54 新学期早々もやもやします
久しぶりの学校はどこかよそよそしい雰囲気で、アネットは入学したばかりの頃を思い出す。教室の扉を開けばそこには既にセルジュとリシャールの姿があった。
「殿下、リシャール様、おはようございます」
「クロエ、アネット嬢、おはよう。良い休暇が過ごせたかな?」
クロエが優雅に挨拶をすれば、セルジュがにっこりと笑顔で返した。そのいつも通りのやり取りに心がほかほかする。
クロエを独占できることも嬉しいが、そつのないやり取りのようで婚約者であるセルジュと言葉を交わす時の、クロエの微かな喜びに満ちた瞳を見るのも大好きなのだ。
そんな微笑ましいやり取りをずっと見ていたい気持ちだったが、周囲に人がいないうちにとアネットは声を抑えてリシャールに話しかける。
「リシャール様、先日は素敵な贈り物をありがとうございました」
「……ああ、喜んでくれたなら何よりだ」
(あれ…?)
視線を逸らして言葉少なに告げるリシャールの態度にアネットは違和感を覚えた。休暇前はだいぶ打ち解けてくれるようになったのに、入学当時とまではいかないが随分と素っ気ない。
ちらりとセルジュのほうを窺えば、困ったような笑みを浮かべて小さく首を横に振ってくれる。気にするなという意味だと分かったが、理由が分からず少しもやもやした気分だ。
気にかかりながらもアネットは昼休みに訊ねれば良いと、登校してきた友人たちに挨拶を交わすことを優先することにした。
(やっぱり朝のうちに聞いておくべきだったかしら)
「困ったな。そんなに怒らないでくれ」
苦笑しながらそう告げるのはフェルナンだ。アネットとて淑女の端くれとして感情を露わにするような真似をしていないのだが、口元に笑みをはいても目は笑っていないだろうことは自分でも分かっている。
(お姉様との昼食を邪魔したのだから、怒るなというほうが無理なのだわ)
いつものメンバーで食事に向かう途中でフェルナンから声を掛けられてしまったのだ。一通り挨拶を終えて別れることが出来れば良かったのだが、フェルナンのほうが一枚上手だった。
アネットを通してセルジュへの会話を持とうとしたフェルナンを失礼なく止めるためにクロエ達と別れたのだが、案外それが目的だったという気がしてならない。
「私を利用するのは構いませんが、お姉様や殿下を巻き込むのであれば容赦いたしません」
王族との繋がりはそう簡単に得られるものではない。
前回アネットが巻き込まれた件では多少借りを作った形だが、それはあくまでもアネットが負うべきものである。これ幸いとクロエやセルジュに影響が及ばないよう、最小限にすべく話し合った結果、セルジュが未来の義妹を守るためだと動いてくれたのだ。
「君を利用するつもりなんてないよ。ただの世間話と、ちょっとした牽制かな」
柔らかい笑みでさらりと告げられた牽制という言葉に僅かに首を傾げてしまうが、あまり深い意味はないのだろう。言葉遊びや軽やかな話術は貴族としても商売人としても必要なものだ。
「そうですか。ではお姉様への接触はご遠慮いただけますか?それからお姉様との時間を削ることも控えていただければ幸甚ですわ」
「アネット嬢が俺との時間を切り分けてくれるなら、君たちの時間を邪魔するつもりはないよ」
同じく柔らかい笑みを浮かべて返すアネットに対して、フェルナンの笑みは崩れることがない。傍目には和やかな雰囲気に見えているだろうが、アネットにとっては譲れない戦いの最中なのだ。
「お父様からはフェルナン様と親交を深めるよう、言われておりませんの」
カフェへの誘いをカミーユ経由で行ったことは記憶に新しい。ならば逆もまた然りなのだと自分の意思を遠回しに告げれば、フェルナンは何故か愉快そうに目を細める。
「ならばまずはルヴィエ侯爵に気に入ってもらえるよう努めるとしよう。ちなみにカフェへの誘いは有効だということだよね?」
どこか勝ち誇ったような表情は癪に障るが、事前にカミーユの許可を取った以上それを反故にするつもりはなかった。
「ええ、そちらは了承しておりますわ」
話が終わったと立ち上がりかけたアネットは油断していた。
「アネット嬢にとってリシャール殿はどういう存在なのかな?」
「友人です」
自分でも驚くほど冷ややかな声が出た。自分の失態をすぐさま後悔したが、それ以上余計なことを言わずにアネットは小さく頭を下げてその場から立ち去ることにした。
(完敗だわ。私のほうが年上なのに……)
前世の年齢だけ数えても人生経験があると自負していただけに、駆け引きの弱さを露呈してしまったアネットは敗北感に打ちのめされていた。
そもそもどうしてあんな風に過剰に反応してしまったのか。自分でも意外なほどに苛立って反射的に答えてしまったのだ。
(仮にも婚約者候補なのに邪推されたことが不愉快だったのかしら?)
そう考えれば何となく納得がいく気がする。
少し大きなため息を一つ吐いて、アネットは頬をぺちりと叩いた。失敗を悔やんでも仕方がない。昼休みが終わる前にクロエの元に戻らなければ心配を掛けてしまう。
まだ少しだけもやもやする気持ちに蓋をしてアネットは足早に教室へと向かった。




