プロローグ 魔法少女と日曜日の朝
そこには巨大な樹があった。
とてもとても大きくて、下から見上げると天を覆いつくすように、その枝葉を広げていた。その周囲を巡るだけで数日はかかろうかという幹。その幹の周りには彫り込まれた溝が幾筋も走っている。よく見ればそこは、多くの人や妖精たちが通る道になっていることが判る。その道をたどり、樹の上へと登るとそこには町があった。様々な生き物たちが暮らす町がそこにあった。まるでこの樹だけで一つの世界であるかのようで。
そう、世界樹だった。
そしていま、この世界樹に危機が迫っていたのだ。
「ふん、ずいぶんと生命力に満ちた世界樹だことで」
秘密組織『黒イバラ団』の大幹部ノイジーはそう独りごちた。
漆黒の髪をざんばらにたらし、片眼鏡をかけた陰気な青年。彼は長いマントを翻して宙に浮いたまま、世界樹を見渡している。
「まあ、この世界樹もまもなく我々『黒イバラ団』の養分となる運命なんだがな」
ノイジーの背後に巨大な怪獣が控えている。地上に立っているにもかかわらず、その目線は宙に浮くノイジーと変わらない。その周りには、無数のモブ戦闘員が群れ集っていた。
世界樹の町では人々が、妖精たちが、動物たちが、怯えてその様子を窺っている。
平和な世界樹の世界で暮らしていた彼らには『黒イバラ団』に対抗する術がなかった。
「さあ、ショータイムだ」
パチンと指を鳴らすノイジー。ずしん、と地響きをたてて怪獣が歩を進める。
世界樹の町の彼らがざっと蒼ざめた。その時。
「待ちなさい!」
高らかに響く少女の声。
「なにものだっ!」
ノイジーが叫ぶ。周囲を見渡すと、視界の端でモブ戦闘員の群れが、どかーんと吹き飛ぶ。目をバッテンにして、ぽーんと飛ばされていくモブ戦闘員たち。
その吹き飛んだ中心には……
二人の少女が立っていた。
「非道なやからがそこに居る。お天道様は知っている。だから私がここに居る」
赤いフリルをふんだんに使った衣装。紅いツインテールがなびく少女の口上が響き渡る。
「炎天の守護者、魔法少女マギ・ルビー」
――どかーん
名乗りを上げるルビーが、びしっとポーズを決める。その背後で盛大な爆発が起こる。真紅の爆炎を背景に、モブ戦闘員がバッテンの目をして飛んでいく。ひゅーーん。
「誰と問うなら答えよう。助け求める弱き声。聞いた私はここに居る」
青いフリルと碧いリボン。藍色のポニーテールが美しいグラデーションを見せる。
「蒼月の守護者、魔法少女マギ・サファイア」
――どかーん
腕を組み、愁いを帯びた表情で名乗りを決めるサファイア。こちらは水色の爆炎だ。同じく、モブ戦闘員はバッテンの目をして飛んでいく。ひゅーーん。
「うぬぬ、また貴様らか」
ノイジーは地団駄を踏んで睨みつける。
二人の魔法少女に向けて、びしり、と指を突き付けて、そして告げる。
「やっておしまい!」
さあ、戦闘開始だ!
モブ戦闘員がバッテンの目をして吹き飛びまくる戦場で、二人の魔法少女は奮戦していた。
お互いに背中を預けあって、群がるモブ戦闘員をばったばったと薙ぎ倒す。吹き飛ばす。
「ええい、いまいましい。ビッグバング、お前がいけ!」
ノイジーに命じられて、巨大な怪獣ビッグバングが二人の魔法少女へ向かう。
その動きを捉えて、サファイアがいち早く動く。
「行かせません。ルナティック・アロー! ……え、効かない?」
サファイアの放った魔法の矢は、ビッグバングに吸い込まれるように消えてしまう。魔法の攻撃を吸収したビッグバングは、その体が一回り大きくなったように見える。
「それなら、これでどうだ!」
ルビーは物理で殴りにいく。が。
「きゃぁぁっ」
ルビーの攻撃が弾かれて、甲高い悲鳴が上がる。
ビッグバングの巨大な質量に、魔法少女の攻撃は通じない。
「ぬふふふ。貴様らの命運もここまでよ」
ノイジーがほくそ笑む。そして世界は暗転……だが、その時。
「なんの」「これしき」
魔法少女の声がブラックアウトした世界に響き渡る。世界に光が戻る。
どこかからか、ピアノの旋律が流れ始める。美しく、流れるようなメロディ。しだいに他の楽器が重なり、美しくも勇壮な旋律へと繋がっていく。
そう、これはテーマソングだ。
ルビーはサファイアの差し出した手を握って、そして立ち上がった。
「一人のちからで足りないならば」「二人のちからで補おう」
「一人のおもいで足りないならば」「二人のおもいを掛け合わそう」
二人の魔法少女の声に合わせ、赤と青、二色の光が集まり始める。
並び立つルビーとサファイア。手を握り、その手を天上へとかざす。光がその手の上で膨れ上がる。そして。
「「マギ・ライトニング・バーストぉぉぉ!!!」」
ルビーとサファイアの声が揃った。
二人の手が天上から前方へと向けられる。光が飛び、ビッグバングは光に包まれる。
――ぼかぁーーーーん
盛大な爆発と共に、ビッグバングは砕け散った。
「……今日のところは、ここまでにしておいてやろう。次の機会までに、せいぜい覚悟を決めておくがいい! ものども、退くぞっ!」
いかにも悔しそうに、ノイジーはそう言って退散していく。
歓声に包まれる世界樹の町。
にこやかに笑い合うルビーとサファイア。
そして、エンディングテーマが流れ始める……
「いやあ、今日も最高な気分だね」
日曜日の朝、一度おおきく伸びをして、小柄な少女はリビングの椅子から立ち上がった。
背中まで伸ばした、ふんわりとした癖っ毛。それを束ねていたゴムを外すと、少女は充足感に満ちた笑顔でテレビのリモコンを手に取り、電源をオフした。
少女の名は、真野緋色。
この春、高校生になったというのに、日曜早朝の魔法少女モノだけはどうしてもやめられない。今シーズンの『魔法少女マギ・ガールズ』も視聴はマストだ。今朝もきっちり早起きして、本放送での視聴を終えたところである。録画予約されていたとしても、当然そうする。当たり前のことだ。
「ちょっと。いつもの見終わったんなら、さっさと食べ終わってよ」
「はーい」
母からの小言交じりの声に、ふんわりとカールした髪の毛を揺らして、緋色は応えた。
テーブルの上には、ハムエッグとトースト、それにカップスープ。おいしそうな匂いが立ち昇っている。
「今日は出かけるんだったよね? エリカちゃんと?」
「そうだよ」
緋色はハムエッグを乗せたトーストをかじりながら返事する。トーストには卵をオン。これが正義。幼いころに見た国民的アニメ映画で知ってから、これは譲れない。
「あいかわらず仲がいいのね」
「絵里香は心の友だからね」
今日はこの後、親友とのお出かけ。
本村絵里香は幼稚園からの幼馴染で、緋色の趣味を理解してくれている唯一無二の親友だ。
高校生にもなると、緋色の魔法少女トークに付き合ってくれるのは、絵里香ぐらいしかいなかった、ともいえる。まあ、それを気にする緋色ではないけれど。
「ごちそうさま」
トーストをカップスープで流し込んで、ぱんと手を合わせる。
ちょっとゆっくり食べすぎたかも。緋色は急いで準備を始めた。
昨夜のうちに準備しておいたお気に入りのプリーツスカート。タータンチェックが変身前のマギ・ルビーとおそろいになっているところが、ひそかにポイントだと思っている。
ハイネックのトップスに赤いフルジップのスエットパーカーを羽織って、緋色は玄関を出た。
昨日までの残暑が嘘のように去っていた。
雲一つない秋空はとてもとても高くて。秋口の涼しい風が緋色の黒髪を揺らす。その黒髪は光を弾いて赤みがかって見えた。吹き抜けた風のその先には、今朝見た世界樹がそびえている。
緋色には、そんな風景が見えた気がした。
作中作「魔法少女マギ・ガールズ」は作者の創作です。現実の個人・団体・創作物とは一切関係ございませんので、ご了承ください。