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歩き出す日


 寝返りを打てば柔らかい感触と、小さく「痛っ」という声が聞こえて目蓋を持ち上げると、しがみついてきていたジゼルの髪を腕で踏んでいたことに気付く。シーツの上に散らばった金髪を空いた方の手でかき集めれば、手を叩かれて「これだって商品なんだから、乱暴にしないでよ」と文句を言われ。


 髪を踏まないように腹筋だけで起き上がれば、今度は「寒い! 僕が起き上がるまで勝手に起きないでよ!」と、やっぱり文句を言われる。


「ジゼル……またベッドの真ん中の線を越えてきたのか」


「仕方ないでしょ。すきま風が多くて寒いんだもんこの部屋。お姉ちゃんと一緒に寝てた時はもっとくっついて寝てたし」


「そうか。ならせめて髪を結んで眠るのは駄目なのか」


「頭皮が突っ張るし癖がつくから嫌なの! そんなことよりクロード、もう一回寝転ぶか毛布返してよ。ベッドと僕の間にすきま空けないで」


 そもそも初日に彼女のベッドを使って良いと言われて、子供を床で眠らせるわけには絶対駄目だと折れなかったせいか、ジゼルはむきになっている節がある。真ん中に境界線として置いた俺の支給品の剣は、今朝も壁に立てかけられていた。


 十三歳のジゼルは二十五歳の俺からすれば歳の離れた弟のようなもの。理不尽に怒られても特に腹は立たない。むしろ始まり方こそ不穏だった俺とジゼルとの共同生活は思いのほか穏やかで、彼女との生活もこんな風だったのだろうと思えた。


 気がつけば暮らし始めて二週間が経ち、職場の同僚達からも一時期酷かった顔色がだいぶマシになったと言われることもしばしばだ。ベッドの中で身支度を整えるジゼルの気配を感じつつ、こちらも身支度を整えて前日の夕飯の残りとパンだけの簡素な朝食を用意する。


 食事中は今日巡回する場所を教え、ジゼルがその範囲内を彷徨いて犯人を誘き寄せるという、作戦とも呼べない打ち合わせを挟む。騎士団で捜査が行われていないとなれば、頼れるのはジゼルの勘だけという現状に代わりはない。


「毎朝のことだから分かっていると思うが――、」


「お姉ちゃんと同じで僕が客を取ることには反対なんでしょ。あと犯人を誘き寄せるエサ役は任せるけど、無闇に関係のなさそうな相手には近付かないように。毎日口うるさくするからもう覚えたよ」


「それなら良い。飯を食ったら出るぞ」


 空になった自分の食器を洗い場に持っていくついでに告げれば、慌てて朝食を詰め込み始めるジゼルの姿に思わず笑いが漏れた。二人で部屋に施錠したことを確認し、売春窟の入口まで一緒に歩く。


「それじゃ、ここで一旦お別れね。お仕事行ってらっしゃい」


「ああ。また後でな」


「うん。言われた辺りをぶらついてるよ」


 そう笑って手を振るジゼルに頷き返し、背を向けて職場がある表通りの方へと歩き出すこと十五分。まだ職場が見えてもいないうちから再び今歩いてきた方角へと引き返す。目指すは生前テレーゼが定位置にしていたあの場所だ。


 職場には三日前から故郷の歳の離れた弟が遊びに来ていて、面倒を見るために一週間ほど有給を取ると言ってあった。俺の故郷は過疎化が原因で十年近く前にに廃村になっているし、両親はそれより前に病死していて、弟もいないが。


 誰ともあまり親しくしないまま、黙々と働き続けていた俺の言葉を疑う人間はいなかった。同僚達からはただゆっくり遊んでやれとだけ言われた。


 出勤前の俺が腰に剣をはいていないのも、ベッドの境界線が剣から木の棒になっているのも気付かないジゼルが何をしているのか。すでに答えは出ていた。


 一つ前の路地を折れてあの場所が後ろから見える路地に出れば、案の定というべきか、そこではすでにジゼルが客待ちをしている。二週間で定着した日常とでも呼べる日々を俺が裏切っているとしても、それは向こうにしても同じこと。

 

 結局俺もジゼルも、彼女を殺した犯人を自分の手で殺したいのだ。当然どちらが殺しても良いというのはある。そう考えればここしばらく思い詰めている様子だったことと、この無謀な行動に矛盾はなかった。


 一時間、二時間……路地を訪れる娼婦も客もいない。表ではあまり大きく取り沙汰される事件ではなかったが、やはりここでは明日は我が身だと恐れられるに充分な事件だったのだ。


 ジゼルはそれでも辛抱強くテレーゼと同じ立ち姿を崩さず、時折彼女が無意識に見せた癖も真似ていた。遠目からだと背が少し足りない程度の違いしか見えない。それだけジゼルは彼女に近付こうとしたのだろう。


 俺が巡回に来ると約束した時間が近付き始めると、次第にジゼルに焦りの色が見え始めるのは少し面白かったが、いつの間にか見張りを続けて三時間目になろうという時、対象に近付く男の影が見えた。


 足音と気配を殺して二つの人影に接近し、すぐに飛び出せる態勢を取って会話の内容に耳をそばだてる。通常であれば最初は営業、次に値段の交渉、最後に場所の決定となるのだが――。


「ああ……やっぱり、君なんだねテレーゼ。てっきりあの日私の興が乗り過ぎて、死んでしまったかと思っていたのに。それでもここにいたということは、怪我が治ったら私と仲直りしようと待っていたのかい?」


「…………」


「つれないね。あの日は悪かったよ。でも仲直りするつもりならそんな態度では駄目だろう? またあの日みたいに痛い目に合いたいのかな?」


「………………」


「なぁ、聞いているのかいテレーゼ。怒っているのかい? でも君がいけないんだよ。私と会うのはもう止めるだなんて言うから。知っているよ。私の気を引くために他に男を作ったんだね。現在同棲している。私はそのことで怒っているんだよ。確かに君を正妻には出来ないけど愛人としてなら囲ってあげるから。ね?」


 穏やかで涼しげな声で虫唾が走る発言をする男を前に、ジゼルは一言も発さず身動ぎもしない。ただ、どうやらこれで確定した。仄かに香るこの嗅ぎ慣れない匂いがしようがしまいが、この気狂いが彼女をああ(・・)した。


 絞め落とそうと背後に回ったその時、こちらに気付かない男がいきなり「何か言ったらどうなんだ!」とジゼルに向かって手を伸ばした――が。


「いい加減に黙れよこのクソ野郎。その汚ぇ口でお姉ちゃんの名前を呼ぶな」


 ジゼルの聞き慣れた溜息のような囁きの直後、男の口から「え?」と間の抜けた声が出た。ただでさえ薄暗い路地は、冬の寒空の下ではなお暗い。けれど昨夜から降り積もった雪の上に、そこだけくっきりと赤い花が咲く。


 背後からでもそれが男の血だということくらい分かるほどに、小さな身体から発される殺意の棘は鋭かった。だが、傷が浅い。


 刺されたと気付いた男が「この女!」と叫んでジゼルを突き飛ばし、馬乗りになろうとしたところで背後からその首に手をかけた。間違えてこれで殺さないように、いっそ優しい力加減で意識を刈り取り、ナイフを構えた姿のままその場に凍りつくジゼルを見下ろす。


「お前が言っていた心当たりとは、この男で間違いはないな?」


 絞め落とした男の顔をあげて見せると、まだ状況が飲み込みきれていないなりにぎこちなく頷く。ジゼルが握りしめている血のついたナイフでは小振りすぎて、到底男の心臓までは達していないだろう。


「そうか。ならあとは……この辺りでは珍しくない変死体にするだけだ。お前は先に家に戻っていろ」


 彼女が大切にしていた子供に見せるような光景でもないと思いそう言ったが、ジゼルはか細い声で「嫌だ」と答えた。始末に失敗したり金を握らされて逃がすとでも思われているのだろうかと訝かしめば、ジゼルは「僕もそいつがお姉ちゃんと同じ目に合うところが見たい」と。狂気を感じさせる瞳で。


 その答えに、俺も今度は否とは言わなかった。歳の差はあれど彼女を崇めた似た者同士なのだ。それなら同じ闇に飲まれても仕方がない。


「そうか。ならついてこい。こいつをビゼー河に放り込むまでが仕事だ」


 右肩に意識を失った男を担ぎ上げ、空いた左手を差し出せば、血で滑る小さな手が握り返してくる。そのまま一度火災を出してから廃墟になった一角まで男を運び、喚かれないように口に布を詰めてから五時間ほど丹念に殴った。


 思っていたよりも時間がかかったのは、意識が落ちるたびに目覚めるまで待つ必要があったからだが、大体記憶の中に残る彼女の死顔に近くなったところで、仕上げに左手の指を一本切り落とし、止めにゆっくりと喉の骨を潰した。


 早朝に発見されるようにするなら河に放るのは深夜で良いと結論付け、手についた諸々の汚れを絶命した男の服で拭っていると、最後まで悲鳴をあげることなく見学していたジゼルが近付いてくるなり、目の前で深く頭を下げた。


「ありがとうクロード。あんたのおかげで、ちゃんとお姉ちゃんの復讐出来た。それから……嘘ついてごめんなさい」


「……ああ」


「あのさ、本当は捕まりたくないけど、あんたなら良いよ」


 そう言うや珍しくしおらしげにジゼルが両手を差し出してくる。細い手首から滴った血液の跡が、一層その肌の白さを際立たせていた。雪の白と灰色の空に残酷なまでに映える。


 ――が、今は大人として、この面白い勘違いをしている子供の言葉を最後まで聞くべきだろう。


 無言で先を促すと、まだ話を続けなければならないのかと頭を悩ませるジゼルの姿に、たった今までの凄惨な出来事などなかったように笑いが込み上げてくる。復讐が出来て多少浮かれているのは俺も同じなのだから。


「えっと……ああ、そうだ一個だけ大事な訂正があるんだ。お姉ちゃんさぁ、安っぽい子供のつけてるみたいな耳飾り大事にしてたんだけど、あれ贈ったのクロードだよね。お姉ちゃんはきっとクロードのこと愛してたと思う。だからね、これあげる。理由は知らないけど女の子の一番特別なんだって」


 やけに饒舌になって血塗れの手で差し出された小袋の中から現れたのは、ほっそりとした白い……人の骨だった。


 思いがけない贈り物に流石に少し面喰らっていると、俺の反応が悪いことに焦ったジゼルが「腐る前に肉は落としたから綺麗だよ? て言うか、お姉ちゃんに汚いところとかないから!」と。


 必死になって斜め上な心配をするジゼルを見ていたら、自然と口が「今晩そいつを河に放り込んだら、数日中に弟と故郷に帰ることになったと言って仕事を辞めてくる。そうしたら三人で(・・・)この街を出るか」と動いていた。


 目を丸くして固まるジゼルにさらに「俺が死んだら、テレーゼと同じ墓に入れてくれる人間がいるだろう?」と続ければ、生前彼女が俺に一番よく見せたのと同じ泣き笑いが浮かんだ。


 ――それから数日後。


 ビゼー河に指をすべて落とされた変死体が浮き、遺体の引き取り手も出なかったことから、薬の売人が揉め事を起こして殺されたのだろうと結論付けられ、大した捜査もされないまま集合墓地に葬られた。


「長い髪も似合っていたが、短いのも似合うなジゼル」


「あっ、当たり前でしょ、に、兄さん。それよりこの格好変じゃない?」


「ん? 当然だ。お前は男物の服も似合う。髪は伸ばしたくなったらまた伸ばせば良い。服も着たいものを着ろ。高すぎないものなら俺が買ってやるから」


「う、うん。えへへへ……」


「ああ、そろそろ馬車の時間だな。行くぞジゼル。それから……テレーゼ」


 冬の空に静かに雪が舞う。仕事に疲れた平民騎士が、故郷から迎えに来た弟と一緒に旅立つにはちょうど良い。

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