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三者三様 それぞれの思惑

   ◇


 蓮軽(はすかる)市の街角に、秋風が吹く。

 すでに日は落ちて、薄闇が街を覆い始めている。街路灯が、ぽつりぽつりと、その足元に光を投げかけていく。

 その街路を一人の大男が歩いていた。

 立派なリーゼントにティアドロップのサングラス。六郎だ。

 今日の装いはいつもの白衣ではなく、ウエスタンブーツにタイトな革パンツ。革ジャン越しにも筋肉の盛り上がりがわかる。革ジャンの襟を立てて、すこし背を丸めて、秋の寒風を避けるように道を急ぐ。

 その六郎の歩みが、ふと緩やかになり。ゆっくりと顔が上がる。その視線の先には一軒のクレープ屋があった。六郎の足が、そのクレープ屋へと向かう。

「……」

 無言で店に入った六郎と、若い店員との視線が一瞬絡む。

「……いちごカスタードクレープ。ホイップ増しで」

 店員が口を開くより早く、六郎は注文を告げた。こくりと頷く店員。口を一文字に結び、一心にクレープを作り上げる。

「ホイップはどのくらい増しましょうか」

 店員は固い声で六郎へ問う。

「……二倍、いや三倍は必要だな」

 その言葉に店員の表情が固まった。

「本気ですか?」

「……ああ」

 強面(こわもて)の客だからだろうか。ホイップを盛る店員の顔は、どこか強張っているように見えた。


   ◇


 カーテンの隙間から朝の光が差し込む。小鳥たちの(さえず)る声が聞こえてくる。

 遠くに感じていたその光が、声が、しだいにはっきりと感じられて。緋色はその意識が覚醒していくのを感じていた。

 爽やかな秋の朝。

 緋色はその身を横たえていたベッドから、ゆっくりと起き上が……れなかった。太ももが、お尻が、腹筋が、背筋が、全身の筋肉という筋肉が悲鳴を上げていた。

 昨日の特訓が緋色のあらゆる筋肉を傷めつけていたわけでは、実はないのだけれど。緋色の脳は、スカーレットであった時に酷使した肉体をしっかりと記憶していたのだ。

 スカーレットの身体を思うがままに操る感覚を緋色の脳に記憶させる。絵里香の策は成功していて、その副作用としての筋肉痛……いや幻覚痛か? だった。

 ……うう、つらい。でも起きなきゃ。

 だって今日は……


 ――キーンコーンカーンコーン。

 一限目を知らせるチャイムが鳴る。ざわついていた教室が一瞬静まって。

 ――ガラリッ。

 教室前方の引き戸が開いた。

 いつもならば、ここで教科担当の教師が入ってくるのだが。でも今日は違っていた。

 一人は上下とも紺色のジャージ姿の中年男性。がっしりとした体格。四角張った輪郭に鋭い目つき。白髪の混じり始めた短髪を整髪料でびしっとなでつけている。まるでヘルメットのように、一ミリたりとも乱れる気配が無い。

 もう一人は小柄な女性で、ひざ丈の砂色(サンドベージュ)のスカート、白いブラウス。その上から黒いカーディガンを羽織っている。一つくくりに縛った黒髪は肩より少し長いくらいで、どこか幼さの残る顔立ち。眼鏡の奥の瞳には、おどおどとした色が浮かんでいた。

 教室に入ってきたのは、学年主任と副担任の二人だった。

 学年主任はそのまま黒板の前に進み、どんっと教卓にその両手をついた。

「さて」

 口を開いた学年主任は、鋭い視線で教室を見渡す。

「来週はいよいよ校外学習なわけだが」

 ――ざわり ――ざわり。教室の空気がざわつきはじめ。

「本日はその班分けを行う」

 わっと騒ぎ出したいという空気が教室中に伝わるが、しかし強面の学年主任の前でそうするわけにもいかず。ざわつきだけが教室を支配していた。


「……次。石油コンビナート見学。希望者は……」

 副担任が高い声を張り上げる。元々の声が小さいからか、それでも注意していないと聞き逃してしまいそうだ。

響木(ひびき)(さとる)さん、真野(まの)緋色(ひいろ)さん、本村(もとむら)絵里香(えりか)さん。以上三名です」

「三人だけか。ここは一班構成だな」

 学年主任の言葉に、よしっと拳を握る緋色。絵里香と視線をかわし、お互いに頷きあう。その口元がにやけるのを、どうにも隠しきれていない緋色だった。

 ……やったね。絵里香にも協力してもらって正解だったよ。希望者が三人いないと別の見学先に回されちゃうからね。作戦成功だ。


 悟の希望はリサーチ済みだった。

 事前に上がった八ヵ所の見学先。その中でも特に不人気だった石油コンビナートをなぜか悟が希望している。この情報を、あらゆる伝手を頼って緋色は入手していた。実はこの見学先、希望していたのは悟だけであったのだ。

 ……そりゃあ、悟くんとお近づきになれるこんな美味しい学校行事(いべんと)。そんな絶好のチャンスを逃すほど私もお子様ではないのだよ。うん。

 うんうんと頷く緋色。それを冷めた目で見やる絵里香。なにを納得しているのかよく分かっていない悟。

 三者三様の表情をよそに、学年主任と副担任の話は続く。


 しかして。

 ここは蓮軽市の駅前広場である。

 以前、絵里香が待っていたその場所に、今日は緋色が待っていた。お気に入りのプリーツスカートはもちろんタータンチェックのあれ。本日はちょっと大人っぽく、消炭色(チャコールグレー)のタートルネックで決めている。

 あの班分けから時は流れてすでに土曜日。そのお昼過ぎ。

 今日は校外学習の下調べに、市立図書館へと向かう予定だ。メンバーはもちろん絵里香。それに悟も。同じ班だからと、絵里香が声を掛けてくれていたのだった。

「……」

「…………」

「………………えへっ」

 ついつい表情が緩み、変な声がでてしまった。ちょっと楽しみすぎる。

 そんなこんなしていると。

 ――ブーン。

 マナーモードにしていたスマホが震えている。メッセージの着信だ。

『ごめん、緋色。急用で行けなくなっちゃった。悪いんだけど校外学習の下調べ、お願いしていいかな? 悟くんと二人で』


「ふう」

 メッセージを送り終えて、絵里香は大きく息を吐いた。もちろん急用なんてあるわけない。奥手な親友のために、ひと肌脱いであげたのだ。でもどうしてだろう、あんまり気分が晴れない。

 緋色の待つ駅前広場から一本外れた通りの喫茶店。大きめのマグにたっぷりのカフェオレが湯気を立てている。絵里香はまだ手を付けていなかったそれを口へと運ぶ。こくり。やけに苦い後味が舌に残っていた。


 駅前広場へと駆け込んでくる少年が一人。緋色を見つけると、ぶんぶんと手を振って駆け寄ってくる。

「お待たせ」

「ううん、ぜんぜん」

「あれ、本村さんはまだ?」

「なんか、急用ができたんだって。ついさっき連絡がきたんだ。下調べは二人にお願いするって」

「そうかー」

「……残念だった?」

 ……しまった。

 緋色の心臓がどくんと跳ねる。

 悟が絵里香を気にしたことへの、ほんの少しの嫉妬心だっったのかもしれない。そんなこと聞きたかったわけじゃないのに、つい口をついてこぼれてしまった。

「そうだね。せっかく同じ班になったんだから、本村さんとも話がしてみたかったんだ」

「そう、か」

 悟の言葉に、緋色の胸がずきんと痛む。聞くんじゃなかった。視線が足元へと落ちる。

「もちろん、真野さんとも、ね」

「え?」

 緋色の視線が跳ね上がる。にこやかに緋色を見ている悟の顔が、そこにあった。

「あんまりさ、親しい同級生いないんだよね、僕。だからかな、校外学習で一緒に班行動する二人と話せるのが楽しみで」

 確かに。

 悟がクラスで誰かと親し気にしているところを、緋色は見たことが無かった。いや、会話自体が苦手なわけではないのだろう。だって、当たり障りのない会話をクラスの男子と交わしているのは何度も見かけていたから。ただ休みがちではあったと思う。特に入学式から暫くの間はほとんど休んでいて。一時期は実在しないんじゃないかと噂にまでなっていたこともあったな、と今更ながらに思いだしてしまう緋色だった。

 でも。そんなことを感じさせない悟の笑顔に、緋色の心は自然と前を向かされて。

 つられて、緋色の口元にも笑みが浮かぶ。


 ……よし! 今日は絵里香の分まで楽しむぞ!

 秋の気持ちのいい風が、緋色の背中を押して行った。


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