いざ、特訓の聖地へ
「……はぁ、……はぁ、はぁ、…………ぁっ」
緋色の、いや、スカーレットの乱れた息遣いが、その艶やかな唇から零れ落ちる。
――ずさーーっ。ざっ。
地面に刻まれた直線状の溝。深紅のショートブーツがその溝を飛び越えるように現れて、ぎゅっと地をつかみ、そして次の刹那には舞い上がる砂煙を残してその姿を消した。
ぎっちりと踏み固められた灰色の地面。砂利や砂で凹凸が均されて、幅広い平らかな通路が形づくられている。巨大なショベルカーやダンプトラックであっても、ゆうに通り抜けられるであろう。その脇には切り立った岩盤が連なっている。灰色の岩肌は不自然なほどに平滑で、なおかつ垂直にそそり立っていた。そんな岩肌が、均一な幅をもって連なっていた。
そう、ここは人の手によって作られた場所。かつてはこの岩盤が切り出され、重機によって運び出されていた。
この場所は採石場であった。その跡地だ。
その地面には、等間隔に刻まれた三本の溝があって。
そこに響き渡るは……
――ピッ!
――ずさーーっ。ざっ。
――ピッ!
――ずさーーっ。ざっ。
――ピッ! ピッ!
――ずさーーっ。ざっ! ざっ!
――ピッ! ピッ! ピッ!
――ずさーーっ。ざっ! ざっ……ばたーーん!
「やぁぁ~~~ん」
派手に転倒したスカーレットが、なさけない声をあげる。
「はーーい、やりなおーし」
ホイッスルを手にした絵里香が、どこか楽し気に声をかけた。
変身したスカーレットは、人目につかないこの場所で秘密の特訓――反復横跳びを行っていたのだった。
「……もうだめーーーーーーー」
たっぷり一時間ほども反復横跳びを繰り返して、くたくたになったスカーレットは採石場の灰色の地面にへたり込んだ。
「おつかれ。いったん休憩しようか」
「たすかった~」
大きな息を吐くスカーレット。豊かな胸の前で両手を組む。祈りを捧げるかのように瞼を閉じる。すると、その両手から光が溢れてスカーレットを包み込んで。
光が収まると、そこにはニュートラルグレーのジャージに身を包んだ緋色がいた。もちろんその左胸には「真野」の刺繍と「化学科 一年」と書かれたお名前ワッペンが取り付けられている。学校指定ジャージ、いわゆる「ねずじゃー」だ。
「はい、緋色。水分補給」
絵里香が水色の水筒から紙コップにスポーツドリンクを注いで、緋色へと手渡す。言うまでもなく、絵里香も「ねずじゃー」である。
ありがと! っというのと、ぷはぁ! っと飲み干すのが、ほとんど同時に思えるほどの勢いで、緋色はドリンクを流し込んでいた。そして。
「おかわりっ!」
たっぷり三杯を一気に流し込んで、ようやく緋色は一息をいれた。慎ましやかな胸が、まだ荒い息に上下している。
「でもさー」
紙コップの縁を親指と人差し指でつまみ、ゆーらゆらと揺らして緋色がいう。
「特訓に採石場ってのは定番だからいいとして」
「うんうん」
「聖地だからね」
「そだね」
特訓には採石場というのも、採石場が聖地だっていうのも、女子高校生の定番ではない気がするのだが、そこはスルーする絵里香。やはり緋色の親友なだけはあるようだ。
「もっとさ、こう体力使わなくても強くなれないのかな? 魔法でビームみたいに」
「そうそれ! わたしもそう思ったの。でもね」
「でも?」
「魔法、使えないの」
「え?」
「使える魔法はね、巨人に変身することだけなんだよ」
「うそ? 魔法少女なのに?」
「うん、それだけ。あ、服装のデザインは変えられるみたいだよ。たとえばね」
絵里香は立ち上がり、二歩三歩と後ずさる。光のクリスタルをその手に取りだして。
「マギィ・エフェクト・フォーミュラ!」
絵里香の唱えたキーワードにあわせて、光のクリスタルが激しく輝きだす。
クリスタルを中心に光の球体が拡がっていく。
その直径は一メートル、二メートル、そして三メートルに及ぶほどにまで膨れ上がり。
そしてその中心には絵里香が浮かんでいた。
「メタモルフォーゼ!」
次のキーワードが響き、絵里香から碧い糸状の光が溢れだす。
衣服は光となって球体の中に霧散する。
絵里香の肢体が、光のシルエットとなって現れる。
絵里香は光の球体の中心で膝を抱えて丸まって。
絵里香の周囲をその身体から溢れた光の糸が包んでいく。
光の糸は球体を埋め尽くし。
そして。
光の球体が弾ける。
光の消えた空間に、激しい風が吹き込んでいく。
光の球体があったその場所は、その球体があった、ただそのままの形で抉られて。
クレーターの様な窪地のその中心に、巨大な青い魔法少女が現れた。
――まぎがある・シアン。
緋色が名付けた魔法少女の名前である。
現れた魔法少女を見上げている緋色。それを認めたシアンは、ふわりとその場から舞い上がった。いやそれは、本当にふわりとしか形容しようのない動きであって。実際には、ただクレーターの底からジャンプして飛び出しただけなのだけど、その巨体、その質量をまるで感じさせない動きと音だったのだから。
――ズンッ。
さすがに二六〇キログラムあまりの質量、その存在感は消せないようで、重々しい振動と共にシアンが大地に降り立つ。ちなみに、シアンの質量が絵里香の自己申告より一〇キログラムほど重いのは……ちょっとした乙女心ということにしておいて欲しい。
「リ・フォーミュラ」
変身を終え、採石場に降り立ったシアンはそう唱えて、もう一度胸の前で手を組む。スカーレットほど豊満ではないが形の良い膨らみが、ふるりと揺れる。
組んだ両手から光が溢れ、また光の球体がシアンを包んだ。ぴかー!
そして光が収まると、そこには居たのは当たり前ではあるがシアンである。ただ。
黒いヒールに黒いパンスト。紺色のタイトスカートの臀部が女性らしい丸い弧を描く。スカートと同じ色のジャケットは身体にぴたりとフィットしていて。白いブラウスの襟元には淡い青緑色のスカーフが巻かれている。その姿は、まるでCAのようだった。まあ、巨大なのだけれど。
「ね」
「ほへー」
にっこりとした笑みで見下ろすシアンを、茫然と見上げる緋色。それを好感と受けとったのか、シアンは変身を繰り返す。ぴかー! ぴかー! ぴかー!
そのたびに看護師に、女中服に、巫女にと姿を変えるシアン。
「最後に!」
そう言って、ぴかー! と光を纏うシアン。再び現れたその姿は。
すらりと伸びた素足に、軽やかなビーチサンダル。艶やかな腰つきを強調するパレオには黒地に鮮やかな青いハイビスカスが染め抜かれていて。布地の合わせ目からは、白いふとももが、ちらりちらりと覗いている。引き締まったくびれは大胆にさらされていて。形のよい双丘を濃紺の三角形が二つ、申し訳なさげに覆っている。そこに両肩にかかるほどの大きな麦わら帽子。
麦わら帽子のつばを左手で軽くつまみ、シアンは水着姿で緋色に笑いかけた。
「どう? 便利でしょ」
その姿を見上げながら、緋色は考えていた。
……穴ぼこだらけになっちゃったな。
そう。
シアンがぴかー! と光るたびに増えていった穴ぼこ。
そこに西部劇のような丸い枯草が転がり落ちて。そして、くるくると回り続けていた。