ならないか?
駅前の広場に、その少女は立っていた。
タータンチェックのスリムなパンツ。フルジップのスエットパーカーは爽やかな水色で、きゅっと上まで閉め切ってある。肩ほどまでに伸びた紫紺の髪を、ふわりと内側にカールさせて、その上には紺色のベレー帽。
恋人を待つかのように、その少女は佇んでいた。
「絵里香~」
広場に駆け込んできた小柄な少女――こちらは随分と幼いように見えるが――から声がかかった。
そう。
駆け込んできたのは真野緋色。魔法少女好きの高校一年生。一五〇センチに届くかどうかという身長に童顔も相まって、とてもそうは見えな……ん、ゲフンゲフン。
緋色に声をかけられたベレー帽の少女が本村絵里香。緋色の幼馴染で、腐れ縁の同級生で、そして唯一の親友だ。彼女は緋色よりも背が高い。一五〇センチ台半ばかもう少し大きいくらい。落ち着いた表情と相まって、年相応かもう少し年上くらいに感じられる。緋色と並ぶとまるで姉妹のようだった。
絵里香は、大きくて、少しだけ垂れた目を上げた。茶色い大きな瞳が緋色を捉えるや否や破顔する。
「やっときたよ。待ちくたびれた~」
「ごめーん。いつものクレープで許して」
「むー、しかたないなぁ。チョコソース追加ね」
そうして、たわいもない雑談をかわしながら、二人の少女は広場から歩き出した。
ここは蓮軽市。
この県の中核都市に位置付けられていて、学術研究都市の異名を冠せられている。複数の大学と、その付属の高校、中学校、小学校、さらには幼稚園までが揃っている、研究者と学生の街だ。昔の大科学者になぞらえて、どこぞには『パスカルシティ』なんて呼ぶものもいるのだとか。
そうは言ってもこの御時世、研究者一本で食っていくのは難しいらしく、副業にバイトに勤しむ研究者も少なくないという。
緋色と絵里香の行きつけのクレープ屋。ここの店員もそうだった。
「はい、イチゴカスタードクレープのチョコソース追加。お待たせ」
「ありがとー、おじさん」
「こら、おにいさんと呼んでくれ。これでもまだ三十前なんだぞ」
「やっぱりおじさんだぁ」
「おおい……」
お互いに笑顔で軽口を叩き合っているが、このおじ……お兄さんも博士号持ちなんだそうだ。最先端のエネルギー変換工学が専門分野なのだと、以前に語っていた。
絵里香との買い物は、本当に楽しい。
楽しすぎて、だからこそ、あっという間に時は過ぎる。気付くともう日が傾き始めていた。そろそろ解散の時間だ。
「もうこんな時間~? まだ遊び足りないよぉ」
駄々っ子のように、緋色がこぼす。
「残念だけど、もう五時過ぎだよ。また明日、学校でね」
微笑む絵里香に、緋色はすぐに機嫌を直した。
「そだね、また明日」
「じゃあね」
絵里香と別れて、緋色はとぼとぼと帰り道を歩き始める。西の空は、しだいに茜色に染まり始めていた。
日曜日のこの時間。一人で歩く帰り道は、何かうら寂しい。
遠くの空から聞こえるカラスの鳴き声が、表通りの方から少しだけ響いてくる喧騒が、なにか郷愁を誘ってくるようで。物悲しい気持ちになるこの雰囲気が、緋色は苦手だった。
そんな気持ちになっていたからだろうか。
その時、緋色の目に留まった小路が、やけに気になった。
……確か、この先って行ったこと無いよね。
ほんのちょっとした好奇心からだったのかもしれない。
緋色は、その小路へと寄り道してみることにした。
何という事も無い住宅街の小路ではあるのだが、初めて通る道は新鮮だった。
ブロック塀や生垣、電柱や道路標識。いつもの道とあまり変わりはないはずなのに、その配置が違う。それだけで何か気分が浮足立ってくる。
電柱の陰で昼寝していた黒猫が緋色に気付いて顔を上げる。金色の目が緋色を見つめていた。なんて綺麗なんだろう。そう思った緋色は、その黒猫にゆっくりと近づいていく。
黒猫の目は、近づいてくる緋色の姿を、じっと捉えていて。
緋色のその手が、黒猫に触れようとするその瞬間。つい、と立ち上がった黒猫は、しなやかな動きで路地の先へと歩み始めた。
「あ、ちょっと待ってよー」
追う緋色。先を行く黒猫。逃げるでなく誘うかのように、黒猫は歩を進める。
時おり振り返り、緋色が付いてきていることを確認するそぶりを見せながら。
「ちょっと、どこ、いくの? ふぅ」
すっかり黒猫を追うことに夢中になった緋色。少しだけ上がった息を整えるように、両膝に手を置いて、大きく息を吐いた。
黒猫は振り返り、緋色の姿を見つめていたが、やがて目の前にある階段を登っていった。
いつの間に現れたのだろう。緋色の目の前には、コンクリート造りの鳥居が建っていた。そのくぐった先には、黒猫の登っていった階段が続いている。
街はすでに夕焼けの赤に染まっていて。それは鳥居も、その先の階段も例外ではなくて。赤に染まった階段はどことなく不気味さを漂わせていて。
それでも、緋色は歩を進めていった。
それは、何かに引き寄せられているかのようで。
三十段ほどの階段を登ると、そこは神社の境内だった。
左手には手水舎が、正面には鳥居があって、その先には本殿が見えている。こぢんまりとした、街中の神社といった佇まいだ。その境内を、緋色の背後から大きな夕日が照らしていた。赤く染まった境内には、緋色自身の影が長く伸びている。その影は、正面の鳥居の先にまで届いていて。
正面の鳥居の下、緋色の影のその中から、大きな瞳が緋色を見つめていた。
まん丸の大きな目だ。じっと緋色を見つめるその目は、黒猫のものではなかった。
「きゃっ」
闇の中にくっきりと浮かんで見えるその目に、緋色は小さな悲鳴を上げた。
あの黒猫の綺麗な金色の目ではない。血がにじんだような、赤みがかった橙色の目だ。そこにまん丸の大きな黒目があって、無表情に緋色を見ていた。
両手の指を胸の前で組んで、動けなくなってしまっている緋色。脚が動かない。目を離すこともできない。
「……あなた、だれ?」
緋色はどうにか声を絞りだした。
その声を聴いたからか、大きな目の持ち主は緋色の影をゆっくりと抜け出す。
その姿は。
不自然なほどに平坦な顔に大きな目。その顔に比して、極端に小さな黒い体躯。太く鱗ばった脚には猛禽の鋭い鈎爪。
「え……ふくろう?」
そう、その特徴はいかにも梟のものと酷似していた。ただ一つ、猛禽の嘴があるべきところにそれは無く、代わりに人のものと思しき口がそこにあった。
緋色が疑問形としたのは、そのためだった。
それだけのことで、これほどまでに違和感……というよりも嫌悪を感じるなんて。ときおり現れる黒くて速いアレより、そいつを捉えて貪り食う八本脚のソレより、百本の足を持つという……あー、想像もしたくないけど! これまでに見てきた、どんな不気味な生き物よりも強烈な嫌悪感をその生き物は与えてきていた。
その生き物の瞳は、じっと緋色の目を捕らえて離さない。ひとしきり緋色を観察した後で、その生き物の口が開いた。
「……わた……しの、なまえ……は……ぎ、ぎ……」
「ギギ?」
不自然にとぎれとぎれな発音ではあるが、たしかに日本語だ。
「あなた、何者なの?」
「クルっ……きみたち、の、いう……ようせいにちかい……」
「えっ! 妖精?」
俄然、緋色のテンションが上がる。
「そ……う。まほ……しょ……じょにでてくる、あ……れ……」
「えっ! うそっ!! 魔法の妖精!!!」
現金なものだ。先ほどまでの嫌悪感などみじんも感じさせない。緋色は今にも頬刷りしそうな勢いでその生き物……ギギを見つめている。
「きみは、し……かくしゃだ。ま……ぎが……ある……に、なら……ないか?」
「魔法少女! キタコレ!」
「ど……うかな……?」
「なる! なります! ならせてくださいっ!!」
もうすっかり、教祖様を崇める狂信者のような勢いで、緋色は答えていた。
そんな緋色が、ニヤリと持ち上げられたギギの口角に気付くはずもなく。
日は落ち、宵闇が辺りを包み始めていて。境内の赤は急速にその色を無くしていった。