41 思い出の味
快晴とは言い難いくもり空だが、夏の兆しを見せ始めたこの時期には有難い。クロエから楽しんでくるようにと送り出されたアネットの足取りは自然と軽くなる。
「アネット嬢」
既に待ち合わせ場所にいたリシャールの初めての私服姿に、幼い頃に会った少年の面影が重なる。ワインレッドのトップスに細身の黒いパンツを合わせたカジュアルな恰好なのに、にじみ出る高貴な雰囲気は隠せない。むしろ身に付ける物の華美さがない分、素材の良さを際立たせているようだ。
「ご機嫌よう、リシャール様」
アネット自身は少し裕福な平民の娘といった見た目なので、街歩きには最適だがリシャールとは釣り合いが取れない。悪目立ちしそうだと思うが、それでもワクワクする気持ちを損なうことはなかった。
どのみち目立ってしまうのはリシャールなのだから、アネットはおまけのようなものだ。常に見られていることを意識せざるを得ないリシャールに少し同情を覚えてしまう。
リシャールに連れられ訪れたのは老舗の服飾店だった。一人では気軽に足を踏み入れるのを躊躇ってしまうような落ち着いた大人の上質さと重厚感を併せ持つ店内だが、リシャールは慣れた様子で店内を進んでいく。
「リシャール様、どうぞこちらでございます」
店員の中でも職歴が長そうな年配の男性が、恭しく頭を下げて案内してくれる。事前に連絡をしていたのか少ない会話で通じ合っている様子が見て取れる。
「まあ……」
丁寧に並べられた色とりどりのリボンを見て、思わず驚きの声を上げたアネットにリシャールはくすりと笑った。
「代わりにはならないかもしれないが、気に入ったものを選んでくれ。巻き込んだ詫びと大切にしてくれていた礼に贈らせてほしい」
保健室でみっともなく泣いてしまったせいで、気を遣わせてしまった。申し訳ないような気持ちもあるが、それでも嬉しいと思う気持ちのほうが強い。
あらかじめ購入したものを渡されていたら躊躇いを覚えていたかもしれないが、お店まで連れてきてくれてアネットに確認をしてくれたことで有難く受け取ろうという気になった。
髪を結わえるためだけなので必要な量も少なく、質は良くてもそこまで高価ではないだろうということも受け取りやすい理由だった。
(リシャール様はそこまで考えてくれたのかしら?)
ドレスや宝石であれば丁重にお断りしていただろう。理解してくれているようで、また胸がふわりと温かくなる。目の前の品はどれも優美で繊細な色合いだったが、アネットの視線が一点でぴたりと止まった。
「それがいいのか?」
無意識に探してしまったアイボリー色のリボンは失くしたものとよく似ていた。以前のものより若干黄色味が落ち着いた色合いだが、何となく見ていると安心するような気がするのだ。
「はい、こちらが良いです」
アネットの返事にリシャールは嬉しそうに微笑んだ。そんな優しく柔らかな笑みは初めて見たので、アネットはなんだかドキドキしてしまった。いつもの冷たい表情を知っているからこそのギャップで破壊力のある笑みとはこういうことなのだと実感する。
綺麗に包装されたリボンを受け取り店を出ると、街を散策することになった。
少し歩くと甘い香りが漂い、リシャールを見ると口の端が僅かに上がっていて同じ事を考えたのが分かった。
「今でもベニエはお好きですか?」
「ああ、だがあの時君にもらったベニエが一番美味かったな」
熱々の食べ物を口にしたことも、あんな風に外で飲食することも初めてだった、というリシャールの言葉にアネットは微笑ましい気持ちになる。あの時声を掛けた自分を褒めてあげたい。
揚げたてのベニエを買ってくれたリシャールと、ベンチに腰掛けてかじるとトロトロのりんごジャムが入っていた。
「美味しいですね」
「一緒に食べると特別に美味く感じるから不思議なものだな」
久しぶりの味わいと中身が飛び出さないよう慎重に食べ進めていたアネットは、さらりと告げられた言葉を一瞬そのまま受け流してしまったが、引っ掛かりを覚えて頭の中で復唱する。
(……深い意味はないのよね?何だか特別だと言われたような気がしたけど……いや、これは深く考えては駄目な気がする!)
顔が熱くなるのを感じたアネットは黙々とベニエを食べることに専念したのだった。




