白と赤
――きゅっ。
運動エネルギーのほぼ全てを蛇目頭へと渡したことで、スカーレットの身体はほとんど停止していた。靴底からの軽い擦過音だけを発して、ほんの少しだけ残っていた慣性を殺し、完全に停まる。
それまでそこに居た蛇目頭に代わって、スカーレットがそこに立っていた。
ラウタートンのすぐ隣だ。
そのラウタートンの視線は、吹き飛んでいった蛇目頭を追っていた。三回転、四回転と転がるその姿を見て、ようやく左手から獲物が抜け落ちてしまったのだと悟る。
……そうだ、あれは左手にあったはずなのに。
そう思って、ラウタートンが左手を見る。しかし、それよりも。
一瞬早く、スカーレットは再び、深紅のショートブーツを、ぎゅっと踏み込んでいた。
鋭いサイドステップで、ラウタートンの背後へと跳ぶ。
ラウタートンが左手を見た時には、そこにはもう何もいなかった。
ただ、スカーレットの靴底とアスファルトとの摩擦で生まれた、焦げ臭い匂いだけが漂っていた。
ラウタートンの視界から逃れたスカーレット。右足を踏み出して、ざっと急停止をかける。そのまま、さらにサイドステップを踏み、今度は六郎の元へと跳んだ。
実に鋭い動きだ。
これこそ特訓の成果だね。反復横跳び、凄い!
そうして、スカーレットは再び両腕を突き出す。今度は六郎をぶっ飛ば……せなかった。
ぐっと押し込まれた両腕から、凄まじい反動が返ってくる。スカーレットの質量と速度が生み出した運動エネルギーが、そのほぼ全てがスカーレットへと返ってきたのだ。
それを無事に受け止められるはずもない。
スカーレットの身体は盛大に跳ね返されることになった。ぼよ~~~ん。
「……っくっ。ちょっと弱かった?」
ひとしきりコロコロと転がってみたあとで、スカーレットが呟く。
確かに一度目、蛇目頭を突き飛ばした時ほどの助走はとれていない。勢いが足りなかったと言えば、その通りなのだろう。だがそれだけではなかった。
六郎の脇に回されたラウタートンの右腕。よく見れば、その腕に生えた鈎爪が六郎の脇腹へ、ぐっさりと食い込んでいる。いくら全身甲冑に包まれているとはいえ、とても無事とは思えない。実際、六郎はぐったりとして、僅かに呻き声を発することしかできていなかった。
そんな、スカーレットとラウタートンとの攻防をじっと見やる視線があった。
シアンだ。
ラウタートンの完全な死角から繰り出される、スカーレットの一撃。これで甲冑の怪人も開放される。シアンは、そう思った。でも、そうならなかった。
ラウタートンも、やはり警戒はしていた。そういう事だろう。
しかしだ。
そうは言っても、ここまで盛大に吹っ飛ばされるってことは、それだけスカーレットとラウタートンとの間に質量差があるってことなのだろうか? どうにも奇妙な違和感を感じる。
と、シアンは気付いた。
ラウタートンの頭が随分と上にあるんじゃないか? と。
確かに元から魔法少女の二人よりも大きかった。だけど、今はそれよりさらに二回りほども巨大になっているように感じる。
「ぬう、既に暴走しかけているのか」
赤と白の攻防に目の離せないシアンの隣で、ムジークの声が聞こえた。
「暴走? どういうことなの?」
「ラウタートンが先ほどまでより大きくなっているだろう?」
「ええ、それは私も気付いてたけど……」
「抱え込まれた怪人の周り。黒い靄に覆われているのが判るかい?」
「ええ、さっきまでより濃くなっているように見えるわ」
ムジークが指さす先を見て、シアンが答える。
それを聞いて、頷くムジーク。
「あの靄は変身に必要なエネルギーを吸収するためのものだ。あの靄に包まれると、あらゆる物質がそのエネルギーを奪われるんだ。そうやって、さらに巨大な身体へと作り変える」
「え、じゃあ今は、あの怪人からエネルギーを奪っているの? それってヤバいんじゃ」
「ああ。怪人は闇のクリスタルを持っているから多少ならば耐えられるが、このままだと不味いことになる」
「そんな……」
「だから『暴走』なんだよ」
ムジークとシアン、二人の視線は六郎に注がれていた。
そんなムジークとシアンとのやり取りも知らず。
スカーレットは吹っ飛ばされた先で素早く起き上がると、ラウタートンと睨みあっていた。
いや、そうじゃない。
正しくは『スカーレットがラウタートンを睨みつけている。ただし一方的に』だった。ラウタートンは獲物を盗られないように警戒はしているけれども、それ以上の感情はうかがえない。
しかし。
……こいつ、こんなに大きかった?
改めて見上げて、スカーレットは思った。
まあ、気付くのはシアンよりもずいぶんと後になったのだけど。
闘い始める前は、軽く見上げるくらいだったのに、それが今では頭二つ分よりもっと見上げなければならない。
ラウタートンが右手に抱える怪人がやけに小さく見える。
……ん?
ラウタートンが大きくなったから、怪人が小さく見える。それはその通り。
……なんだけど……
……やっぱり……
……そうだ!
そう、ラウタートンに抱えられた六郎は、実際に小さくなってきていた。
黒い靄が特に濃く纏わりついている左腕付近は、もう甲冑の体をなしていない。六郎自身の腕が見えかけている。
「……っ‼」
スカーレットの背筋に尋常じゃない寒気が走った。
この事象が意味することを、直感的に理解してしまったから。
「シアン! これヤバい!」
「分かってる!」
叫ぶスカーレットに、シアンの叫びが応えた。
普段であったならば、シアンの冷静な声に安心するのだけれど。
だけれど。
これまでに聞いたことの無いほど緊迫したシアンの声色に。
ううん、これまでに聞いたことの無いほど緊迫した絵里香の声色に。
緋色の不安は、いや増していくばかりだった。




