30 お茶会の誘い
「クロエ様、今週末にロザリー様が特別なお茶会を開きますの。ぜひご参加くださいませ」
そう言ってクロエに招待状を持ってきたのは、ロザリーと親しくしている伯爵令嬢だった。
傍にアネットがいるにも関わらず、招待状は一通のみ。アネットとしては招待されたいわけではなかったが、突然の招待に少なからず不信感を募らせていた。
「ご招待ありがとうございます、リセ様。残念ながら今週末は妹と出かける予定がありますの」
恐らく同じように感じたクロエが差し障りのない断り文句を口にすると、伯爵令嬢―リセ―は焦ったように付け加えた。
「いつも妹君のお守りばかりで大変ですわね。たまにはわたくし達とも親交を深めていただきたいと願って思っているのですが、アネット様はどう思われますか?」
普段は無視するか陰口を叩くばかりなのに、こんな時だけ話しかけてくる令嬢に呆れながらも返答する。
「優しいお姉様がいて幸せですわ」
にっこりと微笑んで見せると、リセは押し黙った。クロエが断ったのにアネットが自ら辞退するような発言をするわけがない。遠慮すると思うほうが間違っているのだ。
「リセ様、クロエ様に良い返事を頂けまして?」
明らかに旗色が悪いことを察しているのに、素知らぬ顔でロザリーが声を掛けて来る。
「ロザリー様、残念ながら先約がありましたので、お断りさせていただきましたの」
クロエの発言にロザリーが信じられないという表情を作った。
「まあ、クロエ様は社交に慣れてらっしゃらないからご存知ないのですわね。今回のお茶会は高位貴族だけの格式高いものなのですよ。殿下の婚約者であるクロエ様が参加できないとなると、皆がっかりしますわ」
(そんな大事なお茶会なら、もっと前もって伝えるべきよね)
内心呆れているとクロエが優雅に首を傾げてみせる。
「そのように格式の高いお茶会なのに、随分と急なお誘いですわね。よろしければ次回はわたくしのほうからお誘いさせていただきますわ」
さらりと返した言葉は遅い誘いへの皮肉が僅かに混じっている。きちんとしたお茶会であれば招待を受ける側にも準備する期間が必要のため、直前への誘いは不作法と取られても仕方がない。
「どなたからもお茶会に誘われていないようだからとお声かけしたのに、まるで礼儀知らずのような物言いをなさるなんて酷いわ。殿下の婚約者だからと言って勘違いしているのではなくて」
(行かないって言ってるのにグチグチとしつこいし、鬱陶しいわ)
淡々と受け流しているクロエよりも笑顔を浮かべているアネットのほうが、苛立ちを抑えるのに必死だ。下手に口を出すと余計に面倒だと分かっているから黙っているが、クロエに対する言動も軽んじるような態度もアネットの癇に障る。
「あら、殿下の婚約者だからと招待を受ければ勘違いしていると誤解を受けるかもしれないのですね。それでは尚更ご辞退させていただきますわ。ご忠告痛み入ります」
綺麗な会釈とともに堂々とその場を離れるクロエのあとにアネットも続いた。教室を出る直前のロザリーの顔は不快そうに歪んでいた。
(性格は悪いけど、社交に関してはロザリー様の方が上手く立ち回っている。面倒なことにならないうちに、多少動いておくべきかしらね)
ある程度の派閥は理解しているが、ルヴィエ家の立ち位置はクロエがセルジュの婚約者であるため少々特殊である。カミーユ自身も仕事人間だが、立ち回りは得意なほうでなくクロエとセルジュの婚約が結ばれていなければ、恐らく長の立場ではなく優秀な補佐役として活躍していたはずだ。
野心や出世欲はそれなりにあるが、どちらかといえば安定志向なため、特定の派閥に属することもなく淡々と仕事に打ち込むカミーユは規則的な生活を好む。
代わりにデルフィーヌが社交の部分を担当していたが、プライドが高く見栄っ張りなところがあるため、情報収集などよりも自尊心を満たすためのお茶会がほとんだ。
そのためアネットは友人たちからの情報や子女たちの振る舞いを見て、地道な観察を続けている。そのおかげでレアやフルールといった友人を得ることが出来たが、ルヴィエ家の、もっと言えばクロエの味方となり得る子女は多くないのだ。
「アネット、近いうちにロザリー様のお茶会に参加することになると思うけれど、心配しないでちょうだい」
その言葉が自分を慮ってのものだということに気づかないほど鈍感ではない。ロザリーたちがアネットの良からぬ噂を広めていることはクロエも把握している。
「お姉様、その時はどうか私も一緒にお連れください。お姉様が悪意に晒されるようなことがあっては殿下も私も心配でなりませんもの」
一緒にいれば何かあっても悪意の的は簡単にアネットに向けられる。だがクロエ一人で性格が悪く噂好きな令嬢たちの中に放り込まれれば、クロエがどれだけ毅然とした態度を取っていても嫌な思いは避けられないし、心に傷が付きかねない。
「大丈夫よ。セルジュ様の隣に立つのなら、同世代の令嬢たちぐらい躱せないといけないもの」
凜とした表情のまま微笑むクロエは堂々としていてとても美しい。大切な場所を守ろうとする意志が込められた表情がアネットは好きだった。
大切なものを言葉にすることも許されず諦めていた人形のような少女を知っているから尚のこと感慨深く愛しい。
「こうして一緒にいられるのも卒業するまでですもの。それまではお傍にいさせてくださいね」
十年前、守ろうと心に誓った少女は、優しさと強さを身に付け美しく成長した。それを誇らしく思いながらも、未だに守ってやりたいと思うのは過保護だろうか。それでも数年後には離れてしまうことを思えば、出来るかぎり悪意や醜い欲から遠ざけたいと願ってしまう。
心を許した相手だけに見せるクロエの柔らかな微笑みに頬を緩ませながら、アネットはそんなことを思っていた。




