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5 幼女と家令の化かし合い

「アネット様、一昨日私が申し上げたことはお分かりいただけなかったのでしょうか」

「一昨日……何のことですか?」


シリルが何のことを言っているのか心当たりがあったが、素知らぬ顔で返した。使用人のトップであり父カミーユの補佐である家令のシリルは、敵ではないが出来るだけ情報を渡したくない相手だ。


「使用人を呼び捨てるようお伝えしました」

専属メイドのジョゼはもちろん、会った使用人全てにまず名前を訊ねてその上でさん付けして呼んでみた。その結果アネットに呼び方を変えるよう窘めたのはジョゼを含む3名のみ。

元平民だが雇用主の娘であるアネットに正しい振る舞いを教え、接するのが正しい使用人の在り方だ。


侯爵家に仕える使用人であればその一線を守らなければならない。義母側でない使用人を見つけるために敢えてやったことだが、シリルに知られれば自ずと父の耳に入る。

普通の幼児は信用できる使用人を見つけ出すために策を弄することなどないだろう。それが良否どちらに転ぶか分からない状況で口に出すつもりはなかった。


「ごめんなさい。これから気をつけます」

専属メイドであるジョゼは信用できると分かったし、全員ではないものの一応の目安が付いたのでこれ以上は止めたほうがいいだろう。

反省の意を示したにもかかわらず、シリルはじっとアネットを見つめている。まるで隠し事を暴こうかとするかのような窺う眼差しに、アネットは首を傾げてみせた。


「……分かってくださるのなら、これ以上詮索はいたしません」

(思いっきり怪しまれてる…。あざとさで誤魔化されてよ!)

表面上は不思議そうな表情をキープしながら、アネットは内心どきどきしていたのでシリルの言葉にあまり関心を払わなかった。


「本日から令嬢としての礼儀作法を教えてくださる先生がいらっしゃいます。厳しい方ですが、その分早く身に付けることができるでしょう」


ジョアンヌは約1年ぶりにルヴィエ侯爵邸に足を踏み入れた。自分の顔を見たメイドがぎこちない礼をして案内するのを見て内心ため息を吐く。

自分の見た目が他者を緊張させるものであることは知っているが、一流のメイドであるならそれを表に出してはいけない。


ひっつめ髪に切れ長の瞳と癖になった眉間の皺は厳格な教師としての仕事用の姿であったが、いつしかこれが通常となった。独身であることを軽んじられないよう努力してきた結果、礼儀作法を学ばせたい子女の保護者たちからは好評を得ていたが、教え子たちからの評判は芳しくない。

それでもジョアンヌは自分の仕事に誇りを持っている。庶子であろうがしっかりと責務を果たすつもりでいた。


「平民の元で育てられたそうですね。お嬢様を立派な淑女に育てるのが私の務めでございますので、厳しくご指導させていただきます。まあクロエ様には及ばないでしょうが―」

余計な一言を付け加えたのはアネットの本性を見定めるためである。少々意地が悪いと自覚しているものの、仲良くするためにいるのではない。

驚いたように目を丸くしたあと顔を伏せたアネットが落ち込んでいるのだと思ったのだが―。


「先生はお姉様にも礼儀作法を教えていたのですか?!同じ方から教えていただけるなんてとても嬉しいです!」

上を向いた顔は興奮のせいか紅潮しており、瞳がきらきらと輝いている。

(こんなに純粋な瞳を向けられたのはいつ振りかしら…)

ジョアンヌは呆気に取られながら頭の片隅でそんなことを考えた。


「あの、もし良かったらその頃のお姉様のことなどお伺いしてもよろしいですか?私、お姉様のこと、もっとよく知りたいんです」

少女の勢いに押されていることに気づいたジョアンヌは咳ばらいをして、しかつめらしい表情を作った。


「そのような性急な話し方は淑女として相応しくありません。質問や依頼は許可を得ずに話しかけるとはしたないと見なされます」

鋭い声で叱責すると、アネットははっと気づいたように背筋を伸ばした。

「失礼いたしました、ジョアンヌ先生」


(この子、わりと筋がいいわ)

話し方も思っていたほどひどくない。クロエも年齢以上にしっかりしていた子だったが、アネットもしっかりと話が聞ける子だろう。

最初の失態を取り戻すかのように、ジョアンヌは平坦な声で授業を開始した。



笑い声が聞こえた気がして、シリルはノックする手を空中で止めた。今は礼儀作法の時間のはずで、ころころと鈴の音が鳴るような声ではあったが、笑い声など起きようはずがない。気を取り直してノックして扉を開けると、室内は和やかな雰囲気に包まれている。


「あら、もうそんな時間なのね。それではアネット様、しっかりと復習なさってください」

「はい。ジョアンヌ先生、本日はありがとうございました」

アネットのカーテシーはまだ優雅とはいえないものの、しっかりとした姿勢とにこやかな笑顔のおかげで随分と様になっている。ジョアンヌも僅かに口角を上げているので、及第点なのだろう。


ジョアンヌを見送りアネットの部屋に戻ると、シリルは気になっていたことを訊ねた。

「先ほど何のお話をされていたのですか?随分と楽しそうでしたが」

「ふふ、それは女性同士の秘密です」

その時のことを思い出したのか、アネットは幸せそうな笑顔でシリルに告げた。


片親で育てられたせいか自立心が高く大人びた部分がある反面、こうやって無邪気な顔を見せることもある。そのアンバランスにシリルはどこか引っ掛かりを覚えていたが、それを追求することはなかった。

(これから長い付き合いになるのだから、ゆっくり探っていけばいい)

内心を隠してシリルは薄い笑みを浮かべて、アネットの言葉に頷いてみせた。

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