密談
セルジュと話し合いを行った翌日、アネットは街へ外出していた。待ち合わせの時間には余裕があり、あまり早く到着すれば足元を見られかねないため、店先の商品などを冷やかしながらゆっくりと向かう。
だがそうした行動が結果的に裏目に出てしまった。
「アネット嬢?」
何気なく眺めていた雑貨屋からリシャールが出てきたのだ。手にした袋から彼が何かを購入したのが分かり、胸がぎゅっとなる。
リシャール様が自身の物を購入するような店ではない。となるとそれは誰かへの贈り物なのだ。
「御機嫌よう……ナビエ公爵令息様」
「ああ……偶然だな。見たところ一人のようだが友人や侍女は一緒ではないのだろうか?」
アネットの挨拶にリシャールが僅かに何かを言いたげな表情を浮かべるが、すぐに案じるような瞳を向けてくる。他人行儀な呼び方をしたにも関わらず気にかけてくれることに嬉しさよりも苦しさが勝った。
身勝手な感情を呑み込みながら、アネットは意識的に口角を上げて答える。
「ええ……知人と待ち合わせをしておりますの」
「ならばその場所まで同行しよう。治安がいいとは言え令嬢が一人で歩くのは少々不用心だ」
うっかり正直に話してしまったが、真面目で紳士的な一面のあるリシャールがそれを聞いてそのまま立ち去るはずがなかった。
(でもリシャール様はエミリア様の味方のはずなのに……)
そんな疑問が頭をかすめたが、リシャールの真っ直ぐな視線が妙に後ろめたくてアネットはやんわりと断りの言葉を口にする。
「お気遣いありがとうございます。でもすぐ近くですから」
「アネット嬢、俺のことを快く思っていないのは分かっているが頼むから送らせてくれ。――心配なんだ」
真剣な表情と不安そうに揺れる瞳でその言葉がリシャールの本心だと分かる。
発言の内容からアネットが思っている以上に、リシャールには嫌われていないのかもしれない。そう考えればその申し出を受け入れて良いのではないかという気がした。
あの日は感情的になってしまったが、クロエにも関わることなので話を聞いてみた方が良いのかもしれないとアネットが思いかけた時、聞き覚えのある声が背後から上がった。
「リシャール様?」
息が詰まりそうになり、これ以上この場に留まってはいけないとアネットの本能が告げる。
「申し訳ございません。遅れてしまいますので、失礼いたしますわ」
そう言ってアネットは逃げ出すようにその場を離れたのだった。
(どうしよう、あんな態度を取ってしまった……。でも、どうしていいか分からないんだもの)
心配してくれたのに失礼な態度を取ってしまったと、アネットは反省と落胆を繰り返していた。恐らくリシャールは以前のように名前で呼んでも嫌がらないだろう。だけどアネットはもう自分の気持ちを知っている。
それなのに友人に戻ることなど出来ないし、彼はエミリアに好意的なのだ。
割り切ったはずなのにいまだに胸に痛みが走るのは、先程親しげにリシャールの名前を呼ぶエミリアの声を聞いたからだろう。もしかしたら二人は一緒に出掛けるために待ち合わせをしていたのかもしれない。
悲しい想像ばかりが浮かび、リシャールの申し出を受けなくて正解だったのだとアネットは自分に言い聞かせる。
(リシャール様はセルジュ殿下の味方でも、お姉様の味方とは限らないもの。私はこれ以上一時の気の迷いでお姉様を窮地に立たせるわけにはいかないのよ)
そう自分を奮い立たせながらも、去り際に見えたリシャールの傷ついたような眼差しが頭から離れない。
待ち合わせの場所に辿り着いたのは、約束の10分前だった。店内に入る前に深呼吸して頭を切り替える。これから会う人物は一筋縄ではいかないし、少しでも隙を見せれば必ずそこを突かれるだろう。
「お連れ様がお越しになりました」
洗練された物腰の店員が扉を開けると、テーブルの傍に立っていたシリルは深々と腰を折る。
「座りなさい、シリル。貴方に大切な話があるの」
顔を上げたシリルはちらりと見極めるような視線を向けて、アネットの向かいに腰を下ろした。
この程度で臆していては、交渉どころか一方的に丸め込まれてしまう。居住まいを正したアネットは、淡々とした口調でシリルへの提案を開始したのだった。
「アネット様のお話は持ち帰って検討させていただきます」
それからきっかり30分後、シリルは懐中時計を取り出して話し合いの終了を示した。
実現不可能な話ならシリルは即座に却下する。検討段階まで持っていけたのなら、上々の成果だろう。とはいえまだ説得する材料や調整などが必要になってくるため、大変なのはこれからだ。
今後の目途が立ったことに肩の力を緩めるアネットに、シリルが思い出したように言った。
「アネット様、これはお答え頂かなくても結構ですが、今回こちらのカフェを選んだのは何か理由がございますか?」
「ええ、あるわ」
理由まで告げる必要もないと判断して、アネットは端的に答える。それを聞いたシリルは珍しく微笑を浮かべると、慇懃な礼を取るとそのまま個室から出て行った。
本来であれば立場上アネットを送り届けるが、今回は内密の相談だったためアネットから断りを入れた。後ほどジョゼが迎えに来ることになっているから問題ない。
すっかり冷めた紅茶で喉を潤していると、ノックの音がしたので返事をする。確率は半々だったが、現れた人物にアネットは第二ラウンドの始まりを鐘を聞いた気がした。
(さて、もうひと頑張りしなくてはね)
「おや、驚かないんだね。もしかして見越していたのかな?」
「どちらでも構わなかっただけですわ。貴方にもお話がありますの、シアマ会長」
そのためにフェルナンが経営するカフェを話し合いの場に選んだのだ。一度フェルナンと共に訪れていたし、優秀なスタッフならアネットの顔を覚えていて、オーナーに一報を入れる可能性もあると踏んでいた。別日でも問題はなかったが、早い方が効率的だったしこちらからの依頼であれば優位性が保てない。
「私と取引をいたしましょう」
クロエだけでなく自分自身の将来のために、アネットはゆったりとした口調で告げると優雅に微笑んだ。




