2 運命または天使との出会い
(冷たそうな人)
それが初めて会った父親の第一印象だ。カミーユ・ルヴィエと名乗った男からアネットを引き取る旨を告げられると、すぐさま馬車に載せられた。
一緒に来ていた年嵩の男性が荷物の処分や退去の手続きを指示していたため、アネットはもう二度と母と過ごした部屋に戻れないのだと分かった。辛うじて持ち出した小さなバッグを見咎めるような視線を向けられたが、アネットは無視した。何も知らない子供でなくて良かったと密かに胸を撫でおろしながら大切な物が入ったバッグを握り締める。
母が病気になってから天に召されるまでたったの一週間。葬式が終わった直後に現れた父には正直なところ不信感しかない。
母が病気だと知っていたけど放置したと考えるのは穿ちすぎだろうか。
だが引き取り手がいるのに孤児院に行くわけにもいかず、まだ5歳のアネットが一人で生きていくことは現実的ではなかった。
沈黙に包まれた馬車に揺られて2時間ほど経って、ようやく馬車が止まった。
(はあ、立派なお屋敷。さすが侯爵家といったところね)
父の家族構成は聞いていないが、アネットが今まで父に会ったことがなかったこと、すぐに引き取られなかったことを考えれば、妻子がいるのだと見当がついた。
夫がよそで作った子供、半分しか血の繋がらない姉妹、そして平民として暮らしていたとなれば恐らく歓迎されない。
(さすがにもうすぐ6歳とはいえ一人暮らしは難しいものね。最低でもあと7年は我慢してここで暮らさないと)
少しでも友好な関係が築けるように愛想よくしようと決めたアネットだが、その直後に人生が一変することになるとはこの時予想だにしていなかった。
運命に出会ったのだとこの時の事を振り返るたびにアネットは本気でそう思う。
(え、何これ……天使?!それとも妖精?!)
言葉を失うほどの衝撃をアネットは初めて体験していた。腰高まである艶やかなダークブロンドの髪、陶磁器のような白く滑らかな肌、吸い込まれそうなマリンブルーの瞳は宝石のように煌めいている。美少女などという言葉では語りつくせない圧倒的な存在にアネットはただただ見惚れていた。
「この子供は言葉も話せないのですか」
冷ややかな声にようやくアネットは室内にいたもう一人の人物に気づいた。最初が肝心だと思っていたのにやらかした自分に焦りながら、少女から視線を引きはがして深々と礼をする。
「失礼いたしました。アネットと申します」
面白くなさそうに鼻を鳴らす侯爵夫人は、やはり自分のことを歓迎していないようだとアネットは悟る。
(あの子はどうなんだろう?)
そっと視線を上げて窺うと、眉をひそめた少女と目があった。
「私は貴女を妹だなんて認めませんわ」
(うわっ、声まで可愛い!!)
言葉の内容よりも少女特有のソプラノの声とはっきりとした口調が耳に心地よい。
「お前がどう思おうがこれを引き取ることは決定事項だ、クロエ」
感情を含まない声でカミーユが告げれば、クロエは黙って俯き侯爵夫人は汚い物でも見るような視線をアネットに向ける。
夫人は仕方がないとしてもクロエとは良い関係を築きたい。
(だってあんなに可愛いんだもの。いえ、むしろ美しいというべき?くっ、自分の語学力の無さが憎い!)
今の自分は客観的に見ても可愛らしい外見だとアネットは思っている。ぱっちりとした橙色の瞳に丸い顔つきと小柄な体躯は小動物系の愛らしさがある。前世ではキツイ顔立ちをしていたので、同じような見た目の母に似たことに心から感謝したものだが、クロエの類まれなる容姿の前では完全に霞んでいる。
「元々平民と暮らしていた者が貴族になれるとは思いませんわ。それなら親族から後継者を選んだ方がまだまし――」
「デルフィーヌ、何度も言わせるな。優秀な婚約者を選び婿入りさせる。クロエが第二王子殿下の婚約者に選ばれなければそうするつもりだったのだから、変わりはない」
それだけ言うとカミーユは応接間から出て行った。
あとに残されたのはクロエとデルフィーヌ、そしてアネットだ。微妙な空気に居たたまれないが、勝手に出て行くわけにもいかない。
二人が出て行きメイドからようやく与えられた部屋に案内されて、アネットは大きなため息を吐いた。
「それにしても、娘のことを道具として見ていないよね」
愛されたいと思ったわけではない。今まで会いに来なかったことからも期待していなかった。わざわざ引き取られたからには何か思惑があるのだろうと思っていたが、まさか政略結婚とは。
前世でも会社を自分の血族に継がせたがる親は一定数いたが、それと同じようなものだろう。自分の利益や権力を増やすための行為、仮に子孫への愛情として財産を遺すためだとしても子供が望まなければ単なる押し付けに過ぎない。
もっとも父であるルヴィエ侯爵は明らかに前者なのだろうが。
疲労を覚えてベッドに横になるとたちまち瞼が重くなっていく。クロエの姿を脳裏に描きながら、アネットはそのまま眠りへと落ちていった。