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失った日

唐突に鬱展開ものを書きたくなり、

なおかつまた唐突にブロマンスとやらを

書いてみたくなったので書き殴った実験作品です。


いつもの思いつき後即書き作品なので、

広い心で読んで下されば幸いです。


 ビゼー河から吹き抜けてくる寒風が、家々の窓やドアをガタガタと鳴らす十一月二十五日、早朝。その河から左手の指が一本足りない女の変死体が上がった。


 河に棄てられる前に酷い暴行を受けたのだろう顔は、元の人相が分からないほど腫れ上がり痛々しかったが、服装や所持品から近くの売春窟の娼婦だと結論付けられた変死体は、大した捜査もされないまま集合墓地に葬られた。


 通報を受けて共に急行した同僚は「あーあ、ったく勘弁してほしいぜ。どうせ薬の売人と揉めたか何かだろ。確かに巡回するのはオレたち平民騎士の役目だけど人騒がせだよな」と。そんな風に言った同僚の横顔を思いきり殴り付けたくなる気持ちを必死に抑えた。


 変死体の女は、貝殻の耳飾りをつけていた。贈った時には『こういうのあたしの趣味じゃないわ。子供っぽくて仕事の時にはつけられないもの』と、心底呆れたように言っていたのに。


 淡い金髪に目蓋に隠れた青灰色がかった瞳が、くすみきった場所で光を放つようだった。時折よくない薬と安酒の匂いがする肌は驚くほど白くて滑らかで。幼子でもあやすように髪を梳く指はかさついていつも冷たかった。


 あまり頻繁に会いに行ったところで、身体だけが目当てだと思われるかもしれないと、会うのは月に一回、多くても二回に決めていた。


『あたしと結婚したいって、まだそんな冗談言ってるの? あんたみたいな安月給の男に嫁いだって今と大して変わらないじゃない。それにあんたの声は好きだけど、その真っ黒な髪と瞳と陰気なところは好みじゃないの』


 事後に寝物語の最中に意を決して発した俺の言葉は、彼女の嘲笑にあっさりと手折られた。毎度のことだったから腹は立たなかったが、それはあれが最後になると思っていなかったからだ。今は猛烈に腹が立っている。あの時彼女にもっと必死で迫らなかった自分に対して。


 けれど娼婦が一人変死したことなど、世間にしてみれば何の興味もないことで。彼女が殺されてから巡回騎士を動員して犯人を探そうという動きもなかった。そうこうする間に一日、二日、一週間、一ヶ月と無為に時間は過ぎていく。


 気付けば仕事終わりに彼女のよく立っていた路地に足を運び、怪しい人物がいないかを探すのが日課になった。毎日そこにいた娼婦がいなくなれば、次にそこに誰かが立つまでは時間がかかる。


 通常客が取れていた場所から移動することはまずないために、警戒するからだ。そしてそれはあながち間違ってもいない。けれどフラフラと誘われるように足を踏み入れた薄暗い路地に、今日は人影が立っていた。


 背格好も立ち姿も、もうこの世にはいないはずの人物に似ている。立ち尽くすこちらに気付いたのか、相手は迷いのない足取りで向かってきて、目の前で立ち止まるなり当然のように抱きついてきた。


「……いきなり抱きつくような客引き行為はどうかと思うが。最近この辺りであった事件を知らないのか?」


 相手の方が背が低いうえに髪で顔が隠れて見えない。一応職業柄かけた第一声に相手は気を悪くしたらしく、深い溜息をついた――……が。


「安い煙草と汗の臭いがする。またハズレか。今度こそ当たりだと思ったのに」


「ハズレ……?」


「そ。もうどっか行ってよ。労働階級の人間に用はないんだ。探してるのはムスクの香りがするお金持ちだから。あとこんなとこに出入りしてるくせにさぁ、説教とか止めてくれる?」


 最初と同じくいきなり突き飛ばされるも、体格差からたたらを踏んだのは相手の方だった。当然ながら声は別人のそれだ。後ろに倒れそうになる身体を慌てて支えると、不機嫌さを隠さない「どうも」が返ってくるが、今の会話で気になるのはそこではない。


「探しているとはどういう意味だ。ここで何をしていた?」


「別に答える義理なんてないけど。そんなことが気になるなんて、あんたもしかしてお姉ちゃんが言ってた冴えない平民騎士?」


「確かに俺は平民騎士だが、お姉ちゃんとは誰のことだ」


 一瞬自分でも声が低くなった自覚があったものの、俯き加減だった相手は不意に顔をあげて。どこか彼女に似た雰囲気の顔を俺に寄せ、甘く掠れた声で「テレーゼ。聞き覚えあるでしょ?」と言った。


「――っ、君は彼女の妹なのか?」


「うわ……この距離でまだ分からないの? 聞いてた通り察しが悪いなぁ」


 若干苛立たしげに気怠い声を出した相手は、腰を支えていた俺の手を引き抜くと、いきなり自らの股間に寄せた。


「男だよ男。女顔の男娼なんて珍しくもないだろう?」


「…………」


「ついでにお姉ちゃんとは赤の他人ね。僕はただのお気に入りの抱き枕だから。それよりもうどっか行って。あんたがいたんじゃ来るものも来ないじゃん」


 そう言いながら無理矢理押しつけられた手を叩き落とされる。理不尽極まりない所業があったものだ。自由になった手を後味悪く服の裾で拭いながらも、気になることが多すぎて確認せずにはいられない。


「彼女を殺した犯人に心当たりがあるのか?」


「あるよ。顔は知らないけどね」


「ならその犯人を見つけて、それからどうするつもりだ」


「だから関係ないでしょ。すぐに捜査を投げ出したあんたに。あ、それとも男娼でも良いからお姉ちゃんに似てる僕を抱きたいの?」


 直前のからかいの混じった笑いとは違う本気の侮蔑を向けられ、その内容の我慢ならなさに思わず殺気立つと、相手は相変わらず馬鹿にした態度を崩さず、今度はしなだれかかってきて口を開く。


「からかっただけなのに冗談の分からない奴。ていうかあんたさ、もしかしてお姉ちゃんのこと好きだった?」


「ああ……愛していたさ。彼女には最後まで信じてはもらえなかったがな」


「娼婦に愛を乞うなんて馬鹿だねぇ。その頭の中には花の種でも詰まってるの?」


 年齢は分からないまでも明らかな年下にそう言われたところで、痛いところを突かれた自覚があるので言葉が出ない。けれど相手はそれに対して深く踏み込んでくる気はないのか、にぃっと口角をあげる。


「でも、うん。それが本当ならあんたの肩書きは魅力的だ。お姉ちゃんを殺した犯人を捕まえたいなら手を貸してよ」


「勿論だ」


「ふ、堅苦しいなぁ。まぁ良いや。僕はジゼル。あんた名前は何て言うの」


「クロード」


「分かった。それじゃあ今日からよろしくね、クロード。さぁそうと決まれば場所を変えて作戦会議だ。ついてきなよ」


 歌うような声音でそう言ったジゼルが背中を向けて歩き出す。その男としては小さな背中について路地を歩く自分の足取りは、この一ヶ月で一番しっかりとしていた。細く曲がりくねった路地はだんだんと安い連れ込み宿が立ち並ぶ区画から、娼婦達の住む居住区へと移る。


 無言で歩くことに気詰まりを感じて「ジゼルは女の名前だと思うのだが」と問えば、少年は振り向かずに「名前がなくて、お姉ちゃんがつけてくれた。あんたは男じゃないからって」と言った。


「……ついてるだろう?」


「ついてるよ。触っただろ。お姉ちゃんにとって酷いことをしなかったら、男でも男じゃないんだよ。だから一緒にベッドで眠るんだ。朝まで手を繋いでね。あんたはどうせ抱いたんだろ?」


「…………ああ」


「じゃあ駄目だ。お金で買って抱いたらその時点で他と同じ汚い男だよ。それで愛なんて囁いたら最悪」


 今度は立ち止まり振り返ったジゼルにそう吐き捨てられる。確かにそうだ。頷き返せばジゼルは小さく舌打ちをしてまた歩き出す。


 四つ目の角を曲がった。入りくんだ道は特徴らしいものがない。帰るのは骨が折れるなと思う反面、摘発逃れをするには最適な道だと職業柄感心する。


「なら、お前は彼女のことをどう思っていたんだ」


「愛してたとは言えない。恋とも違う。でも――……大事だった。とってもね。お姉ちゃんってさ、可哀想で優しい人だったでしょ」


「……ああ」


「僕はお姉ちゃんのお人形。もしかしたら本当にいたのか、まだどこかにいるのかもしれない〝ジゼル〟の代わりに、ずっと傍にいるだけのね」


 七つ目の角。今までとは違い、爪先でようやく踏める階段のようなものが現れた。慣れた様子で上っていくジゼルに続いて薄暗い足元に気をつけながら上る。


「どうしてそこまで彼女のことを気にかけるんだ」


「んー……女顔で痩せててチビだとさぁ、タダで遊ばれるわ、殴られるわ、金は盗られるわ、同業からも煙たがられて良い場所に立つことも出来ないわけ。でも夏は暑いし、冬は寒いし、季節関係なく腹は減るでしょ」


 周囲の煉瓦より少しだけ明るい壁が現れたところで、また似た雰囲気の路地に出た。すでに頭痛がしてくる。俺はここから帰れるのだろうか。


 ジゼルに謀られているのかとも思ったが、まぁ、もう、それならそれで良い気がしたので先を行く背中に「ああ」と相槌を打つ。


「一週間くらいろくに飲み食い出来なくて、でも身体はオモチャにされる。ああ、もう死ぬなって思ってた時にお姉ちゃんに拾われた。ボロい部屋に連れ帰ってくれて『あんたこの仕事向いてないね。こんなになって馬鹿だね、可哀想に』って」


 また階段が現れる。遠目には一つの建物群に見えていたここは、建築技術が未熟で低い建物が層のように折り重なっていたらしい。どこかの一室から火でも出たら助からない命は多そうだ。


「――で、今はこう。そこら辺の娼婦より断然可愛いでしょ僕」


「まぁ、確かにな」


「素直でよろしい。お姉ちゃんも金持ちの愛人になるとか夢みたいなこと言ってないで、あんたみたいなのにしとけば良かったのに」


「俺みたいな、とは」


「たった一人にべた惚れで、給金が安定してて、面白味のない奴。愛人になれたらもっと良い部屋に二人で引っ越そうって言ってたんだ。僕が客を取りに行くって行ったら、外から鍵をかけられちゃった。二度としないって何度も約束して、やっと鍵をかけるのを止めてくれたけど」


 声音は変わらず顔は見えないのに寂しそうだと感じたのは、その華奢な背中がさらに一回り小さくなったように見えたからだが――。


「ジゼル」


「うん?」


「ひねくれてるが根は良い子だな、お前は」


「あ、当たり前でしょ。話ちゃんと聞いてた? 馬鹿じゃないの?」


 そんな風に矢継ぎ早に俺を罵ったひねくれ者は、鍵だらけのドアの前で立ち止まって声を尖らせると、順に解錠しながら「入って」とつっけんどんに促された。


 言われるままに部屋に一歩足を踏み入れた瞬間、ジゼルの言葉に嘘がなかったのだと安堵したと同時に、喉の奥が詰まる感覚に襲われる。


「あのさ……今日からクロードには、ここで僕と一緒に暮らしてもらうよ。犯人が金持ちなら自分の手は汚してない。どこにいるか分からないから、殺害は失敗してて、お姉ちゃんがまだ生きてると思い込ませる。だから――、」


 そこで言葉を切ったジゼルが正面から抱きついてきたかと思うと、彼女に似た哀しげな微笑みを浮かべて「お姉ちゃんのベッドはクロードが使って良いよ」と。溜息のように儚い声でそう言った。

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