49 婚約者候補が現れました
夏季休暇の間、領地に戻ることになったアネットはそれなりに満喫した日々を過ごしていた。クロエが婚約者教育のため王宮に滞在していた期間は、相変わらず冷んやりとした空気の実家では淡々と勉強に勤しんだ。
義母の嫌味を受け流し、父の前ではそつなく淑女の仮面を被り、あとは将来のために収入の高い職業や働くために必要な資格や知識をこっそり調べたりと悪くない休日を過ごしていたのだ。
遅れて帰ってきたクロエとは邸内で会う時間は制限されるものの、一緒にお茶を飲む時間はセルジュがいないため、久しぶりに独り占めできる幸福な時間を過ごす。
温室で取り留めない話をする時のクロエの顔がいつもより柔らかく、初めての集団生活で気疲れが溜まっていることに気づく。そんなクロエのためにリラックスしてもらうためのお茶やお菓子、特製クッションの制作などに励むなど充実した時間が崩れ去ったのは休暇が終わる10日前のことだ。
(……見通しが甘かった、結局はそこに尽きるわね)
思わぬ来客者にアネットは自分の立ち位置を思い知らされることになった。
一人前の淑女としてデビューするのは18歳からで学園卒業後となる。その前に婚約者が決まることもあるが、この国ではさほど多くはない。家同士の繋がりを重視し過ぎて幼い頃に婚約者決めを行った結果、凄惨な事件に発展したケースが相次いだ時期があったのだ。当人たちの意思を蔑ろにし過ぎたこともあって、お互い一人前になってから婚約を結ぶのが一般的になった。
ましてや公式的なアネットの年齢は15歳、まだ余裕があると思っていた自分の能天気さを呪いながら、社交辞令の笑みを貼り付けて向かい合わせに座った人物の様子を窺う。
「先日は私事でお手数お掛け致しました、フェルナン様」
手助けしてくれたことには感謝しているが、それとこれとは別である。
単純に使い勝手が良さそうだからと生徒会に勧誘されているのだと思っていたフェルナンは、本日婚約の申し込みのためルヴィエ家を訪れていたのだ。
「そんなに警戒しないでくれ」
困ったような笑みを浮かべ人の良さそうな印象なのだが、腹黒さを感じるのは穿ち過ぎだろうか。
「婚約についてはルヴィエ侯爵から出された条件を果たしてからだ。まだ候補の段階なのだから、もう少しお互いを知る機会をくれたら嬉しいよ」
カミーユが出した条件はフェルナンが手掛けている事業が1年以内に一定以上の利益を上げることだ。その金額がいくらで実現可能な範囲なのかアネットは知らない。だが不可能な数字であればこんな風に余裕のある態度ではないし、アネットに無駄な時間を割かないのではないか。
そう考えると憂鬱な気分になる。フェルナンが嫌だという訳ではない。婚約者が決定してしまえば全てを放棄して逃げることはルヴィエ家だけの問題ではなく余計なしがらみを残してしまう。
(自由を奪われるのは、思った以上に嫌だわ)
クロエがいない侯爵家に未練などない。厄介なことになりそうな予感にアネットは表情が崩れないことに意識を集中させた。
「アネット嬢は俺との婚約は嫌かな?」
そんなアネットの努力が実らなかったのか、フェルナンからの答えづらい問いかけにアネットは無言の笑みで対応する。下手に言質を与えるような真似はしない。
「他の候補者より俺の方がお買い得だと思うよ」
冗談混じりの言葉にアネットは思わず反応した。
「……他にもいらっしゃるのですか?」
「うーん、アネット嬢は自分の価値を分かっていないのか?」
確かに侯爵家の爵位は魅力的だが、貴族は選民思考が多い。平民の血を引くアネットの相手を厭うだろうと思っていたのだが、甘かったようだ。
「俺にはアネット嬢自身も魅力的だと思っているけど、爵位を継いで貴族の愛人に子供を産ませて後継にするなんて考える男もいるからね」
そういう面での倫理観と女性の地位の低さをアネットは失念していたようだ。
他の候補者は伯爵家の次男と男爵家の三男だが、どちらも低迷気味で侯爵家と縁続きになることを望んでいるとのこと。フェルナンからの情報であるため鵜呑みにしてはいけないが、婚約者候補が複数人いることは確かなようだ。
「一応俺が最有力候補みたいだからこうやってアネット嬢に会う権利を得たんだ」
思っていたよりもずっと早く、アネットは自分の外堀が埋められてかけていることを知らされたのだった。




