42 リシャールの提案
リシャールの発言で動揺したのも僅かな間で、書店で互いのお薦めの本について語り合えばいつもと同じ雰囲気にアネットは安堵した。
「そろそろ昼食にしよう」
アネットが購入したばかりの書籍をリシャールは当然のように持ってくれる。
貴族の嗜みを身につけたものの、ルヴィエ家でも令嬢として扱われることが少なかったためリシャールの紳士的なエスコートに気恥ずかしいような嬉しいような気分だ。
案内されたのはお洒落なカフェで、フルールが絶賛していた店だと気づく。開店して間もないが、老舗の高級カフェほど堅苦しくなく洗練されていてデザートが絶品だという。
ロココ調の柔らかで優美に誂えられた店内は明るく居心地のよさそうな雰囲気だ。個室に通されたので、周囲から注目を浴びることなく食事が出来そうだと密かに安心した。
「美味しい……」
目の前には色とりどりの小さなお菓子が真っ白なお皿に映えて、とても美しい。一番手前のお菓子を口に入れると濃厚なクリームがとろけてすっと消える。新鮮なミルクとチョコレートを使ったクリームを楽しむお菓子らしく、スポンジ部分は甘すぎず主張しすぎない味わいでこちらも口当たりが軽い。
(どうやって作るのかしら?お姉様にも是非食べていただきたいわ!)
夢中で食べていたため、途中までリシャールの存在を忘れていた。はっとして顔を上げるとリシャールは穏やかな笑みを浮かべてアネットを見つめている。慈しむような優しい眼差しはクロエがアネットに向けるそれとよく似ていた。
「気に入ってもらえたようで嬉しい」
メニューの中からプチフールの盛り合わせを見つけて迷うアネットに好きなものを選んでいいと言われたのを良いことに、アネットはオニオングラタンスープとプチフールの盛り合わせを頼んだのだ。
リシャールはトマトクリームスープとサラダと魚介類のマリネが付いたクロックムッシュで今は食後のコーヒーを飲んでいる。
「……つい夢中になってしまいました。リシャール様もよければいかがですか?」
まだ手を付けていないムースを示すと、リシャールが困惑したような表情を浮かべた。
クロエと似た眼差しを向けられたせいか、うっかり勧めてしまったが同じ皿から分け合うのは家族や親密な間柄に限られる。もともと貴族は大皿を取り分ける習慣がなく、食べ物を分け合うこと自体珍しいのだ。失礼を詫びようとアネットが謝罪の言葉を伝えるより、先にリシャールが口を開いた。
「ならばお言葉に甘えていただこう」
リシャールはコーヒーに添えられていたティースプーンで一口分だけムースをすくう。
「うん、酸味があって美味いな。アネット嬢が夢中になったのも頷ける」
アネットに恥をかかせないような気遣いだけでなく、本心から言っている様子を見て共感してくれたことに嬉しくなる。
「今度はお姉様をお誘いしてみようと思います。素敵なお店に連れて来てくださってありがとうございます」
満面の笑みを浮かべたアネットにリシャールも笑みを返すが、何か別の感情も混じっているような気がした。
(不快だとかそういうものではないけど、何だか嬉しくないような感じかしら?)
違和感の原因が分かったのは、食事を終えてからのことだった。
「アネット嬢」
声のトーンで大切な話なのだと分かり、アネットの身体に力が入る。
「今日は、本当に楽しかった。俺の我儘に付き合ってくれてありがとう」
その言葉でアネットはリシャールが何の話をしたいのか理解してしまった。
「今後は君に関わらないようにしよう。俺が君に近づかなければ嫌がらせが止まる可能性が高い。もちろん、それ以外の要因も否定できないが、これ以上危険な目に遭わせるわけにはいかないからな」
リシャールもクロエと同じようにアネットのことを第一に考えてくれたのだ。その気持ちは嬉しいものだが、線を引かれたようで悲しい気持ちになる。
「……私も楽しかったです」
自分が原因で他人が傷つくのは嫌だろう。ましてや親しくしている相手ならなおさらだ。リシャールの気持ちを慮ればアネットはその提案を受け入れるべきだった。先ほどの笑みは間もなく楽しい時間が終わることへの諦めに似た感情が含まれていたのだろう。
切ないような気持ちとクロエとの会話を思い出して、アネットは少しだけ抗うことにした。
「ですから今後も友人として仲良くしていただければ嬉しいです」
「っ、アネット嬢……」
困らせることは分かっていた。だけどクロエはアネットに何一つ諦めて欲しくないと言ってくれたのだ。
「性格の悪い方はどこにでもいますし、その原因はきっと何でもあり得るのです。お姉様や殿下と過ごす貴重な学園生活にリシャール様もいてくださったらもっと楽しくなると思います。もちろん将来のことを考えて行動することも重要ですが、だからといって今の大切な時間を失いたくはないのです」
「だからこそ、君はもっと自分の身を大事にするべきだ。リボンを奪うためだけに怪我をさせるような相手だ。あの時そばにいなかったことをどれだけ後悔したか……」
苦しそうに言葉を吐き出すリシャールを見て、アネットは犯人への怒りを再燃させる。身体が傷ついたのはアネットだが、そのことで優しいリシャールの心を傷付けたのだ。
「リシャール様、私はちゃんと反省したので今後は軽はずみな行動はしないとお約束しますわ。リシャール様が関わりたくないとおっしゃるなら仕方ありませんが、それ以外の理由であれば私はリシャール様と距離を置くつもりはありません」
それを聞いてくしゃりと前髪を無造作につかみ、目を閉じてしまったリシャールをアネットは静かに待つことにした。
(本当にリシャール様はお姉様に似ているわ)
しばらくして目を開けたリシャールは仕方ないと甘やかしてくれるクロエの表情とそっくりだった。
「それなら君が約束を守るかどうか近くで見ていなければいけないな」
諦めを含んだ笑みだったが、先ほどのものとは違いそこには確かに優しい感情が含まれていた。




