37 囮役なので煽ります
(分かっていたけど、実際に体験すると全然違うわ!)
好奇と嫉妬の視線に居心地の悪さを感じていると、涼やかな囁き声が聞こえた。
「だから言っただろう?今ならまだ間に合うぞ」
突き放すような言葉とは裏腹に琥珀色の瞳は不安げに揺れている。心配してくれているのは明らかでアネットは気持ちを切り替えてリシャールに向きなおった。
「ありがとうございます。リシャール様のおかげで大丈夫になりました」
にっこりと笑顔で告げれば、口元を手の甲で覆いながら視線を逸らされた。恐らく照れているのだろうが、それは指摘しないでおく。
そっと視線を奥のほうに向ければ、レアとフルールが微かに微笑むのが見えた。アネット達から少し離れた席からは、周囲の様子がよく見えるだろう。これも犯人特定のための大切な行動なのだと、アネットは親密な雰囲気に見られるよう微笑みを絶やさないようにしながら、食事を始めた。
午前中の授業が終わるとすぐにリシャールから昼食に誘われた。一部の生徒からざわめきが起こったが、何でもない風を装ってアネットは快諾する。流石に恋人同士を演じるとなると後々厄介なので、あくまでも仲の良い友人という設定だが、リシャールが特定の令嬢と親しくいることなどない。こちらから何も言わなくても勝手に勘違いし、吹聴してくれることだろう。
難色を示していた割には、早々に行動してくれるんだなと思っていたのに、令嬢たちからの圧力を体感してもらうためだったようだ。確かに痛いほどの視線ではあったが、覚悟していたこともあり、アネットは早々に受け入れていた。
美味しさに目を細めながらじゃがいものグラタンを口に運ぶアネットを見て、リシャールは少し呆れたような顔をしていたが、気を取り直したのかサーモンのパイ包み焼きに手を伸ばした。
「リシャール様、先ほどの詩歌の解釈はどう思われますか?私は少々ロマンチックすぎると思ったのですが…」
話題が授業内容では好意を抱いている相手に対してならあまりにも色気がないが、親しい友人なら別だろう。誰が聞いているか分からない場所で、あまり不用意に個人的な話をするのは避けたい。リシャールもそれを察してすぐに話題に乗ってくれた。
「そうだな…。あの詩人は直接的な表現が多いが、別の解釈もできそうだ。若い時の作品と見比べれば、作風が見えてくるかもしれないな」
「まあ、図書館にならきっと置いてありますわね。放課後一緒に参りませんか?」
ずっと一緒にいれば親密な印象を与えるのは確実だろう。
さり気なく放課後の予定も確保したアネットはこれで食事に専念できると安心したが、何故かリシャールは少々挙動不審でそわそわとしていた。
「……アネット嬢、何というか……慣れてないか?」
熱々からちょうど良い温度になったグラタンに舌鼓を打っていると、慎重な様子でリシャールから問われたが、何のことだか分からない。
「何にですか?このように注目されていることなら、慣れていませんが仕方のないことです」
「…いや、やっぱりいい。――それより、また付けてくれているのだな」
リシャールの視線がアネットの髪に向けられている。一度学園に付けてきて散々な目に遭ったことから、しばらく宝箱に封印していたが今こそ出番だと品よく束ねた髪をリボンで結んでいた。
「はい、リシャール様から頂いたものですから」
わざとらしくならないよう、少しだけ声量を上げて話せば近くの席から悲鳴のようなざわめきが起こった。
「……少々やり過ぎではないか?あまり刺激するとまずいだろう」
眉をひそめて小声で窘めるリシャールに小さく詫びながらも、アネットは反省していなかった。このぐらいしなければ、犯人が行動を移さないのではないかと思うのだ。
(嫉妬が原因なら確実に動くはず。もし動きがなければお姉様かルヴィエ家が狙いだとも考えられるもの)
クロエに危険が及ぶ可能性を早々に見極めておきたい。
そのためならば自分の身が多少危険でも構わなかった。純粋にアネットのことを心配してくれているリシャールをはじめとする友人たちには申し訳ないが、アネットの最優先事項はいつだってクロエなのだ。
嫌がらせの所為でクロエにも心配を掛けてしまったため、不安はあっさりと怒りに変わった。クロエには幸せでいて欲しいのだから、つまらないことで心を痛めて欲しくない。
犯人に対する苛立ちを隠しつつ、アネットは淑女の笑みを浮かべてリシャールに話しかけるのだった。




