
暫しの沈黙の後そう大声で叫んだ、ミラたちを睨んでいる大きい子供の方を、ミラは二人のうちの兄だろうと推測した。
その兄の子供の頬からは、今しがたミラが粉砕したガラスの破片によって、ツーッと線を引くように傷が現れ、そこから赤が滲んでいた。
微かな痛みと僅かに滲みる風の通気を感じてか、右頬を手で押さえる。
ミラは邪な笑みを浮かべ、その子供へと歩み寄る。
それに連れて、兄の子供は小さい方の子を引いて、尻を地に据えながら、後退る。
"背を向けてはいけない'
獲物でもそれくらい勘づいたのだろう。
ミラが迫り、子らが後退る。
それは同時に、そして同じ移動距離で行われたので、相互の間隔は遠のきも近づきもしなかった。
迫る。後退る。迫る。後退る―――。
しかし、そんな茶番も終わりを告げようとしていた。
ミラはクスリと悪戯に微笑む。
何故なら、ミラと子供らの距離が近づかなくとも、その子供らと彼らの背にある壁が近づいていたからだ。
そこで必然的に無用な追いかけっこは終わった。
追い詰められ、逃げ場を失った獲物へと辿り着いた捕食者たるミラは、兄の子供の顔から滴る血を舐めた。
その瞬間、口に甘味が広がる。
賞味された兄の子供は身体を小刻みに微動させ始める。
その傍らにいる小さい子供の方はというと、幼いながら特に怯える様子を見せておらず、ただミラをずっと見つめているだけで、むしろ兄の方が恐怖に慄いていた。
自分が危険に晒されているのを分かっていないのだとミラは思った。
その点、兄は状況を理解できているからこそ、そこに恐れを抱いていのだろう。
顔はみるみるうちに蒼く染まっていき、恐怖を顕にする。
期待していた表情が見られ、ミラの心は増々そそられる。
そしてそんな姿がまた、晩餐の良きスパイスとなる。
「う〜ん♪美味♥」
ミラは思わず舌鼓を打って、すぐに子供の芳醇な至高の味わいの虜となるのだった。
「やっぱり人間の子供の味は格別だなぁ」
「ミラだけずるいよぉ。ボクにも分けてよ」
セシルは獲物を半分にしようと言ってきたが、半分と言われると何だか損をしたような感じがするので嫌だ。
ミラは顎に手を当て、少し考えてから掌を拳でポンと打って答えた。
「分かった。じゃあこうしよう。人間の子供は二人いるんだ。それぞれ一人ずつで分けようじゃないか」
「別にいいけど、じゃあどっちがどっちにするの?」
「じゃあワタシは大きい方にするから、セシルは小さい方ね」
――――人間は若年層謂わば若ければ若いほど、新鮮で良質な味わいを示す。
だがこれは一概には言えず当然例外もある。
低年齢でもさほど好ましくない味の者もいれば、
壮年でも良き味を堪能させる者もいる。
食事を取る上で美味しいことは最もだが、鬼の空腹を満たすには量が必要と判断したミラは、兄の方を選定した。
「まったくミラは欲張りだなだぁ」
「うるさい。ワタシは腹ペコなんだ。今朝から何も食べていないからな!」
「でもボクたち鬼は人間と違ってそんなに頻繁に食事を摂る必要がないだろう?ミラが大食いなだけだよ」
セシルが笑い混じりに言ったのだが、ミラは少し気に喰わなかった。
「そういうセシルは好き嫌いも多いし、いつも食にこだわって面倒くさいよな」
ご立腹のミラは言い返したくなったようで…
「そういうの人間の言葉で何て言うか知ってるか?…たしか…ええと…何ていうんだっけ?」
「"美食家'でしょ?」セシルが自慢げに答える。
「そう、それだ!」
元の憤りはどこへやら…ミラは喉奥まで出かかった言葉を知れて返って清々していた。
「まぁボクがグルメだって言うのは否定するつもりはないよ。舌の肥えたボクを満足させてもらわないと困る」
「でも絶対食事は質より量のほうが大事だ!」
「そうかなぁ。ボクは量より質だと思うけど」
この点に関しては、二匹の趣向は相違していた。
二匹がすっかり夢中になって、小競り合いしているすきに、一階へと繋がる部屋のドアへと、兄の方は弟の手を引き、ミラらを伺いながら忍び寄っていた。
「ちょっと待った!!逃さないよ?」
しかし、既のところでセシルが気付き、そのドアと子を隔てるように立ち塞がった。
子供は悔しそうにセシルを睨みつける。
「おいミラ。ボクが気付かなかったら逃げられるところだったじゃないか」
「なら早く喰っちまおう!」
「そうだね。ミラの言ったようにボクは小さい方で良いから早いとこ頂こう」
そう言って、ミラとセシルはそれぞれの獲物に迫る。
その時だった。
「ママァ!!」
今の今まで大人しくしていた幼き子供が、鬼のミラを見て叫んだ。
「なに!?…一体どうしたっていうの?!!」
その一声は、下の階にいる人間に危機を知らせるのだった。
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