51 誕生日(クロエ視点)
目を覚ますとカーテンの隙間から微かな光が差し込んでいるのが見えた。
いつもより早い目覚めだと気づいたが、クロエは寝台の上で身体を起こす。昨日から考えていたことが頭から離れない。
(いいえ、シアマ会長が訪れた日からずっと考えてしまっているのだわ)
罪悪感に胸がずきりと痛む。だがミリーが起こしに来る前に気持ちを切り替えなくてはいけない。今日は大切な妹であるアネットの誕生日なのだから。
クロエの誕生日と違ってアネットの誕生日は盛大に祝われることがない。父カミーユはそんな祝い事を気に掛けていないし、女主人である母デルフィーヌの意向を無視して行うことが出来ないからだ。
アネット自身も特段気に留めた様子もなかったが、クロエはそれが逆に悲しかった。
同い年であるにもかかわらずアネットが大人びた振る舞いをするのは彼女を取り巻く環境に強いられたものだろう。そしてそんなクロエの葛藤さえもアネットは簡単に見抜いてしまうのだ。
『お姉様、使用人たちへの労いの日としてお菓子を振舞いたいのですが、どう思われますか?』
母を刺激せずお祝いをしたいと考えていたクロエに、アネットは自分の誕生日を使用人たちの労いの日にしてはどうかと提案したのだ。
その結果、クロエはシリルを通じて母の機嫌を損ねることなくささやかなお祝いの場を用意することが出来るようになった。
建前上使用人のために作られたケーキやクッキーなどは、アネットとクロエのお茶会の席にも供され、普段より充実したお茶菓子にアネットは目を輝かせて喜んでくれた。
プレゼントは刺繍を施したハンカチや小さなぬいぐるみなど自作したとはいえささやかな物ばかり。自由になるお金がなく、母が気に留めない程度の物品しか贈れないのにアネットはいつも心から嬉しそうな笑みを浮かべていたので、クロエもいつしかそれが普通でないことを失念していたのだ。
あの日、フェルナンが渡したプレゼントは侯爵令嬢に相応しい品物だった。その時に覚えたのは焦燥にも似た感情―初めて感じた嫉妬の感情はアネットではなくフェルナンに対してだ。
アネットが自分から離れていくことを、自分よりも他の人を優先するようになるかもしれないことをクロエは初めて実感した。
物に釣られるような子ではないが、高価な物を贈ることでアネット自身の価値を認め望んでいるのだという強い意志が伝わってきた。クロエが感じたことをアネットが察しないはずがない。
(わたくしはあの子に価値のある物を与えてやれてないし、守ってあげられてもいない)
将来は市井で働きたいのだと打ち明けられた時には寂しさを感じたが、初めての我儘に応援してあげたい気持ちが勝った。それなのにフェルナンの行動に心が乱されたのは、自分がアネットを蔑ろにしていたのではないかと気づかされたからだ。
アネットを可愛がっているつもりだったが、それはどれも両親の不興を大きく損ねない範囲でしかなかった。
そんな自分がアネットの誕生日を祝い、当然のように傍にいることを許されるのだろうか。
「お姉様、おはようございます」
ふわりと花が開くように輝く笑みにクロエは罪悪感に蓋をして笑顔で挨拶を返す。アネットが心から嬉しそうな表情を向けるのはクロエに対してだけだ。
可愛い妹は初めて会った日からずっとこんな自分のことを気に入ってくれている。身勝手な理由で冷たく突き放したことも、理不尽な目に遭わされてもなお、クロエを守ろうと奮闘し愛してくれた大切なたった一人の妹だ。
ひっそりとしか誕生日を祝うことができず、侯爵令嬢として当然の物品や環境を与えられずともアネットは自分らしさを失わない。
その強さに惹かれ抱いていた憧憬の念に罪悪感が混じる。
「お庭の端にジャスミンの花が咲いたそうですよ。邸内に置くと香りが強すぎるかもしれないので、お茶会が終わって散策しながら一緒に香りを楽しめたら素敵です」
無邪気にはしゃぐアネットの楽しそうな雰囲気に水を差したくない。
もう一つの罪悪感を押し込めて、クロエは笑顔を保つことに専念した。
アネットへのプレゼントを手に会場となるガゼボへと向かった。素敵なネックレスをもらったあとではだいぶ劣って見えるのではとの思いもあったが、他に代用品はない。
「アネット、お誕生日おめでとう」
言葉少なに祝いの言葉を掛けると蕩けたような子供のような笑みになり、それに気づいて慌てて表情を引き締めようとしているのが愛らしい。クロエの前ではあまり見せないが、アネットは本来冷静で人の好き嫌いが激しい部分がある。そんな子が無防備な心を晒してくれるのだから嬉しくないわけがない。
プレゼントを渡すと、さらに緩む表情を見てクロエは内心安堵する。結局のところアネットはクロエからの贈り物を最高級品のように扱ってくれるのだ。そのことの是非を問うよりも今は素直に喜んでくれる妹の姿を、余計なことを考えずに眺めていたかった。




