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怯える日


 この世界は僕にとってはどこもゴミ溜め同然だった。


 最初は孤児院。身体の大きい奴が小さい奴を殴って、元から少ない食べ物を全部取り上げてしまう。孤児院にいる大人は助けてくれない。見目の良い子供を金持ちの前に並べて、寄付金をくれるよう媚びるように命じただけだ。


 六歳くらいの頃、気持ちの悪い金持ちの爺に乱暴されそうになって股間を蹴り上げたら、その日のうちに孤児院の大人から殴られてスラムの入口に捨てられた。


 そしてスラムの生活も孤児院とあまり差はなかった。良いゴミが捨てられているところは大人か、腕っぷしの強い子供が徒党を組んでて近付けなかったからだ。


 スラムの少し離れたところには娼館があるけど、ガキながらに近付くのは止めた方が良さそうだと思って、スラムのもっと奥に潜った。それがもっと危険な売春窟だったのは、もう運が悪いとしか言いようがない。


 元々孤児院にいた頃から変な視線を向けられていた子供が、そんなところで無事でいられるわけがない。数日で酷い目に合わされて、報酬にその日命を繋ぐパンを恵んでもらえるようになった。


 売春窟は、娼館に属さない、もしくは属せない人間の堕ちてくる場所だった。娼館にいれば最低限の安全と食事は用意されるけど、その代わりに娼館主からの搾取が発生する。どれだけ稼いでも、むしろ稼いだ分だけ自分の身体にかかる枷は重くなるのだと。


 それと売春窟は娼館から出禁になった人間が流れてくる。分かりやすく言えば、綺麗な女を痛めつけたいクズが。顔が綺麗な商品を壊されそうになって許す店はない。そうなれば搾取を嫌って売春窟にいる上玉を探しに来るのだ。


『ねぇジゼル、女の子の左手の薬指は特別なのよ』


 朝、優しく寝起きの髪を梳かしてくれるたびにそう口にしたお姉ちゃんは、正しくその類いの上玉だった。そしてその話の続きを聞いても、絶対に教えてくれることはなかった。


 でもその言葉は僕の頭の中にとても強く刻まれて、暢気にもいつかその指に、時々お姉ちゃんの話に出てくる平民騎士が、何か贈るんだろうかと思っていた。野良犬みたいに死ぬのを待つだけだった僕を、人間みたいに扱ってくれた優しい人に幸せをくれるんだろうと。


 だけどあの日、いつもなら家を空けても翌日には帰ってくるお姉ちゃんが、三日も帰ってこないことに嫌な予感を感じて探しに出た。


 途中ビゼー河の方へ続く路地を歩いていた僕とすれ違った男の香水の匂いが、少し前にお姉ちゃんが『ヤバイ客に捕まったかも』と、頬を腫らして帰ってきた日と同じだと気付いた直後、壮絶に嫌な予感がして走った。


 どうか外れてくれと願いながら。でも結局この世界は僕にとってのゴミ溜めで。変わり果てたその傍らに膝をついて心臓に耳を当てても、命の音はしなかった。だからお姉ちゃんの身体から一番特別なものを噛みちぎって、その場から離れた。


 犯人に心当たりがあっても一人では辿り着けたところで簡単に口封じされる。復讐するためには誰か共犯者が必要だった。それも僕と同等か、それ以上に強い殺意を抱いてくれる共犯者が。


 お姉ちゃんは僕が見つけたさらに数日後に、河から引き揚げられた変死体として処理された。大事にならなかったのは犯人が役人に知り合いがいるからか。遺体が河に投げ入れられていたのは、犯人が金を握らせた誰かに命じたのだろう。


 この時点でいよいよ僕の犯人への殺意は頂点に達していた。共犯者の心当たりもあった。それがお姉ちゃんの平民騎士。


 普通見返りを求める騎士は娼館の方しか巡回しないらしいのに、その騎士は真面目にスラムにも売春窟にも現れるのだと。そしてそいつはどんな揉め事も腕っぷしで解決していくのだと。


 綺麗な奴すぎて腹が立ったとかで、普通の町娘のふりをして引っかけに行ったら、意外にも話が合って楽しかったこととか。何度か会う間にそういう関係になったことで心苦しくなって真実を打ち明ければ、前よりももっと熱心に結婚を申し込んできたこととか。


 珍しく楽しそうに客のことを話すお姉ちゃんを見て、僕が心配でその申し出を受けなかったのだろうことも分かっていたけど。あの人が大切にしていた相手を都合良く使う形になったとしても、絶対に犯人を許せなかったから、最低最悪の形で騙して家に連れ込んだのが……一週間前。


 初日の約束通り毎日職場からここに帰ってくるお人好ぶり。ご飯も僕の分まで自炊する。お姉ちゃんに輪をかけた過保護ぶりに、だんだんと騙している後ろめたさから気が滅入ってきた。


 今朝だって朝食後に、


『毎朝のことだから分かっていると思うが、俺はテレーゼと同じくお前が客を取ることは反対だ。犯人を誘き寄せるエサ役は任せるが、無闇に関係のなさそうな相手には近付くなよ?』


 ――とか言ってくるし。男娼だって言ったでしょ。こっちを子供扱いするくせに、他人を信用しすぎるのは何なわけ?


 しかもお姉ちゃんがいなくなって一人寝が出来ないせいで、ベッドの境界線代わりに置かれてた剣を退けて、その背中に抱きついて眠るようになってからは別の不安が募り始めている。 


 仮にも騎士が毎晩こんなに簡単に背後を取れて良いものなの? お姉ちゃんが言っていたみたいに腕っぷしが強いなら、剣が退けられた時点で怒るとか起きるとかするものだろう。


 これでこいつが簡単に殺されたりしたら僕の復讐は二人分になる。お姉ちゃんが大切に想っていた相手だけあって、クロードは良い奴だ。一緒にいると居心地が良くて心が落ち着く。死んだらきっと悲しい。どうしようか。今更怖くなってきた。


 この温もりをもう一度失うことになったら、僕は――……。

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