彼女の言葉、わたしの決意
六角柱状の半透明の物体。何かの結晶体のようであって、ほのかに光を発しているように見える。
そう、その物体こそが『光のクリスタル』だ。
絵里香の左手から浮かび上がった『光のクリスタル』は淡く明滅すると、現れた時と同じく、すっと掌へと吸い込まれていく。
「ほへー。手の中に入ってるんだ」
「緋色のクリスタルはどうしてるの?」
絵里香からそう問われて、緋色は目をしばたたいた。あれ、そういえばどうしたっけ?
「わわわ、ちょっとまって。忘れてきたかも」
「ふふふ、だいじょーぶだよ。自分のクリスタルを思い浮かべてみて」
「んと、こうかな?」
頭の中に、六角柱の結晶を思い浮かべる。半透明で、ぼんやりと光っているそれを思い浮かべる。と。
「わ、わわ、わっ」
胸の中心が熱くなっていくのを感じる。スカーレットとは異なって、けして豊かとは言い難い、慎ましやかな膨らみでしかないけれど。その穏やかな双丘の間に、緋色は『光のクリスタル』を確かに感じていた。
「クリスタルの場所を感じ取れた? そしたら……」
「そしたら?」
「でてこーい、って思うの」
「でてこーいっ!」
「もっと!」
「でてこーーーーいっ‼」
「もーーっと‼」
「で、でってこーーーーーーいっっっ‼‼‼‼」
胸に感じていた熱い感覚が、緋色の呼びかけに呼応して動き出そうとしているのを感じる。そして、両掌で包み込めるほどの、ほんのりと輝く光の玉が緋色の胸元からじわりと浮かび上がってきた。
緋色がその両手で光の玉を包み込むと、光はすっと消えて、その掌には六角中の結晶が握られていたのだった。
「おおお」
「ほら、出てきた」
「すごい! ほんとに魔法少女みたい!」
「だから、魔法少女なんだよ」
らんらんと目を光らせて感嘆の声を上げる緋色に、苦い笑いを浮かべた絵里香が答える。
「んで、さ」
絵里香の口調が変わった。先ほどまでの楽し気なものから、一段低い、シリアスな雰囲気を帯びたものに。
「さっき変身した後だけど、思ったように体が動かなかったんじゃない?」
「……っ‼ どうしてわかったの?」
「……やっぱり」
絵里香は俯いて、何かを考えこんでいる。緋色の問いかけも、その耳に入っていないようだ。だがそれも、ほんのひと時で。
顔を上げた絵里香は、緋色の目を真正面から見つめる。大きく一息を吸い込み、それから。
「このままだと、緋色も悟くんも死んじゃうよ」
真剣な絵里香の言葉が、緋色に突き刺さった。
もうすっかり暗い路地で。LEDの街路灯が、スポットライトのように緋色だけを照らしていた。
◇
「……何という事だ」
秘密結社『シュバルツローゼ』の研究室で、ムジークはそのざんばらの髪を掻きむしり、そして呟いた。無造作に羽織っていた白衣の裾が、ばさりと翻る。
「よもや、邪魔者が増えるとは……。しかし、放っておくわけにもいかぬ。ぬぅ」
「ムジーク様、もしや奴らは本物の持ち主なのでしょうか」
部屋の入り口近くに控えていた強面の男が、ムジークに問いかける。
ごつい体躯にリーゼント。ティアドロップのサングラス。同じように白衣を羽織ってはいるのだが、細身のムジークとは対照的な、暑苦しい空気が滲みだしていた。
「闇のクリスタルを宿した戦闘員たちを退けたのだ。ただものではあるまい。六郎よ、お前の言うように、本物の手の者かもしれぬな」
「では」
「うむ、お前の力も借りねばならんようだ。何があろうと、あの力を解き放ってはならん」
六郎と呼ばれた男はこくりと頷くと、静かに研究室を後にした。その口元は、決意を示すかのように、ぎゅっと真一文字に結ばれていた。
◇
――ぼすん。
ベッドに広げた掛布団の上に、緋色はその身を投げ出した。風呂上りのまだ濡れた髪が、布団に埋めた顔の横にまで垂れ下がってくる。
『このままだと、緋色も悟くんも死んじゃうよ』
絵里香の言葉が、頭から消えない。晩御飯に大好物の煮込みハンバーグを食べても、お気に入りの入浴剤を入れてお風呂に浸かっても。やっぱり、それは消えてくれなかった。
「ああああ、どうしてそうなるのぉ……」
『理由はいくつかあるわ。まずわたしの話を聞いてくれる?』
あの時、絵里香の語った言葉が、緋色の頭の中で再生されていく。
『実はね、わたしが魔法少女になったのは二週間前なの。魔法の妖精に光る宝石……光のクリスタルって緋色がいってたの、ね……それを受け取ったの』
絵里香の話だと、その時の妖精はモモンガのような姿をしていたらしい。変身の仕方や立ち回り方、それから魔法の力についてまで懇切丁寧に教えてくれたそうだ。
……ぬう、うちのギギとはえらい違いだよ。まったく。
『ねぇ、変身した後、思ったように動けなかったでしょ。それってね、自分が思ってるのと重さが違うからなんだ。魔法少女ってね、自分でイメージするより、ずーーーーーーっと重たいの』
身体が大きくなったのだから、当然、体重も増えてるとは思ってたけど、どうやら自分の感じ方と違ってたみたい。絵里香の場合で身長が二八〇センチメートルくらい、変身前の二倍弱ほどになるらしいんだけど、体重は二五〇キログラムを超えるんだって、恥ずかしそうに言ってた。なんと、元の六倍近くになるって。
絵里香の話を聞いた時には、ふーんって感じだったけど。今更ながらに自分に置き換えてみると。
……ってことは。わたしも絵里香と似たような身長になっていたはずだから。
……え! 二四〇キログラム近くになっちゃうの!! うそ!
緋色に尋常じゃないショックが走った。
……女の子の体重じゃないよ。がーん。
……そんなに重たいんじゃ思ったように動けないよね。そりゃそうだ。
現実逃避とわかってはいるんだけど。その後の絵里香の言葉がショックすぎたから、ついつい考えが脱線してしまう。
『それでね、さっきの理由っていうのがここからなんだけど。わたしの変身のきっかけっていうのが、悟くんなの。さっき居た戦闘員みたいなやつ? あれに悟くんが襲われてたの。そこにたまたま鉢合わせて』
その時は戦闘員が一人だけだったから、なんとか撃退できたらしい。
『でもね、その時だけじゃなかったの。それからも、なぜか悟くんに出会うことが多くて、しかもその度に戦闘員が襲ってくるんだ』
『悟くんはあいつらに狙われてる。それは間違いないと思う』
『それから、魔法少女は悟くんを守るために作られたんじゃないかな? わたしはそう思うんだ』
『だから緋色も、魔法少女になったんじゃ……。だって緋色、守りたいでしょ?』
……え、それって。
緋色の思考が一時停止する。
……うそ、悟くんへのわたしの気持ち、ギギにばれてるの? ってか、もしかしなくても絵里香にはバレバレ? んーーーーーっ!
ベッドの上でひとり身悶える緋色。そこだけ見るとただの不審者である。
ひとしきり悶えきった緋色は、ベッドに正座すると、気を落ち着けるかのように大きく息を吐いた。
そしてまた、絵里香の語った言葉の続きを反芻する。
『だから、これからも悟くんは襲われるだろうし、緋色だって巻き込まれると思うの』
『だから、強くならないと』
『だって、今日みたいにやられっぱなしじゃ悟くん守れないし』
『なにより、緋色があいつらにやられちゃうかもしれないんだよ』
そう語った時の絵里香の真剣な瞳を、緋色は思いだす。
純粋に心配してくれている親友の瞳。茶色の瞳。そのきれいな色をはっきりと思いだして。
『悟くん、守れなくていいの?』
……それはいやだ。
『緋色、やられちゃっていいの?』
……それもいや。痛そうだもん。それに何より。
……絵里香に心配かけたくない!
『だから、魔法少女は強くならないと』
……そうだね。強くならないと!
緋色は枕元のスマートホンを手に取ると、素早くメッセージを送った。
――明日から特訓だ――と。