43 初恋と決意
「アネット嬢と距離を置いたほうがよいかもしれないね」
セルジュの表情を見た時からそう言われるのではないかという予感があったので、驚きはしなかった。そしてそれは自分でも考えていたことである。
「分かっている。今回のことは完全に俺の手落ちだ」
そう返すとセルジュは複雑そうな表情をリシャールに向けて言った。
「君は諦めないのかと思ったよ」
ベニエを分けてくれた優しい少女が特別な存在だという自覚はなかった。だがそれでも彼女の姉に向ける表情を羨ましく思い、関心のない態度を取られているうちにこれが初恋というものだと気づいたのだ。
これまでの非礼を許してもらえはしたものの、あまり関わりたくないと言われた後も未練がましく目を離さないでいたのは我ながら未練がましかったが、嫌がらせに気づくことができたのは僥倖というしかない。
悪意や度を超えた好意からくる執着が激しく心を消耗させることをリシャールはよく理解している。あのままアネットが一人で抱え込まずに済んだことに安堵し、彼女を護ることに密かに充足感を覚えることもあったが、今回の失態では自分の浅はかさを悔やむばかりだ。
(俺がもっと気を配っていれば……)
いつもはカーネリアンのように輝く橙色の瞳が、光を失ったかのように虚ろに見開かれているのを見た時にはぞっとした。保健室に連れていくために彼女の手に触れれば、僅かに震えているのを感じて、どれだけ怖い思いをしたのだろうと胸が締め付けられるようだった。
赤紫に腫れた膝は痛々しく、動揺を隠して事の経緯を訊ねれば淡々と話してくれたが、握りしめた両手はアネットの感じた恐怖や痛みを雄弁に伝えてくれる。
『リボン、盗られちゃった…。……せっかく、くれたのに……大切にしてたのに……ごめんなさい…っ』
その言葉だけで充分だった。自分があげたリボンを大切にしてくれていたこと、それを失って涙を零してくれたことで、リシャールは二度とこの少女を傷付けさせないと決めたのだ。
「俺が離れることで彼女が傷つかないのならそれでいい。…もう二度とあんな風に泣かせたくないんだ」
だけど二度と関わらないのならその前に彼女に渡したいものがある。
「アネット嬢に代わりのリボンを渡したら、もう関わらない。だからそれまでは見逃してくれ」
セルジュが距離を置けと命じればリシャールはそれに従わざるを得ない。優しい従兄はリシャールに命令することなどほとんどないが、大切な婚約者に関することについては別だ。
「ただの提案であって命令ではないよ。クロエが心配しているのを見てつい苛立ってしまったけど、アネット嬢の言動もまたクロエのためだと分かっているから怒っていない」
自分と同じくクロエもまた感情を表に出すことはないのだが、セルジュとアネットにはその微妙な差異が分かるらしい。二人といる時と他の者と話している時では雰囲気が少々異なるように感じているが、それが分かる者は少ないだろう。
「犯人はちゃんと特定するからお前は動かないでくれ。……ただアネット嬢にも気を配ってくれると助かる。俺は近くで守れないから…」
「勿論だよ。彼女はクロエの大切な妹だからね」
その言葉に胸を撫でおろしたリシャールは、懇意にしている服飾店への手配とカフェへの予約を従者に告げる。
(最後なのだから彼女の笑顔がたくさん見られるといいな)
幸せそうにベニエを頬張っていた少女の笑顔が頭によぎり、リシャールは自嘲めいた笑みを浮かべた。




