ムジークの焦り
ムジークは焦っていた。
本当に焦っていた。本気と書いてマジと呼んでしまうくらいに焦っていた。いや、本気ではなくて真面なのはわかっているのだが。
しかし、だ。
「暴走だけはさせてはならんぞ。暴走だけは……」
あまりの焦りに、思考が言葉になって溢れていた。
ここは秘密結社シュバルツローゼの研究室。そう、いつもの場所だ。
いつもの白衣姿でムジークは独り、研究室の端から端までを幾度となく往復していた。右手であごをさすりさすりしながら。てくてく、てくてくと歩き続けるのだけれど、いつまでたっても考えがまとまらない。
……これまでであれば、戦闘員だけで事足りていたのだが。
あの少年。響木悟。
少年を見張り、そして襲っていたのは彼らシュバルツローゼだ。
いつものように戦闘員を派遣したところに邪魔が入った。
それも一度だけではなく二度三度と、だ。
それは可愛らしい衣装の少女だった。そう、まるでよく知る魔法少女のような姿なのだ。ただひとつ違うのは。巨大だった。しかも、そんな巨人が二人に増えてしまった。
……このままではいかん。
ムジークの歩みが止まる。あごをさすっていた右手が降ろされて。視線が足元から正面へと起こされる。
そして、一度引き結んだ口元が開かれて。決意を込めた声が発せられる。
「投入するしかないのか、怪人を」
ムジークの研究室に、二人の男が入ってくる。
ひとりはリーゼントにティアドロップのサングラスがよく似合うマッチョガイ。六郎だ。いつものように、その素肌に直接、白衣を纏わせている。
もう一人は、がっしりとした体格の男だった。黒いブーツに黒タイツ、黒い革のショートパンツに何故か仮面ヒーローの変身ベルト。胸に、肩に、腕に、とんがったリベットを無数に打ちつけた、黒い革ジャンを着込んでいる。その姿はそう、ハリセンボンのようだった。そこに四角張った輪郭に鋭い目つきの顔がのっていて。ただ、六郎とは違って、その頭はつるつるのスキンヘッドだった。そのつるつる頭の左半面から顔面にかけては、まるで歌舞伎の隈取のような刺青に彩られていた。
ムジークの前へと進み出た二人の男は、右の拳を握りしめ、その拳を自らの左肩にあてて跪く。。
「よく来てくれた。楽にしてくれ」
「はっ」「はっ」
ムジークの言葉に、二人の男は短く応え、そして立ち上がる。
「戦闘員の手配はどうなっている?」
ムジークは六郎の方へと視線を向け、声を掛ける。
「はい。あの邪魔者に当たらせるため、いつもの三倍。三部隊の編成を進めております。」
六郎は澱みなく答えてみせる。
「ムジーク様。私と六郎が二人で呼ばれたという事は、そういう事だと理解してよろしいか?」
スキンヘッドの男が鋭い目つきで問う。
「蛇目頭よ、そういう事だ。戦力の逐次投入は悪手になりかねん」
スキンヘッドの男――蛇目頭に視線を向けたムジークは言う。
「なんと、それほどの強敵なのですか」
「ああ、俺の部隊が三度にわたって退けられているのだ。信じがたい状況だ」
吃驚する蛇目頭に、六郎が苦々しく付け足す。
「ならば……」
じっと考え込む蛇目頭。うむ、と一度頷くと、ムジークへとそのあたまを向ける。
「ムジーク様。作戦実行は三日後、週明け火曜が適当であると進言します」
「……そのこころは?」
「これだけの大規模作戦であるならば街中での乱戦は相応しくないでしょう。かの少年はその日、海岸部のコンビナート地帯へ向かうことになっておりますゆえ」
「ほう」
「お前の情報ならば確かにそうなんだろう。まったくどんな伝手を持っているんだか」
感嘆するムジーク。嫌味半分ではあるが、それでも同意を示す六郎。
「その提案、採用しよう。六郎、編成を急いでくれ」
「はっ」
……しかし。
蛇目頭はさらに考え込んでいた。
戦闘員とはいえ、闇のクリスタルによって身体機能を強化・拡張されたものたちである。そこらの一般人に後れを取ることなどありえない。戦闘員に授けられている闇のクリスタルの性能はX一・二の等級のものだ。質量にして七割強にも及ぶ強化がなされている。それが敗れた。部隊単位で行動していたにも関わらず。
「六郎よ、その邪魔者はもしや『クリスタル』の力を持つものなのか?」
「ああ、その疑問は俺もムジーク様も感じていた。おそらく本物だ」
「!! それは確実なのだろうな」
「これまでの接触データから分析するに、性能はX一・八相当。まず間違いないな。ただそこまで純度の高いものではなさそうなのが、せめてもの救いだ」
「そうだとしても」
ふう、と蛇目頭は溜め息を吐いて、そして続ける。
「我ら怪人であっても、与えられている『闇のクリスタル』はX一・四だ。所詮、模造品に過ぎんのだぞ」
そう、シュバルツローゼの持つ『闇のクリスタル』は、『光のクリスタル』の能力を模して造られたものであるのだ。しかし、未だそのテクノロジーを安定して使いこなすことができていない。『光のクリスタル』に遠く及ばない低品質なものしか、量産できていなかった。
「それは判っている」
六郎が苦々し気に吐き捨てる。立派なリーゼントの先端が激しく揺れる。
「だがな、本物とはいえ性能は高くない。俺とお前、ふたりの怪人と戦闘員三部隊の人海戦術で抑え込むことは可能だ。それに……」
「それに?」
「邪魔者に勝つことが目的ではないだろう。時間を稼ぎ、あの少年に接触できれば」
「たしかに。それで我らの目的は達せられるな」
蛇目頭は、考える人のように組んでいた腕を解いてムジークへと向きなおる。
「ムジーク様。此度の命令、つつしんで拝領いたします」
跪いて右の拳を左肩に当てる蛇目頭。
深々と下げた頭が、実に神々しく輝いていた。きらりん☆
薄暗い研究室。六郎と蛇目頭は既にいない。
ひとり残ったムジークは、執務用に置いてあるビジネスチェアにドカッとその身を投げた。いつになく乱暴な所作だが、それを咎めるものはいない。
「こんなはずでは……こんな……」
隠そうとしても隠せぬ苛立ちが、ムジークの口からこぼれ出る。
その通り。こんなはずではなかったのだ。
非正規品。そう呼ばれるクリスタルがムジークの元に届けられたのは半年ほど前、まだ春浅いころだった。
それは、シュバルツローゼの本拠となる某国の生産施設で作られたものであった。生産時の偶然が重なったのだろうか、非常に高い性能を示すクリスタルが出来上がったのだが。ただ偶然出来上がったが故に、それは安定していないものであった。
ムジークはそのクリスタルと共に本国から届いた報告書、そこに添付されていた実験記録を思い出していた。
『……すごい。性能値X二・〇を越えました。依然、測定値上昇中』
『X二・二付近で安定。この性能は世界が変わりますよ』
『……アラート発生! 一旦収束した変身エネルギーの吸収が再び始まりました』
『エネルギー吸収、止まりません。暴走状態です! もう実験設備がもたない!』
『第一種警報発令! 実験強制停止! 緊急凍結処置開始』
結局、この実験施設は半壊し、実験に協力していた被験者を含む研究者や技術者、計十二名が犠牲となった。本国で持て余したそれは、クリスタル研究者として高い評価を受けていたムジークへと預けられることに。ありていに言えば尻拭いを押し付けられたわけだ。
……あの時、偶々あれが手元にあって、偶々ふさわしい被験体がいた。もし神と呼べる存在がいるのであれば、何と意地の悪いことか。
イレギュラーの実装実験を決断した時を思い出し、ムジークは大きな溜め息を吐いた。
通常、これだけピーキーな性能を示すクリスタルに適合できる人材は、そうそういないのであるけれど。実際、ムジークの元にいる戦闘員や技術者に、イレギュラーへ適合できるものは一人としていなかった。
なのに。
シュバルツローゼが関与する病院の入院患者であった少年。彼だけが、イレギュラーへの適合を示してしまった。そしてその時、ムジークの研究で暴走を抑えられる可能性が見えてきていた。そんな偶然が重なって、少年と非正規品は結びついてしまった。
そんな実験も、当初は上手くいっていたのだ。
戦闘員が少年と接触する。戦闘員の持つ闇のクリスタルでイレギュラーに溜まったエネルギーを抜いていく。それで暴走の臨界点を超えることは無いはずだった。
それなのに、戦闘員と少年との接触を邪魔するものが現れた。
巨大な姿態を持つ、本物のクリスタルの所有者と思わしき者たち。
すでに三度にわたって少年との接触を邪魔されてしまった。ムジークの計算では、既にかなり臨界に近づいてしまっているはずだ。
「ええい、くそっ! まったく本国の阿呆どものせいで、何故こんな苦労をせねばならんのだ」
ざんばらの髪を掻きむしり、ムジークは吐き捨てるのだった。