ムジーク 対 ラウタートン
まったくもって、不思議な光景だった。
スカーレットには、それが酷く遠近感が狂っているように見えて、仕様がなかったのだ。
そこに居たのは。
片や、ムジーク。
一八○センチメートルほどの長身で痩せぎすな体躯に羽織った白衣は、すっかり乱れてしまっていて。整髪料で撫でつけられていた銀髪は、普段のざんばら髪に戻りかけている。
片や、ラウタートン。
巨大な体躯は、ぱっと見ただけでも三メートルを大きく超えて、すでに四メートルに迫りつつあった。
巨大な筋肉がために反りあがったぶ厚い胸板。両肩から伸びた二本の腕。筋肉の盛り上がった両足には巨大な三本の鈎爪があって。膝にあたる部分は逆関節に曲がっていた。体表の大部分は白いうろこ状の皮膚で覆われ、両腕と背中の一部、股間の付近を羽毛が覆っている。その羽根のほとんどは漆黒なのだけれど、その内の一部だけは鮮やかな青に、まだらに染まっていた。
そんな身体の上にヒトの頭が載っている。悟の面影を残した少年の頭部だ。
さて、スカーレットが見ていたそれは、拳を大きく振りかぶって、今にも殴り掛からんとしているところであった。
――ムジークが。
――ラウタートンに。である。
そりゃあ、もう、大人と子どもどころじゃない。相撲取りに幼稚園児が向かっていくくらいのスケール感なんだけど、それでもムジークの醸す迫力には、感じ入るものがあって。だからこそ、遠近感が狂っていると思わせる不思議な光景になっていたのだった。
ラウタートンはしかし、そんなムジークを気にも留めていない。ぱこり、ぱこりと殴らせるままにしている。たいしたダメージにもならないのだから、別に不思議でも何でもないだろう。
それよりも、である。
今、ラウタートンの意識は、スカーレットへと向けられていた。
確かに、今この場で最も大きいのはラウタートンで、次いでスカーレットだ。今は、シアンも、六郎も、蛇目頭も、変身前の姿であって、全く目立たない大きさでしかない。スカーレットの次に大きいのは戦闘員の一人なんだけど、スカーレットと比べると二回りどころか四~五回りほども小さく感じられる。
だから、ラウタートンがスカーレットを意識するのは当然のこと。そう誰もが感じていた。
でも。
だからこそ。
それこそが、ムジークの狙いでもあった。
ラウタートンの意識が、すっかり、完全に、自分から外れたことを感じ取って。ムジークの口角が上がる。にやり。そして――
「アブ・ゾルビィレンッ」
掛け声とともに、ムジークのその両手から黒い靄が溢れだした。
至近距離から繰り出された黒い靄だ。しかも意識の外からである。ラウタートンに避ける術はない。
黒い靄がラウタートンの足元を覆っていった。
「うぐわぅっ」
なんと表現したらいいのだろう。ラウタートンが、とにかく不可思議な叫び声をあげた。まるで膝カックンを仕掛けられたかのように、スカーレットには見えた。突然両足から力が抜けおちたのだ。叫びをあげるのもまた、当然かもしれない。
それまでスカーレットを見据えていた視線が不意に外れる。ラウタートンの視線が自分の足元に向いて。そこには、黒い靄が両足に纏わりついていた。
ラウタートンは、その両足をバタバタと動かす。スカーレットには、それが地団駄を踏んでいるように見えて、つい笑いが込み上げそうになる。
それでも黒い靄はラウタートンの両足に纏わりついたままだ。
そして、その靄の先にはムジークがいた。
ムジークの突き出した両手から、黒い靄が伸びている。細く、長く、それはラウタートンの足元まで伸びている。その靄が、脈打っていた。どくん、どくん、と。そんな擬音が聞こえた様にスカーレットには思えた。
「ようやく、こっちを向いたか! どうだ、自分が力を奪われる気分は」
ラウタートンの視線を感じて、ムジークが吠えた。冷静なイメージだったのに、こんな熱い一面もあるんだ。そうスカーレットが思っていると。
「うがぅ!」
今度はラウタートンが吠えた。それと共に、白い肌に生えている漆黒の羽根の隙間から、黒い靄が溢れてくる。ラウタートンの靄がじわじわと、足元へと降りていく。両足を覆っていたムジークの靄を、さらにその上から包み込んで。
ムジークの手元、その靄から脈動が消えた。どくん、どくん、としていた動きが今は感じられない。
「ぬぅ」
ムジークの口元が歪む。ラウタートンが吸収を始めたに違いない。
でも、それこそが、まさにムジークの狙いであったということを、スカーレットはこれから知ることになる。
――にやり。
苦痛に歪んでいたムジークの口角が、突然に上がった。
「ゲェベン!」
ムジークが叫ぶ。途端に、両手から伸びていた黒い靄が太く、濃くなっていく。
――どくん。
今度は、ラウタートンの靄が脈打ち始めた。
――どくん、どくん。
どんどんとエネルギーが流れていくのが判る。
――どくん、どくん、どくん。
スカーレットにも見て取れるほどに、黒いそれが、激しく脈打っている。
「さあ、もっとだ!」
ムジークは、その手から闇のクリスタルの力を送り出し続ける。もっと、もっと、と。かっと見開いた目に宿る光には、どこか狂気さえ感じられて。もしかしたら、これがムジークの本質なのかもしれない。
ラウタートンの様子がおかしい。
いや、その顔に表情と呼べるものは無い。まったくの無表情だ。そうなのだけれど、それでも。腕の、足の、身体の動きの端々から、これまでとは明らかに違う感情が溢れている。
……戸惑ってる? でも、それだけじゃないような。
スカーレットはそう感じた。なんだろう? 例えるなら、食べ放題でおなか一杯になってるのに、まだ追加の料理が出てきて困ってる。そんな感じ。
まあ、つまり。――作戦通りってことだ。
「頑張って!」
自然に応援の声が出ていた。
そして、決着のその時が訪れる。
大きく脈打っていた、黒い靄の動きが止まった。膝の力が抜ける。支えきれなくなった上半身が崩れ落ちて。
白い影が、その場へと倒れ込んでいった。




